第68話 ルティナの逃亡
流れ込んでくる冷たい風。カーテンやベッドシーツなどを舞い上がらせていく。先程まで暖かかった室内の空気が一変していた。
ルティナは窓枠に手をかけると、いきなりその上に飛び乗った。
いや、飛び降りたのだ。
その流れるような一連の行動に驚いた私は、一瞬怯んでしまった。が、ようやく我に返ると窓際に駆け寄った。
急いで下を見てみれば、正門に向かって庭を駆けていくルティナの後ろ姿があった。
ここは五階だ。近くには樹木類なども無いし、真下には堅い地面が剥き出しになっている。
「アレックスさん~それは無茶です~!!」
その叫び声で顔を上げると、今にも続けと言わんばかりに飛び降りようとしている、窓枠に足を掛けた体勢のアレックスが目に飛び込んできた。
「ルティナにも出来たのだ。きっと俺でも可能なはずだぞ」
「アレックスさんとルティナさんとでは~身体能力が違うと思うのです~。
それにアレックスさんは~ルティナさんと違って今~装備を外した状態じゃないですか~。
ここから飛び降りたら~確実に大怪我をしてしまいますよ~!!」
「……あなたたち、一体何をしているのよ」
窓際で何やら揉み合っている二人に対して、私は静かな口調で問い掛けた。
「エリスさんも~止めてください~。アレックスさんが大変なのです~」
「うむっ。先程のルティナを見た時、俺は突如閃いたのだ!」
アレックスがいつものように、拳を強く握り締めた。そして涼しげな碧い瞳に灼熱の炎を宿らせると、一気に捲し立てる。
「俺は魔王を倒すべく、今以上に力をつけなければならない。故に日頃から行っている修行方法を、大幅に改善する必要があるのだ!
俺はこの数日間、昼夜問わず、そのことばかりを考え続けていた。
その矢先でのルティナの行動。高所からの着地力。これを日頃の鍛錬に取り入れられないだろうか。
そのことを真っ先に思い付いた俺は、『打倒・魔王』へと新たなる一歩を踏み出すべく、自ら実行を開始することにしたのだッ!!!」
――あー、また訳の分からないことを……。
モンスター・ミスト内での、あの弱気なアレックスは一体何処へ消えてしまったのだろうか。
無数に瞬かせる星々の如く、周囲に光を撒き散らしている彼の上気した顔を眺めながら、私は完全に呆れ返っていた。妙な脱力感とガッカリ感が、一気に全身へ襲いかかってくる。
「……エド、アレックスの好きなようにさせてあげたら?」
「! そんなっ!?
エリスさんは~冷たすぎです~。我らがリーダーのアレックスさんが~怪我をなされでもしたら~一体どうするおつもりですか~」
「ッ、我らがリーダーって……」
「お前たち、騒がしいぞ!」
その声とともに、入り口の扉が勢いよく開け放たれた。
そこに居るのは、外で見張っていた騎士様二人。恐らくエドの高音が、外へも響いてしまったのだろう。
「ん? おい、一人足りないんじゃないのか」
私たちを一通り見回していた騎士様の一人が、どうやら早速ソレに気付いてしまったようだ。
これはまずい。
ルティナが逃亡したのだ。見つかったらまずいに決まっている。
「あ、えーっと、その……」
私が冷や汗を流しつつ宙に視線を彷徨わせ、必死で上手い言い訳を考えていると。
「ルティナ・マーキスは、どうやら逃亡したようだな」
騎士様たちの背後から、穏やかな低音が聞こえてきた。間から顔を出してきたのはマクガレー団長と、フードを外した姿のディーンだった。
彼らが入って来ると騎士様たちは、緊張の面持ちで姿勢を正した。
その間を厳しい表情で通り抜けた団長は、驚いて固まっていた私たちの側までやってくる。そして窓枠に手を掛け、外を見下ろした。
「……やはりな」
そう呟いた彼は静かに窓を閉めると、背後に向けて手を振った。団長は無言であったが、部下二人はその意味を察したのか一礼をした後、そのまま部屋を出て行った。
すると一転。彼はにこやかな表情をこちらに向けながら、口を開く。
「では改めて君たちに、少し質問をさせてもらおうかな。
何、実に簡単なものだから、そのままリラックスして答えてくれても構わないよ」
彼は私たちを一通り見回しながら、そう切り出してきた。
(リラックスと言われても、ねぇ)
団長は愛想の良い笑顔をこちらへ向けていた。が、それが私の目には不気味に映っていた。
何故ならこの前と同様、ダークグレーの瞳が、完全に笑ってはいなかったからだ。