第64話 その理由2
これからルティナと話すことは、ゼリューや『瘴霊の種』についてだ。
瘴気に侵されていた二人はゼリューと面識がないだろうし、『瘴霊の種』についても憶えていないはずである。
だからそれらに関しては、特に説明する必要がないだろうと判断した。
そのため、彼らが同席していると例によってややこしいことになりそうな気がしたので、先に席を外してもらったのだ。
「それであの男が消えたのは、間違いではないんだな」
再度問い掛けられたその言葉で、私は頷いた。
ルティナには事前にゼリューのことなどを、簡単に話しておいた。
彼女が昨日廊下で私の顔を見た途端、そのことについて訊ねてきたのだ。同様にゼリューを追っていた彼女の目的も、簡単に話してくれた。
「消えたのは確かだけど……でももしかしたら私の目をあざむくため、透過術のようなものを使っただけかもしれないわよ」
「それは可能性として低いだろうな。あの術は狭い空間でなければ成功しない。
それにあの結界はヤツの空間だ。わざわざ透過術を使ってまで隠れる理由がない」
「なら新たに結界を作って、その中に隠れたという可能性は?」
「恐らくそれも低い。何故なら、あの男の近くにはあたしも居たのだろう?
結界は術士を中心とした一定空間を、外部から遮断する術だ。周囲を巻き込まず、術士本人だけがその中に入り込むことは有り得ない」
「だとすれば、他に考えられることといったら」
「瞬間移動術だ」
ルティナは自信たっぷりな態度で、即座に答えた。
「それって、人間には使用不可能な術と言われているわよね。精霊力と精神エネルギーを、大量に消費するから」
聞いた話では、精霊石の限界を超えるので、術発動前に壊れてしまうらしい。
しかし似たような術なら私も毎日、故郷にいる父との手紙の遣り取りで使っていた。
私が使っているのは、離れた場所にある物体と、手元の物とを入れ替える術だ。別名『等価交換術』とも呼ばれているが、目標物の正確な位置を把握しなければ成功しないなどの制限があるため、あまり実用的ではない。
ルティナの言っているのは、それとは全く性質の違うものだった。
「物体の入れ替え」などではなく、「物体そのものを移動」させるのだ。しかも手紙のような無機物ではなく、生物を遠方の別空間へ、瞬間的に移動させることもできる。
「ヤツは上位クラスの魔物だ。それにサラの血族でもある」
「……サラ、ね」
私は眉根を寄せながら、左腕を掴んだ。嫌なことを思い出してしまった。
「それよりアイツらは一体、何をしているんだ?」
「え?」
ルティナの指さす方向を振り返って見てみると、ベッドに腰掛けているアレックスの前で、エドが静かな曲調の音楽を奏でているところだった。多分待ち時間中は暇なので、吟遊詩人としての腕を披露しているのだろう。
彼はいつものように普通に演奏をしているだけだったが、しかしアレックスのほうは何故か拳を振るわせつつ、大袈裟に涙を流していた。
「あの二人のことは別に、気にしなくていいから」
「……ああ、それもそうだな」
半眼の冷めた視線をそこへ向けながら、ルティナは抑揚のない返事をする。どうやら彼女にも二人のことが、段々と分かってきたようだ。
「それにしても意外だったわ。まさかルティナまでこの刻印を、サラに付けられていただなんて」
彼女は私たちに会う前、サラと遭遇したのだという。そこでゼリューを殺すよう迫ってきたらしいのだが。
「あれはあたしの落ち度だ。……くそっ、ヤツらがグルだったとはな」
彼女は左拳を右手の平に叩き付けると、心底忌々しそうに顔を歪ませた。
「ねぇ、やっぱりゼリューが消えたこととこの刻印、何か関係があると思う?」
「無論だ。その証拠に、この針が動いている」
ホール型ケーキの中心まで、ナイフを一本入れた状態。その紋様は変わらず左腕にある。
一見、全く変わらないようにも見えるのだが、明らかにその位置が動いていた。
時計で例えるならば、今までは十二時方向にその線は向いていた。
しかしルティナの腕にあるのは、三時方向。私と他の二人はその半分、一時半方向に動いている。
私が討伐隊へ参加する直前に、シャワー室で確認した時には間違いなく、十二時方向のままだった。それはルティナの話からでも確認が取れたことだ。つまり移動したのは、モンスター・ミストの中へ入ってからということになる。
「だからその時の状況を、もっと詳しく訊きたい」
「もっと詳しくと言われても、昨日話した以上のことは何も…」
私は困ったように頭を掻いた。
昨日話したのはゼリューが消える直前、刻印のある箇所が急に痛み出したということだけだ。私もその痛みに耐えるだけで必死だったし、実際に話せるのはそのくらいしかない。
「それに本当ならこの刻印のこと、後でゼリューに訊こうと思っていたのよね。彼なら何か知っている感じだったし」
今更過ぎたことを後悔しても遅いが、私はつい愚痴をこぼしてしまう。
ルティナはそんな私を見ると、肩を落として嘆息した。そしておもむろに視線を逸らす。
「あの時のことを唯一知っているあんたなら、何か気付くかとも思ったのだが……これでまた振り出しに戻ったな」
ルティナは背後から身体を離すと、窓のほうへ移動した。
窓には風が当たり、小刻みに音を鳴らしている。外は厚い雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうだ。彼女は陽差しの全く差し込まない、薄暗い窓ガラスへ背を押し付けるようにして、再び腕を組んでこちらを向いた。
「だが一つ考えられることは、あたしたちがヤツの逃亡に利用されたということだけだ」
「どういうこと?」
「あたしたちの精神エネルギーを『瞬間移動術』に利用したということさ。
あんたはあの時、腕の痛みを感じたと言っていたな。同時に、全身から力が抜けていくような感覚もしたと言っていた」
「そう。この前サラに、紋様を付けられた時の感覚に似ていたわ」
「恐らくヤツはこの刻印を介して、あたしたちのエネルギーを使用したのだろう」