第62話 アレックスの剣
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「やっぱり~憶えていないのですか~」
私たちはアクニカ村にある、村で一番大きな病院の五階の一室に軟禁されていた。
というと何だか物騒な感じもするが、単に一つの病室へ関係者全員が集められ、扉の外では二人の騎士が見張りのように立っていただけである。
「うむ、そうなのだ」
アレックスは腕を組むと、置かれているベッドに腰を掛け、神妙な面持ちで目を瞑った。
あれからまだ四日しか経っていなかったが、彼の腕はもう殆ど完治しているという。
本来なら全治三ヶ月くらいの怪我らしい。それがルティナの施した応急処置と、精霊の加護能力によって『ヒトの術に効きやすい体質』なため、治りが早かったのだ。
「強力な気配のある場所で、エリスの姿を確認したところまでは憶えているのだが……その後のことが如何せん、サッパリと思い出せないのだ」
「僕なんて~ルティナさんを追っていたところまでは~憶えているのですが~。そういえばルティナさんも~途中からの記憶がないと~仰っていましたよね~?」
「あ? ……ああ。そうだ」
光のあまり届かない壁隅に凭れていたルティナが、初めてこちらに顔を向けた。
あの時に多少瘴気に侵されてしまったとはいえ、意識がハッキリしていたのは私だけだった。
私の身体から瘴気が完全に抜けるまでの時間が、約一日程度。他の三人は二日~二日半くらい。
大量の瘴気を取り込んでいたとしても、通常であれば半日くらいで抜けるらしいのだが、二日も掛かってしまったということは、あの瘴気がそれだけの量を排出していたということになる。
そしてそれは広範囲にまで広がっていたらしい。しかも話に聞けば、村の中まで侵入する直前だったという。
村外では瘴気に侵された術士たちの暴動まで、起こり始めていたそうだ。
死者を出す前に沈静化できたからまだ良かったが、あのまま瘴気が消えなかったら大変なことになっていた……と、これは後に駐在している騎士様の一人から聞いた話である。
先に回復していた私は真っ先に、彼らから尋問を受けていた。
しかし私は全てを話したわけではなかった。「気付いた時には現場で倒れていた」ということだけを話し、『モンスター・ミスト』の中へ入ったことは、一切口外しなかった。
何故話さなかったかといえば、後々面倒になることが予想できたからだ。
もし全てを話してしまったなら、私たちは必ず拘束され、最低でも数日間は強制的にこの場所への滞在を余儀なくされるだろう。
そして中の様子などをしつこく追求されるに違いないのだ。考えるだけでも、ゲンナリしてしまう。
幸いにも『瘴霊の種』とゼリューの存在していた痕跡は、一欠片さえも残されてはいなかったようだ。ギルドの現場検証で見つかったものは、辺りに散らばっていた魔物の死骸だけだったらしい。
もしかしたら種は全てあの時に砕けて、塵と化してしまったのかもしれない。もっとも、もしそれらの痕跡が見つかったとしても「何も知らない」で通すつもりではあったのだが。
その後回復した他の三人は、昨日個別に尋問を受けていたようだ。
ルティナも私と同じように考えたらしく、余計なことは一切喋らなかったらしい。しかし他の二人の尋問は、何故か途中で打ち切られてしまったという。
これは私の憶測であるが、エドはいつものように要領を得ない取り留めのない話を、アレックスは自己熱血陶酔話を、それぞれ延々としていたに違いない。
実は三人の尋問が行われていると聞いていた私は、居ても立っても居られず、その部屋の近くまで行ってみたのである。そして彼らが外に出てきた時、一緒にいた騎士様たち二人の顔が、妙にゲッソリとやつれていたように見えたのだ。
そのせいかどうかは分からないが、今度はマクガレー団長自らが、全員まとめて尋問することになっていた。だから今日こうして、皆ここに集められたのである。
「しかし剣があのようなことになろうとは……どうしたら簡単に熔けるというのだ」
アレックスは「信じられない」とでもいうような顔付きで溜息を吐きながら、傍らのベッドに置かれている鞘に視線を移した。
そこには鞘に収められたままの長剣(ロングソード)があった。それは彼が普段使っている、柄に精霊石の填め込まれた剣である。
「これは我が先祖である『水の精霊(ウンディーネ)』の加護を受けし、英雄が使用したと言われている剣だ。無論手入れは毎日欠かしたことがなく、簡単に熔けるような刃でもないはずなのだが」
あの時。
短剣を失った私は、素手で『種』を壊そうと決意していた。
だが不意に後ろから、完全に気を失ったアレックスが倒れてきたのである。その弾みで、彼の持っている剣に気付いたのだ。
そして倒れる寸前でそれを振り上げ、辛うじて『種』を斬っていた。
いや、斬ったというよりは寧ろ、触れたと言うべきかもしれない。
ゼリューの言った通り、種はそれだけで粉々に砕け散ったからだ。と同時にアレックスの剣も、触れた刃部分だけがすっぽりと、抜け落ちたかのように熔けてしまったのである。
「だが未だに信じられぬ。まさか俺自身がそのことを、全く憶えていないとは。
この前の出来事といい、一度ならず二度までも記憶を失ってしまうとは、何たる不覚!
ディーンの言うとおり、俺もまだまだ未熟ということか。
やはりこれは後の魔王との決戦に備え、故郷で一から鍛錬を積むしかあるまい」
アレックスは拳を握り締め、いつものように熱く何事かを一人で呟いていた。
が、取り敢えずそれは放っておくとして。
「モンスター・ミストのことだけど……魔物の集まる原因が瘴気だということを、ギルドでは既に把握していたのよね。そのことをルティナも知っていたの?」
「当然だ。その手の情報や噂話の類は、最初の発生時から流れていたらしいからな。ギルドが断定を下したのは、それから数年後のことだ」