第58話 外界
ただ感覚的にいって、ほんの十数秒程度のことだと思う。
それは直ぐに収まった。気が遠くなる寸前で耳鳴りが消え、徐々に力が戻ってくるのを感じていた。
私はようやく顔を上げる。焦点が定まらなくなりそうになる目を必死で堪え、まだ痛む腕を押さえ込みながら、周囲を見渡してみた。
最初に飛び込んできたのは、目映い発光。
ゼリューが輝きに包まれていた。そして飲み込まれ―――瞬間で消える。
まさに消えた。消失したのだ。
輝きが増し、その姿を目視で捉えることが出来なくなった途端、光もろとも煙のように消え失せていた。
私は呆気にとられていた。だが疑問に思う間もなく。
耳元をくすぐるような音。今まで感じられなかった動く気配。頬を撫でるような冷たい感触。
風だ。冷たい風が全身を通り過ぎていく。
周囲もいつの間にか暗くなっていた。だが完全な闇ではない。
徐々に薄くなりつつある星々の瞬きと、ぼんやりとした明るい空。先程まで生い茂っていた木々に葉はなく、そのシルエットを浮かび上がらせている。
(これは……)
今の季節。見慣れた光景に思い当たる。
恐らく外だ。私はいつの間にか『外』へ出ていたのだ。
「う……」
その呻くような声で視線を戻すと、アレックスとエドの二人が並ぶように倒れていた。
「エド、アレックス」
私は這うようにして、二人の側へ近付いていく。
エドは完全に気を失っているようだった。
先程のような安らかさはなく、苦悶の表情に変化していた。しかし呼吸のほうは安定しているので、多分心配はいらないだろう。
アレックスも同様に険しい顔で倒れている。しかしこちらには、意識があるようだ。
「エリス……君は……」
彼は億劫そうに片目を開けると、呻くように苦しそうな表情で視線だけを傾けた。
「私なら大丈夫。それより」
禍々しい気配。これは―――。
私の目は、元凶である黒い球体を捉えていた。
先程よりも大きくなっているような気がする。
宙に浮いていたはずの下先端部が、今では地面にめり込んでいた。あたかも最初からそこへどっしりと、根を下ろしているかのようにも見える。
その直ぐ脇では、ルティナが俯せで倒れていた。
動く気配はなかった。もしかしたらエドと同様に、気を失っているのかもしれない。
ここで私はハッと気が付き、自分の手を確認してみた。
思った通りだ。
私がゼリューにかけられた術は、まだ消えてはいない。だから私だけ意識もはっきりし、起き上がることもできたのだ。
『瘴霊の種』は、まだ残っている。
何故かゼリューが消え、この場で動けるのは私だけ。
だとすれば。
私は近くに落ちていた短剣を拾うと、腰の鞘にしっかりと収めた。
ゆっくりと立ち上がる。途端、立ちくらみがしてよろけてしまう。
が、何とか地面に踏みとどまった。それにまだ少し脱力感も残っている。気を抜くと倒れてしまいそうだ。
しかし今はそれどころではない。このままでは、大変な事態になるかもしれないのだ。
『もしこれが外へ出た時に、周辺にいる下位クラスの魔物を取り込み続けてしまったなら、被害はこの付近だけでは済まなくなるだろう』
彼の言葉を思い出していた。
私は地面を踏みしめるように歩き出す。
が。
何者かに左足を捕まれ、勢いよく顔面から倒れ込んでしまった。
私は擦り剥けた鼻の頭を押さえると、衝撃で涙の滲んでしまった瞳を後ろへ向けた。
そこにはアレックスがいた。俯せの状態で、私の足首を掴んでいる。
「君は……何処へ……」
彼は荒い呼吸を繰り返し、血の気の失せた顔には大量の汗も流していた。しかし起こした碧瞳は、私を真っ直ぐに捉えている。
「私は」
その瞳に答える。
「私はみんなを助けに行く」