第51話 瘴気の森1
道のない場所をただひたすらに、私は気配の感じる方向だけを目指していた。
途中で何度も遠ざかりそうになってしまい、その度に補正しつつ歩いている。
足を踏み入れてから一時間くらいは経過しているが、一向に景色の変わる様子もない。
しかも何だか先程から、同じ場所をグルグルと廻っているような気も―――いやいやいや、ここで弱気なことを考えてはいけなかった。
瘴気はそのような「隙」が生まれる瞬間に入り込んで、精神を狂わせるという話である。例えあの魔物の術で防いでいたとしても、なるべく「ポジティブ思考」で行かなければならないのだ。
私はそのことを肝に銘じながら、慎重に茂みを掻き分けていた。
そんなことを色々考えている間にも、ようやく薄暗かった空間から一転、目映い光が飛び込んでくる。
すると急に黒い影が、視界を遮ってきた。次いでソレと目が合ってしまう。
ひとつ瞬きをする、大きな黒いつぶらな瞳。
突然のことに吃驚した私は、腕を思いっきり振り回しながら悲鳴を上げてしまった。そんな私に更に驚いたのか、ソレは慌てた様子で……しかし風船のようにふわふわと、上空へ浮かび上がっていく。
「君は……やはりまだ居たのか」
溜息混じりの声とともに、視界の戻った私の前に現れたのは、黒い翼の魔物だった。
「結界の開いた気配がないから、まだ中に居るとは思っていたが……ここに来るとはな」
「あなたは一体ここで、何をしているの?」
私は反射的に尋ねていた。
目の前にあるのは奇妙な光景だった。
魔物の前には黒くて大きな球体が、地面すれすれの位置に浮かんでいる。
大きさは彼の身長と同じくらいで、一見すると丸い形状の球である。しかしよく見れば霧状になっていて、その集合体が球状に形作っているようにも見えた。それらが全体的にゆらゆらと、小刻みに揺れている。
更にその一端が紐のように、魔物に向かって細長く伸びている。魔物のほうはそれを受け止めるかのように、両手の平を胸の前へ突き出す体勢だ。
「それはこちらのセリフだ。俺のかけた術が有効な間に、ここを離れているはずじゃなかったのか。それに今まで何をしていた。あれから随分時間は経っていると思うが」
「それは……あなたにいろいろ尋ねたいこともあったし。だから今までずっと迷路のような、あの森の中を彷徨っていたのよ」
「迷路のような森の中?」
彼は怪訝そうな表情を浮かべながら、眉根を寄せた。
「一応用心のために軽い足止め程度の罠ならば、入口に仕掛けてはいたが……しかしそれは、外部からの侵入者対策用だ。中心地であるこの場所や周辺部、出口には何も置いてはいない。
それに君が先程居た場所からここまで、直線距離にしたとしても、ものの五分とかからないはずなんだが」
「………」
「………」
やはりそうかっ!
辺りに充満している瘴気のせいで、方向感覚まで狂わされていたのだッ!!
「それより……いや、だが丁度いいかもしれない。君にも手伝ってもらう」
「手伝う? 一体何を」
私は驚いて訊き返していた。
魔物――しかも上位クラスが人間に頼み事をするなんて、有り得ない。
「この中心にあるモノを破壊してほしい」
「中心?」
私は黒い球へ出来るだけ近付き、覗き込む。
中心にあるのは鈍い光を放つ精霊石ほどの、小さな黒いガラス玉のようだ。それが周囲で蠢く黒い集合体の隙間から、見え隠れしていた。
まるで霧の渦が、ガラス玉を包み込むような形で存在している。
「これは『瘴霊の種』と呼ばれるものだ。これがこの付近一帯の瘴気を生み出している源泉だ」