第43話 彷徨う者たち1
一面の白濁色。
全身に纏わり付くような、ヒンヤリとした空気。
ここにあるのはそれだけだ。
周囲は何も見えず、視界が非常に悪い。方向感覚もまるで役に立たない。
加えてこの中には、強い気配が充満していた。
それは外にいた時から感じていた気配。無論、あたしの眼もずっと疼いている。
そのせいで、それ以外の「気」を感じ取ることもできなかった。これでは一緒に入ってきた敵が何処に潜んでいるのかさえ、探ることも難しいだろう。
それにもう一つ、気がかりなこともある。
実は結界が閉じる寸前で、正体不明の黒い影を目撃していたのだ。
攻撃から逃れるために後ろを振り返った時、それらが数体ほど中に飛び込んできたのが見えた。その時には駆けだしていたから遠くて確かめられなかったが、あたしたちの他にも何者かが入り込んでいる。
だがここがモンスター・ミストの中である以上、いつまでもこの場所で立ち止まっているわけにはいかなかった。それらの問題は一先ず置いておくとして、今は慎重に歩みを進めるしかない。
一体どのくらいの時が経っただろうか。時計を持っていれば確認できるのだろうが、あたしは時間に縛られたくないほうだから、普段から持ち歩かない主義だ。
それでもしばらく手探りで歩いていたのだが、不意に微かな音が聞こえてきた。立ち止まって耳を澄ませてみれば、それは何かのメロディのようでもある。
(敵? ……罠か?)
ここはヤツの空間。
当然あたしたちが中へ入り込んだことも、既に把握しているはず。
とはいうものの、変わらない風景の中を歩くのにも、流石に飽きてきたところだ。例え罠だとしても、ここから抜け出せるのであれば何でも良い。
しばらくすると前方からは、明かりも見えてくる。点滅して光っているようだ。どうやら音はその方向から聞こえてくるらしい。
徐々に視界も鮮明になってきた。
そこには辺り一面、緑色の景色が広がっていた。
霧もいつの間にか晴れていて、あたしは少し拓けた場所に立っていた。
足下には膝丈ほどの草が、地面を覆い隠すかのように生えている。この場を囲むように、鬱蒼と生い茂っている木々も立ち並んでいた。
周囲をざっと見回しただけでも、季節感が狂っているのが分かる。
上を見上げてみると、青空も広がっていた。季節ばかりか、時間までも狂っていやがる。
ここはやはり、結界の中なのだ。
「あ、ルティナさんです~」
「何? ルティナ??」
声主たちを見れば、エドとアレックスがそこに居た。
エドは木に凭れるようにして竪琴を弾き、アレックスはその前でこちらに背を向けて立っていた。
「おお、君ともようやく出会えたな」
「おい、あんたたち、こんな場所で何をしている」
あたしは訝しんで、彼らに近づいていった。
「僕はいつの間にか~エリスさんとはぐれてしまい~一時間以上も白い場所を~彷徨っていたのですが~ようやくそこから~抜け出せたのです~。
本当はそのまま~エリスさんを探したかったのですが~方向音痴のエリスさんのことなので~行き違いにでもなったら大変ですし~そのようなこともあって~もしかしたら近くに~いるかもしれないと思い~音楽と灯りで導くことを~思いついたのです~。そうしたら~」
「俺も導かれて、ここへやってきたという訳なのだ。やはり君も、そうなのだろう?」
「あれ、ルティナさん~どうされました~?」
あたしはその場に四肢をついていた。突然、極度な疲労感に襲われてしまったのだ。
「それにしても~まさかアレックスさんとルティナさんが~近くにいるなんて~知りませんでした~」
「うむ。あとはエリスだけだが、しかし……」
「そうですね~。
先程のアレックスさんの話だと~エリスさんはどうやら無事なようなので~一先ず安心をしているのですが~しかしエリスさんの方向音痴は~筋金入りですから~。もしかしたら~また隣村に~行ってしまわれているかも~しれません~」
「隣村?」
あたしは地面から顔を上げて、エドを見上げた。
「ここはモンスター・ミストの中だ、外には簡単に出られない。あんたとエリスは結界を破れないのだろう?」
「はい~破れるのはアレックスさんだけです~。
でも~モンスター・ミストの中とは一体~どういうことなのでしょうか~?」
彼はあたしの問いに答えると、吃驚した表情で首を傾げている。
「まさか、気付いていなかったのか? あんたたちは走って、この中へ入って来たんだぞ」
「そうだ、エド。確かに君たちは俺の呼びかけにも全く答えず、横を素通りしてこの中へと入っていった。俺はそれを追いかけてきたのだ」
「えええぇぇ~!? 本当ですか~??
僕は~敵に追いかけられて~命からがら逃げていたのですが~その時に隠れられそうな場所を~何とか見つけ~夢中でその中へ~飛び込んで行きました~。
敵から逃げるのに必死で~アレックスさんたちのことなど~全く気付かなかったです~」
彼は裏返った声を上げ、更に驚いていた。この様子では本当に、気付いてなさそうだ。
「それにしてもここが~モンスター・ミストの中なのですね~。では~あの白い場所も~霧の中だったという訳ですか~。納得です~」
エドは周辺を感慨深げに見回すと、そんな感想を述べた。
「となると~昼間の結界とは違って~桁違いの規模ですね~。
このような空間を~創り出すことができるとは~一体どのような~魔物なのでしょうか~。
ルティナさんは~知っているのですか~?」
「……ああ」
あたしは短い返事をするとそのまま立ち上がり、歩き出す。
先程霧の中を抜けた途端、この方角で更に強烈な気配を感じていた。
場所を移動する度に、左眼の疼きも段々と非道くなっていくのだ。
恐らくそこにヤツがいる。あたしは確信していた。
「ルティナさん~待ってください~。突然、何処へ行かれるつもりですか~?」
二人が走ってあたしを追いかけてくる。
彼らにはこの気配が分からない。何故なら、人間である彼らには感じ取ることのできない、魔物特有のものだからだ。
雌の放つフェロモンに引き寄せられる生殖時の昆虫のように、特に下位クラスの魔物はそれに惹かれやすい。
あたしは彼らが近づいてくるのを見ると、足を止めた。
「あんたたちはエリスを見つけたら、直ぐにでも外へ出るんだ」