第42話 魔物の霧2
あたしは着ている道着の内ポケットから、光属性精霊石と『精術札』を取り出した。そして石を重ね合わせ、意識を瞬間的に集中させる。
精霊名を唱えると同時にカードが消え、代わりに光球がひとつだけ現れた。
「ほら、目的地が見えているぞ。すぐそこだ」
彼の抗議を軽く無視したあたしは、浮遊させているソレを前へ掲げてみせた。アレックスは「む…そうか」と呟きながら、釣られてそちらを見遣る。
前方一面、広い範囲にまで広がっている白濁色の濃い霧。木々の隙間から光球に反射し、その姿をくっきりと浮かび上がらせていた。
それがモンスター・ミストだ。
あたしはこの方向から、ずっと強いエネルギーを感じていた。近づくにつれ、あたしの眼の疼きも徐々に強くなっている。
下位クラスの魔物が集まってくるのは、その影響であり本能的なものだ。
とはいえ、この付近で魔物が彷徨いている様子はなかった。ここへ辿り着く前に、投入されている他の術士たちに狩られているからだ。
それに見張りの騎士も居ないようだ。もっとも、今までも見張りを置いていなかったから、今回も居ないだろうとは思っていたが。
周囲では術士が戦っており、この場所へ近付く魔物やヒトも殆どいない。仮にいたとしても、両者とも霧の中へは入ることができないのだから、余計な人員を割いてまで見張りを置く必要がないのだ。
「成る程。これが例の何とかミストとかいうやつか」
アレックスはモンスター・ミストの前へ立つとしばらく観察していたが、おもむろに右手を前へ突き出した。
するとそれを中心にして、霧は逃げるように外側へ弾かれていく。
その部分だけ穴が空くような形になった。昼間戦った魔物の結界は完全に破壊できたが、どうやらこの場合、そこまでには到っていないようだ。
だが中へは入れそうだった。それだけでもあたしには十分役に立つ。目的はあくまでも、中に居るヤツを倒すことだけだからだ。
―――と、背後の森から爆発音のようなものが聞こえてきた。
かなり近い。何処かの術士が付近で、戦っているのかもしれない。
「よし、俺も加勢に行くぞ!」
「って、待てぃッ! こっちの仕事のほうが最優先だ!!!」
同じように音を聞き付けたアレックスが、早速駆け出そうとしたが、寸前で押しとどめた。なんて血の気の多い男だろう。
「む、仕事だと? 俺に何をさせるつもりだ」
「簡単なことだ。そこから後ろへ移動してみてくれ」
「? ……こうか??」
彼は言われるまま素直に移動した。丁度霧の中へ身体ごと、突っ込むような格好になる。
案の定それは彼を避けるかのように、周囲へ弾かれていった。先程手を突っ込んだ時よりも、遙かに大きな穴が空く。
「じゃあ、あんたはしばらくここにいてくれ。そうすれば直に、他の二人とも合流できるはずだ」
「何? 君はどうする気だ」
「あたしは先に行っている」
「何だと!? ならば俺も同行するぞ!」
「いや、今は大丈夫だ。あんたはあの二人を待っていてくれ」
「しかし……俺も君の手伝いをしたいのだ。それが果たさねばならない、英雄としての義務でもあるからな」
アレックスは真剣な表情でじっとこちらを見据えてきたが、直ぐに視線を逸らすと大袈裟な溜息を吐いた。
「とはいえ今の俺は、遅れてやってくる仲間を待たなければならない。
英雄としての責務と、大切な仲間を待つという役目。
ぐぬぬぬぅ…ここで苦渋の選択を迫られることになろうとは!」
彼は右手に握り拳を作ると、それに向かって心底悔しそうに顔を歪ませていた。
しばらくこの男と行動を共にして分かったことだが、考え方や動作の一つ一つが、どうも大袈裟すぎるようだ。
あたしは呆れつつも、彼に提案した。
「だったら二人と合流してから、あたしの後を追ってくればいいだろう」
「おおっ! 成る程、その手があったかっ!!!
確かにそれならば、両方の実現が可能だ。
うむ、流石はルティナだ。実に合理的な考え方だ!」
アレックスは急に何かに目覚めたかのように、顔を輝かせていた。
しかしこの男と長時間話していると、何故か疲れる……。
―――森のほうでは、再び爆発音が聞こえてきた。
今、他の術士に見つかるのはまずい。こんな場所で、ぐずぐずしている時間はない。
あたしは急いで、穴の空いた結界へ入ろうとしたのだが。
「おおっ! 君たち、ようやく来てくれたか」
アレックスの嬉しそうな声がしたのと同時に、バタバタと複数の激しい足音も聞こえてきた。
(! もう来ちまったのか)
正直、あたしはあの二人がこれほど早く、この場所まで辿り着けるとは思っていなかった。
村からここまではそう遠くない距離だが、乱戦の中をかいくぐらなければならない。だからどうしても、迂回しなければならなかったのだ。
振り向けば少し後方の暗がりで、複数の光がこちらへ近付いてくるところだった。前方には激しく動いている光と、後方には複数の光球が見えた。
それに照らし出されている顔を見てみれば、何故か必死な形相のエドを先頭に、続いてエリスもこちらへ駆けてくる。
だがその背後には―――。
「強硬風拳!」
術文を唱え、あたしは前へ飛び出していた。
あたしの術を纏った拳を、奴は二本の短剣で真正面から受け止める。奴の踏ん張っている両足が、放たれた重い拳により地面へめり込んでいく。
「ちぃっ、もう少しで殺れたものを!」
相手が忌々しそうに舌打ちをした時、
「おい、君たち、何処へ行くのだ!?」
アレックスが何事か叫んでいる声が聞こえてきた。
敵から意識を逸らさずに横目で見ると、駆けてきた二人の背中が霧の中へと、消えていくところだった。直後、彼もまた彼女たちを追っていく。
アレックスという「解錠器具」を失った霧は、徐々にそこも侵食しつつあった。再び結界が閉じられようとしているのだ。
このままではまずい。
あたしは咄嗟の判断で相手を押しのけると、後方へ大きく飛んでいた。