第39話 悪夢
第4章 追跡者2(ルティナ編)
炎―――。
辺り一面、火の海だった。
幼いあたしがその中を彷徨っている。
(お父さん、お母さん……何処?)
あたしは何度も瓦礫につまずき、充満している煙で噎せ返りながらも、両親の姿を探し求めていた。
その最中、破片か何かに引っ掛かったのだろう。既に片方の靴が脱げ、足の裏も血だらけになっていた。
歩く度に痛みも伴ってきた。だがあたしは、沸き上がってくる不安感とともに、小さな身体で必死に耐え続けている。
しばらくすると、煙の隙間から黒い影が姿を現してきた。
少し浅黒い日焼けした肌に、漆黒の流れるような長髪。彫りの深い端整な横顔。
見知った顔だ。
ゼリュー。
一人心細かったあたしは安堵して、その男に駆け寄ろうとした。
が、ここで異変に気付く。
彼はそこへ佇んだまま、足元をじっと凝視していたのだ。
視線の先を何気なく辿ったあたしは、それが視界に入った途端、足を止めていた。
そこには折り重なるように倒れている、両親の姿があった。側にいる彼の指先からは、滴り落ちる赤い液体。
一体何が起こっているのか分からなかった。ただ頭が混乱して、そこで制止しているだけだ。
だが気付いてしまった。
ヤツの背に、黒い大きな翼が生えていることを。
(―――!! 魔物!!?)
魔物なら見たことがあった。行商人である父の雇った護衛術士が、あたしたちの目の前で戦っていたからだ。
それらは全てヒトとは違う、異形の姿をしていた。そして人間に変化する魔物がいることも、以前から話には聞いていた。
ゼリューはヒトのような容姿をしていた。しかし人間には翼が生えていない。
その上『人間』だった頃にはなかった、刺青のような模様が、頬付近に浮かび上がっている。
不意にヤツが、ゆっくりとこちらに顔を向けた。
真紅の双眸。
今までに見たことのない、射貫くような冷たい瞳。
いつも優しく微笑みかけてくれる、そんな眼差しではない。
それ以外を、あたしは知らない。
目があった途端、あたしは急に恐ろしくなった。思わず後ろへ身を動かしていた。しかし落ちていた瓦礫に足を取られ、転んでしまう。
この場から逃げ出したかった。だが身体は動いてくれない。
そこには両親の姿が見える。もう動かないであろうことは、幼いあたしにも直感で分かっていた。
―――それをやったのは誰だ。
殺したのは誰だ。村を焼いたのは誰だ。
……誰だ……誰だ……―――。
「っ!? ぐ……っ」
熱い……。
……痛い!
あたしは声にならない悲鳴を上げながら、左眼を押さえてその場へ蹲っていた。何か異物のようなものが暴れ出し、そこから強引に這い出してこようとでもしているかのようだった。
……助けて。
痛いよ。
お父さん、お母さん――。
先程の光景が浮かび上がってくる。
これはきっと夢だ。悪い夢だ。
目が覚めれば、そこにはいつものように両親が居る。
あたしの頭を撫でながら「もう大丈夫だよ」「お父さんたちが居るから、安心していいんだよ」と言ってくれる。
気付いた時あたしは、両手首を強い力で押さえ込まれていた。はっきりしない頭で、それを眺めていた。
痛みと熱さで意識が朦朧としている。
虚構と現実の認識が曖昧になっていた。視界も真っ赤に染まっていた。
だが視線は、手首を掴んでいる腕に傾けられていた。
それを辿るかのように、ゆっくりと顔を上げる。
殺したのは誰だ。
村を焼いたのは―――。
「―――ナ………さいよ」
強い力で揺り動かされたあたしは、突然現実に引き戻された。
「もう出発する時間なのよ」
目の前には覗き込んでいる彼女――エリスの顔があった。
あたしは左眼を押さえながら、むくりと起き上がる。手の平に当たっているのは、いつもの感触。
「ちょっと、あんたたちもほら、さっさと起きなさい」
彼女は直ぐに場所移動をすると、狭いソファーで折り重なるように、仰向けで寝ている二人のことも起こしにかかっている。
だが二人――アレックスとエドは、強く揺さぶられていても、一向に起きる気配がなかった。
一体どんな夢を見ているのか。二人とも幸せそうな顔でスヤスヤと、気持ち良さそうに熟睡していた。全く呑気な奴らだ。
エリスが揺すっていた手を、ぴたりと止める。そして息を静かに吸い込み、深く吐き出したかと思った瞬間。
「はっ!!」
ドゴッ!!!
気合いを入れるかのような掛け声とともに、二人の顔面へ両拳を垂直に、勢いよく振り下ろしたのである。
流石のあたしでも、その光景には目を疑っていた。
何故なら彼女の正拳突きが、素人にしてはかなり綺麗に決まっていたからだ。
―――て、いや! ……勿論、そんな理由ではなく。
彼女は何処にでもいるような、普通の少女にしか見えない。乱暴な行動を起こすとは思えないほど、外見上では十代半ばくらいの、ごく平凡な少女だ。
「おい、どんな起こし方をしているんだ。二人とも鼻から流血しているぞ」
「あら、手っ取り早く目覚めさせるには、この方法が一番効果的なのよ。
故郷ではこのやり方で、なかなか起きてくれない父を毎朝起こしていたし。
でもシーツも汚れちゃうから、毎日の洗濯が大変なのよね」
振り向いたエリスはにこやかな表情で、平然とそんなことを言ってきた。
これでは娘に起こされる父親のほうも、毎日が災難だ。永遠に目覚めなかったらどうする――というようなことを、彼女は考えたことがないのだろうか。
(てことはまさか、あたしもさっき目覚めていなかったなら……)
ようやく目を覚ました彼らを眺めながら、まだぼんやりしたままの頭で考える。




