第32話 つかの間の休息2
無表情な顔のマスターがテーブルの上に、無言で黒豆茶入りのカップを四つ並べていく。
メニューにはアイスとホットの両方が書かれており、私たちは四人ともホットを頼んだ。
室内は片隅に置かれている、古ぼけた小さな暖炉のお陰で少し暖かかったが、外は肌寒い。やはりこの季節、身体の暖まるものが欲しくなってくるのは自然の摂理といえよう。
目の前に置かれているものは世間一般で広まっている、ごく普通の黒豆茶。黒々とした液体が小さなカップへ、なみなみと注がれている。
黒豆茶というのは、苦味のある黒豆から抽出されるお茶のことだった。そこへは、たっぷりのミルクと砂糖を加えるのが常識である。それが苦味と上手く調和され、芳醇な香りを漂わせるのだ。
しかし目の前にあるソレは、少し違っていた。
湯気とともに立ち上っている香りも、確かに普通のお茶である。
が、一口飲めば舌先には、ざらりとした感触が伝わってきた。それだけで言うならばまるで、砂を間違えて舐めてしまったかのようでもある。
加えてともかく苦かった。普通なら、黒豆本来の味と上手く混ざり合うために美味しいはずなのだが、これは甘味と苦味が分離しているかのようだ。
恐らく液体が豆から抽出しきれずに、苦豆そのものも中に混ざってしまったのかもしれない。このお茶は茶殻を完全に取り除かなければ、不味くなるのだ。
一口飲んだだけで思わず、吐き出しそうになってしまった。しかしルティナがカップを持ったままで、先程からこちらをじっと見ている。そのことに気付いていた私は、何とかそれを踏み止まった。
(取り敢えず、飲めないことはないのよね)
何かの罰ゲームだと思い込むことにした私は、目を強く瞑ると、それを思い切って喉に流し込んだ。奥へ異物が入り込んでしまったかのような感触だった。
隣にいるエドのほうに、ふと眼を向けてみる。私と同様に苦しそうな表情で、カップへ恐る恐る口を付けているところだった。こちらに向けられている彼女の視線には、彼もやはり気付いているらしい。
一方アレックスはといえば、「独創的且つ斬新な味だ」と言いながら、珍しいものでも見るような顔付きで飲んでいた。
そんな私たちのことを見届けた彼女は、そこでようやく視線を外してくれた。
実を言うと私は猫舌なのだが、無理矢理熱いお茶を飲み込んでいたのである。お陰で喉の奥や舌が少し、火傷をしてしまったかもしれない。心なしか、視界もぼやけているようだ。
「ようやくこれで、落ち着いてきたな」
ルティナはカップ中のお茶を一気に飲み干すと、軽く息を吐きながらそう口を開いた。
彼女は全く表情も変えずに飲んでいた。しかもその後で三杯も、お代わりをしているのだ。
「上に居ると、こちらへ向けられる視線が気になって、かなり居心地の悪い思いをしていたからな」
と、ちらりとアレックスのほうを一瞥する。
ルティナも注目される原因が、彼だということには気付いているようだった。気付いていないのは、本人だけである。
「それより、ちゃんと説明をしてくれないかしら」
「ん? ……ああ。
あたしたちの出陣は、日の落ちる夕方頃だ。それまではゆっくりと、身体を休ませておくんだな」
「いえ。討伐隊ではなくて、モンスター・ミストの話よ。モンスター・ミストを破壊する、本当の理由が聞きたいの」
私は彼女の右目を真っ直ぐに見据えた。
「それは世の人々を助けたいと願う、善意の想いからではないか。さっき話していたことを、君は聞いていなかったのか?」
「じゃなくて……っていうかアレックス、今は黙っていて。ルティナと話しているんだから」
アレックスが言っている理由は、エドが吟遊詩人として話の内容を少し誇張し、いつもの思い込みで間違った認識をしているだけにすぎない。私はルティナの口からは一言も、そんな話を聞いてはいないのだ。
私はエドにも口を挟まないように言うと、意外にも二人とも素直に了承してくれた。
途中で彼らに口を挟まれると厄介なことになりそうだったので、先に釘を刺しておいたのだ。これで当分は大人しくしてくれるはずである。
私の真剣な眼差しを受け取ったルティナは、何かを諦めたような表情で深い溜息を吐くと、自身の頭を左手でカリカリと掻いた。
「それはあたしが、あの中にいるヤツに用があるからだ」
「あの中っていうと、モンスター・ミストの中ということ?」
「そうだ」
私は一瞬黙り込んだが、直ぐに疑問に思ったことを口にした。
「さっきルティナは、モンスター・ミストの中にいるのが『魔物』だと言っていたわよね。何でそう言い切れるの? その根拠は?」
私の質問で、今度はルティナが黙り込む番だったが、ややしてから重そうな口調で答えた。
「あんた、あたしの仕事を言ってみろ」
「へ? 魔物ハンター……でしょ」
「それが全ての答えだ」
そう言うと彼女は椅子の背もたれに身を預け、両腕を組んで再び黙り込んでしまった。目を閉じた彼女の次の行動をしばらく待ってみるが、それ以上の反応はない。
魔物ハンターは、魔物を狩るのが専門の職業である。
当然、私のような半人前の術士では知り得ない情報を持っていても、何ら不思議ではないのだが。
私はまだ、納得のいかない思いを抱いている。
とはいえ彼女の様子を見れば、これ以上の答えを聞き出すのは難しいだろう。




