第31話 つかの間の休息1
(うわ、マズっ)
私はそれを口に入れた途端、思わず顔を顰めていた。
その場所は温泉街の外れにある、あまり綺麗とは言い難い建物の一角にあった。
人ひとりがやっと通れるくらいの、薄暗くて狭い階段。地上から下っていくと、一枚の扉が現れる。
そこに掲げられていたのは古ぼけた小さな木製板で、表面には『喫茶フェアリー』と書かれていた。
しかし内装は「フェアリー(妖精)」という名には、ほど遠かった。
狭い店内にあるのは小さなカウンター一つに、五つテーブルが並んでいるだけのシンプルなもの。
誰の作品だか分からない絵画が壁に掲げられていたり、花や観葉植物が生けられていたり、吟遊詩人による緩やかな調べが店内を流れていたり―――というようなことも全くない。
ましてや、『妖精』から連想されるようなファンシー系調度品なども一切なく、何故そのような名を付けたのかと、疑問に思わずにはいられない店だった。
その上、出てきた料理も不味い。
運ばれてくる時間はそれ程遅くはなかったし、見た目も悪くはないのだが、一口食べただけで辟易するくらいの不味さである。
メニューの種類もあまり豊富ではなかった。パスタも三種類しかなくて、他にはサラダとトーストがいくつかあるだけなのだ。飲物も香茶と黒豆茶、フルーツジュースくらいしかなかった。
私たちはこれから討伐隊へ参加するということで、少しでも腹の足しになりそうなもの――パスタを注文していたのだが、まさかこれほどまでに不味いとは思わなかった。
私が頼んだのは海鮮パスタなのだが、麺が水っぽい上に、歯ごたえの全くない食感なのである。
当然の如く、私はそのままフォークを置いていた。
「なんだ、もう食べないのか」
目の前で同じように食事をしているルティナは、そんな私に気付くと睨んできた。
もしかすると怒っているのかもしれない。何故ならこの食事が、彼女の奢りだからだ。
「ごめんなさい……ちょっと食欲が湧かなくて。疲れているのかも」
肩を窄めながらも、申し訳なさそうに言い訳をする私。
「僕もちょっと~食欲ないです~」
隣で食べているエドも眉を顰めつつ、どさくさに紛れて便乗してきた。彼は普段であれば人一倍食欲旺盛なはずなのだが、流石にこの料理には手を付けられないようである。
「何!? エド、君が食べないとは珍しいな」
その前では海鮮パスタにかぶり付いているアレックスが、吃驚した表情でエドを見詰めていた。因みに彼は、「今までに味わったことのない珍味だ」と言いながら食べている。
彼女のほうは、こちらの苦し紛れの言い訳に気付いている様子もなく、私たちの皿を両手で掴むと、無言でその中身を自分の皿へと移し替えていた。
彼女はこんな不味い物を、二人分も追加で食べようというのか。
しかも私が注文したのは海鮮パスタであるが、エドはホワイトパスタ、ルティナはミートパスタである。
異種類のものを一つの皿へ同時に放り込み、更には満遍なく掻き混ぜているのだ。それらは食欲の削がれる色へと、明らかに変化しつつあった。
これは完全に怒っているのかもしれない。
「それなら、飲物はどうだい?」
「え?」
「少しくらいは腹に入れておかないと、これから先の体力が持たないぞ。旅を甘く見るな」
彼女は私たちにそう忠告すると、再びソレらを黙々と食べ始めた。
(あれ。もしかして、怒っているわけじゃない……のかな)
言葉はかなりぶっきら棒だったが、こちらを責めている様子ではないような気がする。
私はしばらく迷っていたが、折角なので彼女の言葉に従うことにした。
他の三人も頼むというので、私がマスターに声を掛ける。今までカウンターの中で新聞を読んでいた彼は、早速準備に取り掛かった。
しかしこのマスターも、ルティナ以上に愛想がなかった。
年齢は大体三十~四十歳代くらい。ドッシリとした大柄な体型に、口から顎にかけて毛むくじゃらな赤髭に覆われていた。
これで大きな荷物を背負っていたならば、完全に山男である。或いはヒトであれば熊、魔物であればベアベアに間違われる山男、といった具合か。
何れにしても、確実に客商売をしているようには見えない。
おまけに出てくる料理も不味い。
それらのせいだとは思うが、客は私たち以外には誰もいなかった。
他に従業員もいないようだし、この状態で店が潰れたりはしないのだろうか。不思議に思った私は早速、ルティナに尋ねてみた。
「このお店って一体、何年前から営業しているの?」
「は? 何故それをあたしに訊く」
ルティナは口へ運んでいた手を止めると、吃驚したような顔で私を見詰めた。
「だってルティナは、あのマスターと知り合いなんでしょ」
「おい、いきなり何故そう思うんだ。あたしはあのマスターの知り合いでも、この店の常連でもないぞ」
「え。じゃあルティナはこのお店のこと、何で知っているの?」
私は驚いて訊き返していた。
地上に店の看板は見当たらなかった。故に知り合いや常連でもない限り、この場所を知ることなどあまりないような気がしたのだ。
「ここはこの前訪れた時、ギルドから紹介してもらった店だ」
「ギルドから紹介って……えっ!? ギルドって、そんなこともしてくれるの??」
「それは初耳です~。僕も知らなかったです~」
私とエドは同時に驚きの声を上げていた。
「ああ。格安の宿とか郷土料理の美味い店とか、尋ねれば一応教えてくれる。
だが提携店を無作為に選んでいるだけだから、当たり外れも多い。だからあまり期待はできないけどな」
ルティナはそう続けたが、私にとっては良い情報だった。いつか私もそのシステムを、利用する時が来るかもしれない。
「でも『当たり外れが多い』と言っておきながら、ルティナがまたここに来ているのは、どういった訳なの?」
何となく小声になりながら、彼女へ更に訊いてみた。私にはどう見てもこの店が、「外れ」としか思えなかったからだ。
彼女は手に持っていたフォークを再び休めると、怪訝な表情を浮かべながらこちらへ視線を向けてきた。
「だからさっきも言ったように、この前紹介してもらったのを思い出したからだ」
「思い出した……って、それだけの理由?」
「それだけだが、他に何かあるのか?」
「そりゃあ、ここは喫茶店だもの。料理が美味しいからまた食べたくなったとか、店の雰囲気が良かったからとか、そういうのもあると思うのだけど」
「料理、か……まあ、不味くはないと思うが」
「えっ!??」
私とエドが再び声を上げた。カウンターで作業をしていたマスターが私たちに反応して、顔をこちらへ向けたようだったが、直ぐにまた戻っていった。
「どうかしたか? 変な声を出して」
ルティナは私たちの顔を凝視しながら、眉根を寄せている。
「……いや、ええっと……」
「な、な、何でもないです~。ルティナさんは~僕たちのことなど構わずに~食事を続けてください~」
どうやらエドが珍しく、空気を読んだようである。
彼女はまだ訝しんでいるようだったが、直ぐに食事を再開した。