第17話 この状況で
「ともかく二人とも、安全なところへ避難しましょう」
あの魔物たちが彼女に気を取られている間に、何とかここを脱出しなくてはならない。
私とエドは立ち上がり、逃げようとしたのだが。
「アレックス、どうしたの? 早く逃げないと…」
彼は座り込んだまま、全く動こうとしなかった。俯いているのでその表情は見えなかったが、しかし何やらぶつぶつと呪文のように呟いている声が聞こえてきた。
「まさか俺が……このようなところで……あのような輩に……」
「ぐわぁぁぁっ!! またコイツはぁぁぁ!!!」
「エ、エリスさん~落ち着いてください~!」
私はこの場で思わず頭を掻きむしりながら、身悶えしてしまった。
アレックスはまたこのような状況の中で、一人落ち込んでいるのだ。一人で落ち込むのは一向に構わないのだが、時と場所を考えてほしい。
ともかく彼が一旦こうなったら厄介である。周囲の言葉など、殆ど聞き入れなくなるのだ。
ここにディーンでもいれば上手く宥めてくれたかもしれないが、生憎今は別行動中だった。
「アレックスさんも~、しっかりしてください~!」
エドがアレックスを強く揺さぶって正気に戻そうと試みているのだが、効果はなさそうである。
その間にも瓦礫の破片や、先程のような流れ弾も時々落ちてきていた。直ぐに正気の戻った私の防御術で今のところ防いではいるものの、私も逃げられるだけの体力や気力は温存しておかなければならない。そのため、いつまでもこの状態ではいられなかった。
これは一番手っ取り早い方法で、アレックスを目覚めさせなければ。
「エド、退いて!」
落下物が来ないタイミングを見計らった私は、押し退けるようにして急いでエドを退かすと――。
ドゴッ!
私はアレックスの綺麗な白い頬を、思いっきりグーで殴っていた。
彼は右ストレートをまともに食らい、背後の壁へ上半身を打ち付けていたが、私は構わずにその胸倉を掴んで引き寄せる。そしてよく聞こえるように、その形の良い耳許で怒鳴った。
「いい? アレックス!
今はこんな所でヘコんでいる場合じゃないのよ。
こんな場所にいつまでもいたら、あんた本当に死ぬわよ。そんなことになったら、元も子もないでしょう?
あんたが『倒す!』と息巻いていた魔王だって、永遠に倒せなくなるんだものね!」
「……魔王」
彼の身体が反応するかのように微かに揺れると、色素の薄い金色の前髪が額の上に、はらりと落ちた。
「そうよ。あんたは英雄の末裔だって、自分で言っていたわよね。
つまりあんたの先祖は精霊に選ばれた、特別な人間なの!
だから代々受け継ぐその使命を果たすため、愛する妹のために、魔王の元へ一人で赴いたんじゃなかったの!?」
「そう……そうだった。この俺が……精霊に選ばれしこの俺が魔王を倒すことこそ、リアの……そして我が一族の悲願……!」
彼は突然覚醒でもしたかのように、カッと目を見開いた。そこへ透かさず畳みかける。
「だったら、あんなザコ魔物相手にちょっとやられたくらいで、落ち込んでなんかいられないじゃない。
そんなことをしている暇があるんだったら、少しでも鍛練を積みなさい!
このままだと使命を果たせないどころか、あんたを選んだ精霊や尊敬する偉大な英雄、そして愛する妹にまで愛想を尽かされちゃうわよ」
「――! うむ、そうであった。
このままでは、我が偉大なる先祖、そしてリアに顔向けができん!
……そうだ、俺はここで立ち止まっている時間などなかったのだ!!」
ようやく彼の目に、光が戻ってきたようである。
アレックスはこう見えてわりと、精神的に打たれ弱いほうなのだ。
少し挫折感を味わっただけでもこのように、絶望的なまでに打ちのめされる。とはいえ『一晩眠れば嫌なことはアッサリ忘れられる』という特技があるので、時間が経てば自然に回復をするらしいのだが。
何故アレックスがこのように打たれ弱いのかという理由は、ディーン曰く「挫折を知らないから」だという。
彼は修行で山へ籠もる以外、故郷の村を今まで殆ど出たことがないらしい。それに修行とはいっても、村周辺にいる自分より弱い下位クラスばかりを相手にしてきただけなので、中位クラス以上とは戦ったことがないという。
私も故郷を出るまでは、アレックスと似たようなものだった。しかし私の場合、本格的に修行を始めるようになってからは、師匠でもある父にいろいろと叩き込まれていた。
アレックスの師匠は上のお兄さんらしいのだが、放浪癖があるらしく、二年前に村を出て以来行方が分からないそうだ。
それにこれもディーン曰く「奴は人を教えるということに全く不向きな男だ。だからアレックスにはあまり、一般常識を教えることがなかった。もっとも、全てを彼に任せていた俺たちにも責任はあるのだが」ということである。そのようなことをつい先日、フードを外したディーンがいつものように、爽やかな笑顔で話してくれていた。
「ところでエリス」
正気に戻ったらしいアレックスが何故か背けるように、顔を脇下のほうへ逸らしながら話し掛けてきた。
「そろそろ退いてはもらえないだろうか」
気が付けば私は胸倉を掴んだままで、彼の身体の上に乗っていたのだ。
「エリスさん~アレックスさんをいきなり殴るなんて~乱暴すぎます~」
「なっ……だってこの場合、仕方がなかったのよ」
呆れたように眉を顰めるエドに対して私は勢いよく立ち上がると、慌てて反論する。
どうやら彼を説得するのに熱を入れすぎてしまったようだが、しかし今は些細なことを気にしている余裕はない。




