第16話 接触
「あだっ!」
私は思わず目を瞑ると、潰された蛙のような声を出していた。何かが額に当たったのである。
しかし私は死んではいなかった。目の前に火花が軽く散った程度だ。疑問に思いながらも額をさすりつつ、足元に落ちたソレを見る。
すると。
「??? まんじゅう??」
そこに落ちていたのは、透明な包装紙に包まれた小さな丸い物体一つ。その中心には温泉マークの焼き印まで入っている。
(何故まんじゅうが? まさか剣が変化した……とか)
一瞬そんなことを考えてしまったが、はっきり言って有り得ない。
「貴様は…」
脇から声がした。レグの声だった。いつの間にか私たちの横へ移動していたのだ。
だがそれは、私たちへ向けられたものではなかった。
私は彼の視線の先へ顔を動かした。
暗がりから出てくる人影。
(あ、あれ? あの人)
その人物には見覚えがある。というより昨日見かけたばかりなのだから、直ぐに忘れるはずがなかった。
そこに佇んでいたのは、昨日街中で魔物を殺していた隻眼のモンク(格闘術士)だったのだ。
「貴様は、キラー・アイ……名はルティナと言ったか」
「ふん、あたしのことを知っているのか。その呼び名も有名になったもんだね」
ルティナと呼ばれたモンクは平らな大きめの白い箱を小脇に抱え、白い何かを口に入れながら現れたのである。
先程レグの背後から饅頭を投げ付けてきたのは、恐らくこのルティナなのだろう。黒い餡が口元に付いているので間違いはない。
「昨日の騒ぎを見ていたからな。それに俺たちの間では、貴様を知らない者などいない」
「……成る程な」
ルティナは眼光を宿しながら、口端に付いていた餡を親指で拭うと、ペロリと舌先で舐めた。
「なら容赦はしないよ。かかってきな!」
彼女は視線を彼らのほうへ向けたままで、持っていた箱を素早くこちらに投げ付けてきた。私は突然のことだったので吃驚して、反射的に受け取ってしまう。
開いているその中を覗くと、先程と同じ白い饅頭が六個入っていた。
「この箱~仕切りが三十六個分ありますね~」
エドも私の背後から覗き込んでいる。
三十六個入りの箱の中で、残っているのが六個。ということはあの女性が一人で、三十個も食べたということか。
(あ、三十個じゃなくて二十九個だ。さっき投げた物もあるから)
私は足元に落ちている饅頭を見ながら思う。
「ではこちらとしても、本気を出させてもらおう……ボブ!」
レグはもう一人の名を呼んだ。すると今までアレックスと戦っていた男が、突然レグの横へ姿を現していた。それは一瞬の出来事で、私にはいつ移動してきたのかが速すぎて見えなかった。
「アレックスさん~大丈夫ですか~?」
「ハッ、そうだアレックス!」
私はエドの声で我に返った。饅頭の数などを数えている場合ではなかったのだ。
駆け付けるとアレックスが、建物の背に凭れて倒れ込んでいた。私は素早く身体を調べる。
「どうやら、致命的な負傷はないみたいね」
腕や足など、防具で覆われていない部分が切り刻まれてはいたが、急所の外れている箇所ばかりであった。
「ククク…これから楽しくなるところだったんだがな」
ボブはおもむろに着ているマントを脱ぎ捨てた。
瞬間、なんと彼の形態が変わったのだ。先程まで覗いていた形相が緑色の鱗で覆われ、トカゲのような爬虫類系の容姿に変化したのである。
同様に横にいたレグも変わっていた。昨日殺された魔物と同じように、彼らもまた人間に化けていたのだ。
ボブがそのまま腕を上げると、辺りの「気」が一変したように感じられた。
夜でもないのに一瞬で暗くなる。
空から降り注いでいた陽の光が、厚い雲に覆われてしまったかのようだ。しかし上を見上げれば雲一つない。なのに視界が突然、モノトーンに変異したのである。
肌がビリビリと痺れるほどに、張り詰められた気の流れ。まるで異界にでも迷い込んでしまったかのような、明らかに異質な感覚。
「な…!? これは…」
先程までしていた通りの向こうの喧騒も聞こえなくなっている。
私はこのような体験をしたことがなかった。だが講義の時間、父から話に聞いたことはあった。
中位クラス以上が得意とする、結界術。
これを創り出すのには、多大な精神エネルギーと精霊力が必要とされるらしい。ボブが自身に掛けていた術を解いたのは、恐らくこれのために違いない。ヒトへの変化にも同様にエネルギーを使うらしいのだ。
「強硬風拳!」
ルティナは術文で両拳に風を纏わせた。
それを合図にレグが彼女へ向かっていく。と、その周辺の壁が爆砕した。爆風と砕けた壁がこちらにも飛んでくる。
ルティナは壁に穴を空けながらそれを足場に、狭い壁を駆け上がっていった。レグとボブもそれを追いかけていく。
建物の上空で何かが交差しているのが見えた、と思った瞬間。
「!?」
戦っているその場所から、無数の黒い何かがこちらへ降ってきたのだ。それも物凄いスピードだった。
(駄目だ、間に合わない!!)
術文を唱えている時間がなかった。
私はその衝撃に少しでも耐えるべく、無駄なこととは分かっていたがアレックスの身体に必死でしがみついていた。
案の定、間もなくそれが全身に伝わってくる。
だが。
私はそっと目を開け、上を見上げた。
紋様が見える。
水の紋様が私たちを包んでいるのだ。
「そっか、精霊の加護」
アレックスの特殊能力が、彼を中心に発動していたのだ。
上空から落ちてくる黒い物体は紋様に弾かれるとそのまま地面へ落ち、爆音とともに穴を空けていた。
精霊の加護が発動しているとすれば、あれは上空で戦っている魔物の術である。恐らくルティナが彼らの攻撃を防ぎ、その流れ弾が真下にいる私たちに落ちてきたのだろう。
精霊の加護は魔物の術であれば、無条件で防いでくれるようなのだ。私たちも彼の側にいたので助かったのである。
だがここで安心はできなかった。
落ちてくるのは魔物の術だけではないからだ。
壊れた建物の残骸や、或いはルティナの術攻撃も同様に落ちてくる可能性があるのだ。
特にルティナの術攻撃だった場合には、アレックスの命にまで影響を及ぼしかねない。そうなる前に一刻も早く、この場を離れた方がいいだろう。