プロローグ
●前書き●
この話は「第1部 旅立ち」の続編ですが、それを読まなくても問題のないように書きました。
その日彼女は、アクニカ村へ向かっていた。
魔物が集まり始め、近々討伐隊も編制されるという噂が近隣町のギルドを中心に流れていたのだ。
アクニカ村は、ほんの数日前に通った村だった。故に彼女としてはまた引き返すことになってしまうのだが、魔物ハンターという職業柄もあり、それに参加しないわけがなかった。賞金首がごく稀に紛れ込んでいる可能性もあったからだ。
それにこういった場所へは、他のハンターも多数参加する。
恐らくは彼女と顔見知りの同業者もいることだろう。顔見知りであれば、互いの情報交換の場にもなるのだ。
敵が現れたのは、そこへと続く山道を歩いていた時だった。
彼女は魔物との戦闘経験も豊富で、自信もあった。当然のことながら普通に歩いている時でさえも、周囲に注意を払いながら動いている。
だがその時には何の気配もなかった。魔物はおろか、生命そのものまでもが、全く感じられなかったのだ。
「妾の術を受けてもなお、意識が保てるとはな。そこは褒めてやるぞ」
相手のほうが、血のように艶やかな唇を先に開いた。同時に双眸にある真紅の瞳が、一瞬の煌めきを放ったようにも見えた。
「やはり特殊な身体を持つ『呪われたモノ』だけのことはある」
彼女は無意識に身体を震わせていた。しかし視線だけは微動だにせず、直ぐに口端を上げる。
「……成る程な。貴様はあたしのことを知っていて、そのために襲ってきたというわけか」
敵は彼女の殺気に気付いていないはずはなかったが、その表情は全く変わらず、薄笑いを浮かべたままだった。
「自惚れるでない。妾は貴様になど興味はないぞ。……それよりもどうだ、取引をせぬか?」
「取引……だと?」
その言葉を聞いた途端、彼女は右眉を僅かに動かした。
相手は魔物だ。
露出度の高い服を装っており、人間の成人女性に近い容姿もしていたが、角と尾が付いているのは外見上明らかだった。その上プライドが高く、ヒトを常に見下しているような中位クラス以上の魔物。
その魔物がこちらに対して「取引」などというものを持ちかけてきた。
「貴様のような輩にこのような取引など、妾としても実に不本意な極みではあるのだが……しかしどうやら、利害が一致しておるようだからな」
「どういう意味だ」
魔物はそれには答えず、薄い笑みを浮かべたままでこちらへゆっくりと近付いてくる。
だが彼女は動くことができなかった。
精神力を根こそぎ奪われでもしたかのように、全身を動かすことができなかった。
残っている気力を振り絞り、辛うじて身体だけは起こしていたのだが、いつ倒れても不思議ではなかったのだ。
魔物は目の前に腰を下ろすと彼女の顎をおもむろに持ち上げる。
瞬間、彼女は顔を顰めた。綺麗に磨かれた長い爪が頬に食い込んできたのだ。
よく研がれたそれは皮膚を裂き、傷を付けた。顎を砕くほどの力でその細い指に締め付けられている。
しかし予想に反し、魔物はそのままの体勢で耳許へ唇を近づけた。
「貴様の目的――ゼリューを殺したいのだろう?」