戦地
彼女はずっと、遠くの空を見続けていた。
まるで、誰かを待っているかのように。
彼女と俺が出会ったのは、とある市街地だった。
戦場となったそこは、すでに市民は逃げ出していて、いるとするならゲリラと敵兵だけだろうとされていた。
だが、そのゲリラがめっぽう強く、俺が所属していた歩兵中隊は、反撃むなしく、俺以外全員が殺された。
銃片手にどうにか生き延びた俺は、敵から分捕った食糧や弾薬を使っていた。
通信機器は盗聴の恐れがあるから、そもそもとらなかった。
そんな時、俺はビルから向かいにあるビルへと移ろうとしていた。
1階まで下りて、周りの様子をうかがっていると、すぐ目の前の道路に、女性が立っていた。
どこかへ向かってふらふらと歩いている。
「動くな!」
俺は、ほとんど本能的に銃を向けた。
だか、彼女は何も言わず、俺のほうをじっと見ただけだった。
「…おまえは誰だ」
「誰でもいいじゃない。とりあえず、あなたの敵じゃないわ」
彼女は、幾分かすれた声で答えた。
「その証拠は」
「武器の類は一切持ってない。なんなら服も脱ごうか?」
「…服は脱がなくてもいいが、触って確認するぞ」
「どうぞご自由に」
腕を高々と上げて、俺に勝手に触れと言ってきた。
周囲の警戒を怠らず、彼女の体を触り、武器や爆弾を持っていないことを確認した。
「これから、俺の母体の陣地へ連行させてもらう。いいな」
「仕方ないわね」
彼女を先に歩かせて、俺は彼女の背中に銃を突きつけながら、あちこちのビルを経由して陣地へ戻った。
自軍へ戻ると、大慌てで直属の上司がやってきた。
俺は死んだものとして扱われていたらしい。
「死んだと思っていた奴が突然現れたなんて、そりゃ驚くか」
俺は、そう呟いた。
入口のところで待たされていると、軍団長が現れた。
軍団長から部隊長以下、俺を除いて全員戦死したと聞かされても、そんな事だから驚かなかった。
「君たち全員には、勲章を与えることが決定されている。ところで…」
軍団長は、俺の横に立っている女性を見ながら言った。
「敵兵でもなく、武器弾薬の類は一切持っていなかったため、保護をしました。誰かに引き渡そうと考えているんですが…」
「今、軍上層部がここから撤退を命じたところだ。その準備で誰もが忙しいんだ」
「では…」
「敵兵ではないのであれば、通常は何もしないという選択肢をとるんだが…仕方ない。お前が脱走をしないように見張っていろ」
「分かりました」
俺は敬礼をして、軍団長を見送った。
撤退準備をしている営内だが、あまり急いでいると云う風ではなく、俺たちもけっこうのんびりしていた。
「それで、私はどうなるの?」
「ここに残りたいのか、それとも俺と来たいかを選ぶことになっている」
置いてあった俺の荷物を簡単に鞄一つにしまうと、彼女に聞いた。
「…私が決めていいの?」
「もちろん。どうしたい」
「私は、あなたと一緒にいたい」
「そうか。なら、支度をしてくれ。本国へ向けて転進を始める」
俺が言うと、彼女は、とてもうれしそうだった。
通常、捕虜は後方にある捕虜収容所へ送ることになっているが、彼女は捕虜として扱わず、民間人として扱うようにと軍団長から指令があった。
その後、軍団長と調整をし、俺が彼女の管理を行うことになった。
転進を始めてから1週間がたった時、俺がいた軍団は敵に包囲された。
「ここまでか…」
俺が周囲を見回しながらつぶやいた。
どこを見ても、敵の榴弾砲がこちらをじっと睨んでいた。
「まだだよ」
彼女が、俺のすぐ横で言った。
「まだ、戦いは始まったばかりなんだよ」
そう言って、彼女は何かを取り出した。
「それ、普通の手榴弾だろ」
「普通じゃないよ」
笑いながら、安全ピンを外し、それをものすごい力で敵の陣地へ投げ入れた。
「伏せて!」
彼女が叫ぶ声が聞こえ、俺が体を塹壕の中へ入れると同時に、鼓膜が破れそうな爆音が聞こえてきた。
耳がしっかりと聞こえるようになるまで、1分ほど時間があった。
「何が…」
敵の陣地をみると、見事に更地となっていた。
「新型手榴弾。ちょっと火薬の量間違えたかも」
横で、舌を少し出しながら笑っている彼女を見て、俺は心底怖くなった。
軍団長への報告書には、手榴弾のことは伏せ、敵陣地にて爆発が起こり、それが起因として敵は壊滅したと書いた。
この新型手榴弾のことは、伏せておくべきだと、俺は考えたからだ。
さらに1か月かけ、俺たちが自国領土へ帰ってきたころには、お祝いムードで満ちていた。
「何が起こってるんだ?」
軍団長は俺に聞いた。
「俺に聞かないで下さいよ。ちょっと聞いてきましょうか」
「ああ、頼む」
そう言われて、俺はすぐそばで踊っている男性に聞いた。
「何をお祝いしているんだ?」
「何って、知らんのか。終わったんだよ。戦争が」
「終わったのか。本当か?」
「ああ、本当だとも。大統領令第462号によって、終戦したと正式に知らされたんだ。それのお祝いだよ
」
「そうなのか…」
俺は戻って軍団長へ報告した。
「確認をとる必要があるな。敵が流したデマである恐れも十分にある」
「伝令に伝えましょうか」
「それはすでに済んでいるんだ。後は大統領閣下より返答が来るのを待っているところだ。それまでは、ここで休むことにしよう。ただし、何があっても不思議じゃない。警戒を怠るな」
「わかりました」
俺はそのことを聞いて、彼女のところへ戻った。
「どうだったの?」
彼女は俺に聞いた。
「あくまでも噂だが、戦争が終わったそうだ。ただ、確証がないから大統領府へ連絡を入れているところ」
「終わったのね…」
祭りの人たちを見ながら、彼女がぽつりと言った。
その時、ふと、最初に聞くべきだったことを思い出した。
「そういえば、名前は。どうしてあんな荒廃した街にいたんだ」
「私は、畿誡猪子っていうの。あの街で、私は夫と娘の3人で暮らしていた。でも、戦争が始まる直前に、夫と娘が退避して以来、彼らとは会ってない。まだ娘は7歳だったのに…」
「それで、あの街で帰りを待っていたんだね」
彼女に聞くと、一回だけうなづく。
「あなたの夫と娘の名前、よければ職業も教えていただけませんか」
「私の夫は、畿誡梱得、時空の研究をしていたわ。娘は紗由里と言うの」
「時空の研究とは」
俺は気になって聞いた。
「この世界と並行して存在しているという、噂を基にした研究らしいわ。詳しくは知りませんが、そちらには伝承でしか伝わっていない龍がいたり、魔法が使えたり、さまざまなことがここと違っているそうなの」
「なるほどね。では、その名前を軍のデータベースと比較しておきますけど、あまり期待しないで待っていて下さい」
俺はそう言って、メモ用紙をちぎると近くにいた兵に、データベースと照合するように言った。
それと入れ違いになるように、さっき派遣した伝令が帰ってきた。
「軍団長へ、お伝えしなければ…」
「どうしたんだ」
「戦争は終結しました。大統領令第462号により、こちらがわの勝利で終結しました」
「そうか、わかった。よく休んでおけ」
俺はその話を聞くと、伝令に近くの水筒を渡し、俺自身は軍団長の元へ駆けて行った。
終了したという話は、軍の全員に素早く伝わった。
歓喜の渦が渦巻いている横で、あまり浮かない顔をしている彼女がいた。
「どうしたんだ」
「夫と娘のこと…」
「ああ、今調べさせているところだ。結果が分かるのに、もうちょっとかかるだろう」
「そう…」
悲しげな顔をしている彼女に、俺は言った。
「大丈夫さ、あなたの家族は生きている」
「確証は?」
「ない。でも、そう感じるんだよ。会ったことはないけれど、何年かかっても、必ず見つかるって」
「…そうでしょうか」
「もちろん」
それから俺は彼女の手をとり、祭りの中心へ向かった。