8.山崎の戦い
夜明け。
空はまだ白く濁り、湿った霧が地を覆っていた。
山崎。
天王山の麓。
その静寂を破ったのは――
ドン……ドン……ドン……
太鼓。
戦の始まりを告げる音。
⸻
東側。
陣を張るは、羽柴秀吉の軍。
長距離行軍の疲れはある。
だが、その陣は整っていた。
兵たちの目に迷いはない。
「敵は明智!!」
「信長様の仇!!」
声が上がる。
士気は高い。
その中央に秀吉が立つ。
横には黒田官兵衛。
官兵衛は静かに戦場を見ていた。
霧の向こう。
敵の陣がぼんやりと見える。
「……地は狭い」
官兵衛が言う。
秀吉が頷く。
「ゆえに正面で決まる」
だが官兵衛は首を振った。
「いえ」
指を差す。
「天王山」
そこを取れば、上から押し潰せる。
秀吉の目が細くなる。
「なるほどのう」
すぐに決断した。
「先手を打つ」
「山を取れ」
⸻
一方、西側。
明智光秀の陣。
整然としている。
布陣は完璧だった。
鉄砲隊を前列に。
槍足軽を後ろに。
地形を活かした防御陣。
光秀は静かに立っている。
その顔には、もはや迷いはなかった。
「来るぞ」
家臣の斎藤利三が頷く。
「は」
次の瞬間。
パンッ!!
鉄砲の音が戦場を裂いた。
⸻
戦が始まった。
煙が上がる。
火薬の匂いが漂う。
秀吉軍が前進する。
足軽たちが叫びながら突撃。
「うおおおお!!」
明智軍の鉄砲が火を吹く。
次々と兵が倒れる。
だが――止まらない。
後ろから押し出される。
数の力。
勢い。
それが戦場を動かす。
⸻
中央戦線。
槍と槍がぶつかる。
ガンッ!!
金属音、悲鳴、泥が跳ねる。
兵が倒れ、踏み越えられる。
秀吉軍は前へ出る。
だが、止まる。
明智軍の防御は堅い。
「押し返せ!!」
利三が叫ぶ。
明智の兵が踏ん張る。
一歩も引かない。
戦は膠着した。
⸻
その時だった。
山の上、天王山。
霧の中から、新たな旗が現れる。
秀吉の別働隊。
気づいた兵が叫ぶ。
「山を取られた!!」
その声が戦場に広がる。
光秀の目が動く。
(早い……)
想定より早い。
秀吉は正面だけではなかった。
上から来る。
官兵衛の策。
山上から鉄砲が撃たれる。
パンッ!!
パンッ!!
弾が降る。
明智軍の隊列が乱れる。
「くっ……!」
利三が歯を食いしばる。
「持ちこたえよ!!」
だが崩れ始めていた。
横、上、正面。
三方向から圧力。
⸻
秀吉はそれを見ていた。
「勝ったな」
小さく言う。
官兵衛が答える。
「はい」
だが、油断はない。
「総攻撃じゃ」
秀吉が叫ぶ。
太鼓が鳴る。
ドン!!ドン!!
秀吉軍が一斉に前へ出る。
波のように、押し寄せる。
⸻
明智本陣。
光秀は動かなかった。
ただ戦場を見ている。
兵が崩れていく。
防線が裂ける。
(ここまでか)
短く息を吐く。
利三が駆け寄る。
「殿!ここは退きましょう!」
光秀は首を振る。
「いや」
静かだった。
「まだだ」
だが、その時。
背後から声が上がる。
「退け!!」
「逃げろ!!」
敗走。
一部の兵が崩れた。
それが連鎖する。
戦は、一度崩れると止まらない。
光秀はそれを見ていた。
(終わった)
完全に理解した。
だが、その時だった。
新たな報が届く。
「殿!!」
伝令が叫ぶ。
「尾張より軍勢接近!!」
光秀の目が開く。
「何……?」
「織田信忠の軍と思われます!」
空気が変わる。
秀吉だけではない。
信忠も来る。
挟まれる。
わずかに光秀は笑った。
「……見事だ」
秀吉だけでも苦しい。
そこに信忠。
完全に詰みだった。
光秀は振り返る。
「利三」
「は」
「退くぞ」
その声には、もはや迷いはなかった。
「ここで死ぬには惜しい」
だがその言葉の裏にあるものを、利三は理解していた。
これは、敗北。
⸻
戦場はすでに崩壊していた。
明智軍は四散する。
秀吉軍が追撃する。
山崎の戦いは終わった。
だが、この物語では。まだ終わらない。
光秀は生きている。
そして信忠が、そこへ向かっている。




