第29章 奈落からの使者
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桔梗の誓いと快然の友情によって、夜凪は記憶喪失の恐怖から「再起」しました。三人の絆が最高潮に達し、決戦への覚悟を決めた、その瞬間。 京の都から、これまでの五行衆とは比較にすらならない、本物の「絶望」が彼らの元を訪れます。
それでは、本編をお楽しみください。
月明かりの下、丘の上は、静寂に包まれていた。
いや、先ほどまでの、張り詰めた冷たい静寂とは違う。
そこには、確かに、温かい空気が流れている。
月読夜凪は、まだ桔梗に手を握られたまま、動けずにいる。
(……俺の、記憶に)
(……なってくれる、と)
不知火桔梗の「献身的な愛」。
それは、夜凪が失った記憶の穴を、そっと塞ぐかのような「救い」そのものだった。
孤独と絶望という呪いを解き放つ、温かい光。
彼の凍てついた心に灯った、小さな熱。
その熱が、涙となって溢れ出ていた。
「……夜凪さん」
桔梗は、微笑んでいた。
その瞳にも涙が浮かんでいたが、声は力強かった。
「……私たちは、三人です」
「……」
「一人で、全部背負おうなんて、思わないでください」
「……桔梗」
「……拙僧も!」
不意に、後ろから野太い声が割って入った。
いつの間にか、獅子堂快然が、二人のすぐ後ろに立っている。
その豪快な顔が、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっている。
「拙僧も、覚えておりますぞ!」
「……快然」
「夜凪殿が、あの化け物婆(常盤)から、拙僧たちを守ってくれたことも!」
「……」
「あの岩石男(金剛)のドテッ腹に、風穴を開けてくれたことも!」
「……」
「全部、ぜーんぶ、この快然様の脳みそに、刻み込んでおりますわ!」
「……ふっ」
夜凪の唇から、彼自身も気づかぬうちに、乾いた笑いが漏れた。
そうだ。
忘れても、いい。
この、どうしようもなく暑苦しい男と。
この、どうしようもなく優しい女が。
ここにいる。
それだけで、十分だった。
「……ああ」
夜凪は、桔梗の手を、そっと握り返した。
今度は、彼自身の意志で。
「……ありがとう」
「……!」
桔梗の目が、驚きに、そして喜びに、大きく見開かれる。
彼が、初めて口にした、感謝の言葉だ。
絶望の淵から、夜凪は確かに「再起」した。
仲間との絆が、彼を再び立ち上がらせたのだ。
「よし! 決まりですな!」
快然が、涙を豪快に袖で拭う。
「明日はいよいよ、殴り込みですぞ!」
「……」
「闇御門の奴ら! 首を洗って待っていろ!」
「ええ!」
桔梗も、力強く頷く。
三人の心が、今度こそ、本当に一つになった。
京の都の灯りが、彼らの誓いを祝福するように、力強く瞬いている。
その、まさに、次の瞬間だった。
「―――ッ!」
夜凪の全身を、経験したことのない悪寒が、背骨を駆け上がった。
反射的に、桔梗を突き飛ばし、快然との間に割って入る。
「夜凪さん!?」
「夜凪殿!?」
夜凪は、孤月を抜き放ち、眼下の京の都を睨みつけていた。
いや、違う。
都ではない。
その、はるか上空。
今、この丘の上へと、まっすぐに向かってくる「何か」。
(……なんだ、これは)
(……なんだ、この霊力は)
肌が、痛いほどだ。
空気が、悲鳴を上げている。
これまでの五行衆の霊力が、まるで焚き火の火の粉だったとすれば。
これは、すべてを飲み込む、底なしの「闇」そのものだ。
比較にすら、ならない。
常盤も、金剛も、迦具土も、白銀も、深雪も。
あの幹部たちの霊力をすべて束ねても、この、たった一つの気配には、遠く及ばない。
「……来ます!」
桔梗が、苦無を構える。
「とんでもない、霊力です……!」
「……ああ」
快然の顔からも、笑みは完全に消え失せていた。
錫杖を握る手に、青筋が浮かぶ。
次の瞬間。
三人の目の前。
月明かりを遮るように、それは、音もなく、そこに「降り立った」。
(……!)
夜凪は、息を呑んだ。
それは、一人の男だった。
闇御門の術者が好む、禍々しい装束ではない。
ただ、墨を流したような、黒い衣を纏っているだけ。
顔立ちは、平凡。
歳は、四十代だろうか。
その瞳には、何の感情も浮かんでいない。
まるで、古井戸の水面のように、静まり返っている。
だが、その男が、ただそこに「立っている」だけで。
夜凪の魂が、本能的に「死」を予感し、戦慄していた。
(……こいつが)
(……本家の)
「……ほう」
男が、初めて口を開いた。
その声もまた、何の抑揚もない、無機質な響きだ。
「これが、月読の生き残り」
「……」
「そして、不知火の娘と、どこぞの坊主か」
男は、まるで道端の石ころでも見るかのように、三人を見下ろしている。
その視線に、侮蔑はない。
憎しみもない。
ただ、そこにある「モノ」を、確認しているだけ。
その、あまりの異質さに、夜凪は動くことができなかった。
「……問答無用!」
先に動いたのは、快然だった。
仲間に救われたばかりの夜凪を、再び絶望させるわけにはいかない。
その一心で、彼は全霊力を解き放った。
「夜凪殿! 桔梗殿!」
「……」
「ここは、拙僧が!」
快然の全身から、金色の光が迸る。
これまでで、最大級。
常盤の森羅万象を防ぎきり、迦具土の煉獄の炎さえ押し返した、彼の最強の防御術。
「不動金剛の法!」
「―――喝ァッ!」
金色の光が、巨大なドームとなって三人全員を包み込んだ。
これさえあれば、五行衆クラスの攻撃は、すべて弾き返せる。
そのはず、だった。
「……無駄だ」
男が、静かに呟いた。
彼は、ゆっくりと、その右手の「指先」を、金色の結界へと、そっと触れさせた。
まるで、埃でも払うかのように、軽く。
パリン。
あまりにも、軽い音が響いた。
夜凪は、自分の目を疑った。
快然が、全霊力を込めて展開した、あの最強の結界が。
男の指先が触れた、ただ一点から。
音もなく、ガラスのように、粉々に砕け散った。
「―――なっ!?」
「……がっ……!」
結界が砕けると同時に、凄まじい霊力の衝撃が、快然の身体を直撃した。
快然は、まるで木の葉のように吹き飛ばされ、地面に激しく叩きつけられた。
「快然さん!」
桔梗が、悲鳴を上げる。
快然は、受け身さえ取れず、ぐ、と呻き声を上げて、動かなくなった。
一撃。
いや、攻撃ですらない。
ただ、「指先一つで触れた」だけ。
それだけで、快然の最強の守りが、粉砕された。
(……馬鹿な)
(……ありえない)
夜凪の思考が、凍りつく。
これが、闇御門本家の力。
これが、「首領の側近」の力。
東海道での死闘が、すべて、児戯に思えるほどの、絶対的な実力差。
「……さて」
男は、倒れた快然には一瞥もくれず、夜凪へと視線を戻した。
「次は、お前だ」
「……」
「月読の、小僧」
男の瞳には、まだ何の感情も浮かんでいない。
だが、その無機質な視線こそが、夜凪の心の奥底に、本能的な「戦慄」を深く叩き込んだ。
桔梗が、夜凪を庇うように、震える足で前に出る。
「……くっ」
(……勝てない)
(……死ぬ)
夜凪の脳が、即座にその結論を弾き出す。
桔梗が灯してくれた、あの温かい光。
仲間との絆。
それらすべてを、この男は、たった一瞬で、踏み潰そうとしている。
圧倒的な「絶望」。
それだけが、決戦前夜の丘を、支配していた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
絆の力で再起した直後、彼らの前に現れたのは、闇御門本家、首領の側近を名乗る謎の男。 快然の最強の防御結界が、指先一つで、まるでガラスのように粉砕されました。 これまでの死闘が児戯に思えるほどの、圧倒的な力の差。
仲間との絆という「救い」すら踏み潰す絶対的な「絶望」を前に、夜凪たちはどうなってしまうのか。 ついに、京の都での最終決戦の火蓋が、最悪の形で切って落とされます。ご期待ください!
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