第28章 私があなたの記憶になる
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決戦前夜、自らの力が「仲間を守った記憶」さえも奪い去るという、残酷な「代償」を知ってしまった夜凪。 「自分は自分でなくなっていく」という恐怖と絶望に、彼の心は完全に凍りついてしまいます。 仲間たちの声も届かない中、桔梗は、彼に一つの「誓い」を告げます。
それでは、本編をお楽しみください。
焚き火が、ぱちり、と虚しく爆ぜた。
その場は、凍りついていた。
獅子堂快然は、叩きつけたままの姿勢で、手のひらを見つめている。
不知火桔梗は、唇を強く噛みしめ、ただ震えていた。
そして、月読夜凪は。
「……何の、ことだ」
「……俺は、戦ってなど、いない」
その言葉を最後に、彼は自分の足元を見つめたまま、動かなかった。
(……ない)
(……記憶が、ない)
夜凪の心臓を、氷の爪が鷲掴みにしていた。
今日の、昼間のことだ。
ほんの数刻前の、出来事。
仲間を守るために、言霊を使った。
その、確かな手応えがあったはずの記憶が、綺麗に抜け落ちている。
恐怖。
全身の血が、急速に冷えていく。
(……俺は、忘れたのか)
(……桔梗を、快然を、守ったことを)
(……忘れたのか)
言霊の代償。
それは、世界の理を書き換える力と引き換えに、夜凪自身の「世界」を、内側から破壊していく呪いだった。
復讐の記憶だけが、鮮明に燃え続けている。
だというのに。
仲間と共に戦った証が、失われていく。
これでは、まるで。
「……夜凪、殿」
快然が、絞り出すような声で言った。
いつもの豪快さは、欠片も残っていない。
「そ、その……何か、疲れておられるのでは」
「……」
「明日はいよいよ、京への突入です」
「……」
「は、早く休まれた方が……」
その言葉は、空虚に響いた。
快然自身、何を言っているのか、分かっていないようだった。
「無力感」。
この、どうしようもない現実を前に、彼の持つ法力も、その剛腕も、何の意味もなさない。
仲間が蝕まれていく。
それを、ただ見ていることしかできない。
その事実が、快然の心を重く押し潰していた。
「……」
夜凪は、何も答えなかった。
答える言葉を、持たなかった。
彼は、ゆっくりと立ち上がると、仲間たちに背を向けた。
焚き火の、温かい光から逃れるように。
「……夜凪さん」
桔梗の、か細い声が背中に刺さる。
だが、夜凪は、振り返ることができなかった。
どんな顔をすればいいのか、分からなかった。
忘れてしまった男が。
仲間との絆さえ、留めておけない男が。
彼は、ただ、丘の端へと歩いていく。
京の都の無数の灯りが、眼下で冷たく瞬いている。
その光を、冷たい月が、静かに見下ろしていた。
(……俺は)
(……いつか、すべて忘れるのか)
父の最期も。
母の温もりも。
そして。
(……桔梗の、優しさも)
(……快然の、笑顔も)
すべてが、色褪せて、消えていくのか。
その果てに、俺には、何が残る?
復讐の炎だけが燃え盛る、空っぽの器か。
その恐怖が、彼の心を、ずぶり、と深く抉った。
「……ぁ……」
夜凪は、自分の手を見つめた。
この手で、仲間を守ったはずなのに。
その温もりも、誇りも、何も感じない。
ただ、冷たいだけだ。
復讐を果たす。
そのために、この力を使う。
だが、その力を使うたびに、俺は、俺でなくなっていく。
なんという、皮肉。
なんという、呪い。
(……これが、俺の宿命か)
京の都を目前にして、彼の心は、今、最も深い絶望の底にいた。
もう、一人で立っていることさえ、限界だった。
その、時だった。
「……夜凪さん」
すぐ後ろから、声がした。
桔梗だった。
彼女は、いつの間にか夜凪の隣に立ち、彼と同じように、京の都を見下ろしていた。
その横顔は、月光に照らされ、白く、儚げに見えた。
「……」
夜凪は、彼女にかける言葉を持たない。
「……寒い、ですね」
桔梗が、ぽつり、と呟いた。
決戦前夜の、張り詰めた空気。
夜凪が失った、記憶の冷たさ。
そのすべてを、彼女は肌で感じていた。
「……京の都」
「……」
「あそこに、すべてがあるのですね」
「……ああ」
かろうじて、それだけを答える。
沈黙が、落ちる。
夜凪は、彼女がここから立ち去ってくれることだけを、願っていた。
こんな、空っぽの自分を、見ないでほしかった。
「……私」
桔梗が、息を吸い込んだ。
その声は、震えていた。
「私、あなたの過去を聞きました」
「……」
「あなたの力が、何と引き換えなのかも、知りました」
「……」
「あなたが、今、何を失ったのかも……分かりました」
「……やめろ」
夜凪の喉から、拒絶の言葉が漏れた。
「……」
「俺に、構うな」
「……」
「俺は……」
「……一人で、苦しまないでください」
夜凪の言葉を遮り、桔梗の、凛とした声が響いた。
夜凪は、はっと息を呑んで、彼女を見た。
桔梗の瞳には、涙が溢れていた。
だが、その光は、決して「無力感」に打ちひしがれてはいなかった。
そこにあるのは、炎のような、強い、強い「決意」だった。
「……桔梗」
「あなたが、どれだけ辛い宿命を背負っていても」
「……」
「あなたの力が、どれだけ残酷な代償を求めてきても」
「……」
「私は、あなたのそばにいます」
「……!」
夜凪の心臓が、大きく跳ねた。
桔梗は、その溢れる涙を拭おうともせず、夜凪へと一歩踏み出した。
そして、彼女は、夜凪の冷え切った手を、その両手で、そっと包み込んだ。
温かかった。
「もし」
「……」
「もし、夜凪さんが、全てを忘れてしまっても」
「……」
「私が、全部覚えています」
「……!」
「あなたが、私を守ってくれたことも」
「……」
「あなたが、快然さんと、くだらない話で笑っていたことも」
「……」
「あなたが、どれだけ優しくて、不器用で、強い人なのかも」
「……」
「全部、全部、私が覚えています」
涙が、彼女の頬を伝い、夜凪の手を包む彼女の手に、ぽたり、と落ちた。
熱い。
夜凪は、何も言えなかった。
ただ、その「献身的な愛」の、あまりの眩しさに、目を逸らすことさえできなかった。
「私が」
桔梗は、夜凪の瞳を、真っ直ぐに見つめた。
「私が、あなたの記憶になります」
「……!」
「だから」
「……」
「だから、一人で苦しまないで」
その言葉は、呪いだった。
夜凪を縛り付けていた、孤独と絶望という、冷たい呪いを、解き放つ、温かい呪いだった。
(……ああ)
夜凪の瞳から、彼自身も気づかぬうちに、一筋の涙がこぼれ落ちた。
忘れても、いい。
いや、違う。
忘れても、ここに、覚えていてくれる人間がいる。
それだけで、どれほどの「救い」になるというのか。
彼の心は、まだ凍てついたままだ。
だが、その氷の奥底に、桔梗が灯した、小さな、確かな熱が、生まれた。
「……桔梗」
彼は、かろうじて、その名を呼んだ。
桔梗は、ただ、涙の中で、力強く、優しく、微笑んだ。
京の都の灯りが、二人の誓いを見守るように、静かに揺らめいていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
「私が、あなたの記憶になります」
記憶を失う恐怖と孤独に苛まれる夜凪を救ったのは、桔梗の、あまりにも献身的で力強い「誓い」でした。 忘れても、覚えていてくれる人がいる。その事実が、夜凪に再び立ち上がる力を与えます。 最大の試練を乗り越え、三人の絆は、決戦を前にして、かつてないほど固く結ばれました。
さあ、夜は明けます。すべての過去と宿命を背負い、一行はついに闇御門の本拠地、京の都へ突入します。最終決戦の幕開けです!ご期待ください!
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