第27章 色褪せる昨日
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自らの力が持つ本当の「罪」と「使命」を理解した夜凪。決戦を前に、彼はその力を制御できるか試みます。 しかし、言霊の恐るべき「代償」は、彼が制御できたと思った瞬間、最も残酷な形でその牙を剥きます。
それでは、本編をお楽しみください。
西の祠に、夜凪は一人、残っていた。
観月は、命を見逃されたことに涙ながらに感謝し、闇御門の内部情報と京の地図を残して闇に消えた。
桔梗と快然は、夜凪を気遣い、先に里へ戻っている。
冷たい月明かりが、夜凪の手にある巻物――『禁書』の写しを照らしていた。
(……世界の、理を書き換える力)
観月の震える声が、耳の奥で反響する。
父が遺した言葉、『未来を』。
その意味が、あまりにも重く、夜凪の肩にのしかかっていた。
これは、復讐のためだけの力ではない。
闇御門が最も恐れる、禁忌の力。
その重さを自覚した瞬間、夜凪の脳裏を、あの懐かしい感覚がよぎった。
(……まただ)
ズキリ、と。
脳の芯が、鈍く痛む。
それは、強大な言霊を使った後に必ず訪れる、あの倦怠感。
そして。
(……観月は、どちらへ去った?)
思い出せない。
つい今しがた、別れたばかりの男の行方。
いや、それどころか。
(……俺は、なぜここにいる?)
思考が、一瞬、白く染まる。
すぐに、桔梗たちの顔が浮かび、記憶が繋ぎ止められる。
(……そうだ。観月と、会っていた)
だが、その事実に、夜凪は全身の血が凍るような「恐怖」を覚えた。
以前に感じた、些細な記憶の欠落。
あの時は、昨日の夕食という、どうでもいい記憶だった。
だが、今は違う。
ついさっきの、重要な出来事さえ、一瞬、失いかけた。
(……これが、代償)
力が持つ「罪」の重さを理解すると同時に、その「代償」が、より鮮明な牙となって彼に襲いかかってきたのだ。
夜凪は、巻物を強く握りしめ、仲間たちが待つ里へと、重い足取りで戻っていった。
不知火の里での、束の間の休息は終わった。
三人は、白雲斎と里の忍びたちに見送られ、再び京を目指す。
観月から得た情報を元に、彼らは闇御門の本拠地、「奈落宮」への最短ルートを進んでいた。
「いやはや、しかし!」
京へ向かう街道で、快然の陽気な声が響く。
「あの観月とかいう男、役に立ちましたな!」
「ええ。まさか、本拠地の入り口が、京の都のど真ん中にある古い井戸だなんて」
桔梗も、緊張の中にかすかな高揚を滲ませる。
夜凪は、黙って二人の会話を聞いていた。
あの日以来、彼は自らの記憶を、強迫的なまでに確認するようになっていた。
昨日の朝、何を食べたか。
一昨日の夜、どこで野営したか。
そして。
(……桔梗の、笑顔)
(……快然の、馬鹿話)
忘れるものか。
絶対に。
その恐怖が、彼を仲間たちから、わずかに遠ざけていた。
「……お!」
快然の足が、不意に止まる。
「どうやら、お出ましのようですぞ」
街道の先。
木々の影から、五人の男たちが姿を現した。
闇御門の文様が描かれた、黒装束。
だが、その霊力は、五行衆とは比べ物にならないほど、弱い。
下級の、術者たちだ。
「……見つけたぞ、月読の生き残り!」
「観月様を、どこへやった!」
「大人しく、我らと来てもらおう!」
どうやら、観月の裏切りが、すでに本家に露見したらしい。
その追手だろう。
三人の間に、緊張が走る。
だが、それは、五行衆と戦ってきた彼らにとっての緊張とは、種類が違っていた。
「……夜凪さん」
桔梗が、苦無を構える。
「ここは、私と快然さんで」
「……いや」
夜凪は、桔梗の手を、静かに制した。
彼の瞳には、冷たい光が宿っている。
自らの力が持つ「罪」と「代償」。
その重さを知った今、彼はこの力を、試さねばならなかった。
制御できるのか。
仲間を、守れるのか。
そして、記憶を失わずに、いられるのか。
「……俺がやる」
「夜凪殿?」
「二人は、手を出すな」
夜凪は、一人、術者たちの前へと歩み出た。
「な……なんだ、小僧一人か!」
「舐めるなよ!」
術者たちが、同時に印を結ぶ。
炎の玉、土の槍、風の刃。
五行の初歩的な術が、夜凪へと殺到した。
夜凪は、動かない。
ただ、その唇が、静かに、二つの言葉を同時に紡いだ。
「――止まれ」
「――眠れ」
瞬間。
世界から、音が消えた。
夜凪に迫っていたすべての術が、空中でぴたり、と静止する。
そして、術者たちは、まるで糸が切れた人形のように、その場に崩れ落ち、深い眠りへと沈んでいった。
「……」
圧巻。
その一言だった。
ほんの数秒。
血の一滴も流さず、五人の術者を、完全に無力化してしまった。
桔梗は、息を呑む。
快然は、目を見開いていた。
「……す、すげえ」
快然が、素直な感嘆の声を漏らす。
夜凪は、何も言わずに、眠る術者たちに背を向けた。
(……大丈夫だ)
記憶は、鮮明だ。
術を使った感覚も、はっきりと残っている。
安堵。
そのかすかな安堵が、彼の表情を、ほんの少しだけ和らげた。
その日の夜。
三人は、京の都を目前にした丘の上で、最後の野営をしていた。
眼下には、無数の灯りが、まるで地上の星空のように広がっている。
あの光の中に、すべての元凶がある。
「……いよいよ、ですな」
快然が、焚き火に薪をくべながら、感慨深げに呟いた。
「長かったような、短かったような」
「ええ。でも、明日には、すべてが終わる」
桔梗の瞳にも、強い決意の光が宿る。
二人の間に、いつものような軽口はない。
決戦前夜の、静かな緊張が、場を支配していた。
その、張り詰めた空気を破ったのは、快然の、唐突な一言だった。
「いやはや、しかし!」
快然は、思い出したかのように、夜凪の肩を、ばしん! と景気よく叩いた。
「夜凪殿!」
「……!」
「今日の昼間の戦い! 実に見事でしたぞ!」
その言葉に、夜凪の身体が、硬直した。
「あの術者ども、拙僧が錫杖を振るう前に、全員眠っちまうとは!」
「……」
「二つの言霊を、同時に、あんなに鮮やかに使うなど!」
「……」
「とんでもない芸当ですな! はっはっは!」
快然は、心の底から感心したように、豪快に笑っている。
だが、その笑い声は、夜凪の耳には届いていなかった。
(……今日の、昼間?)
(……戦い?)
(……俺が、言霊を?)
夜凪は、必死に記憶を手繰り寄せようとした。
今日の昼間。
街道を歩いていた。
京の都が、見えた。
それから?
それから、俺たちは、何をした?
思い出せない。
そこだけが、まるで墨をこぼしたかのように、真っ黒に抜け落ちていた。
「……夜凪殿?」
夜凪の反応がないことに、快然が、ようやく異変に気づいた。
その笑顔が、固まる。
「……どうかなさいましたか?」
「……」
夜凪は、震える唇で、かろうじて言葉を紡いだ。
「……何の、ことだ?」
「……え?」
快然の顔から、表情が抜け落ちた。
「だ、ですから……今日の昼間の、戦いのことで……」
「……戦い?」
「……」
「……俺は、戦ってなど、いない」
その場が、凍りついた。
焚き火が、ぱちり、と音を立てるのだけが、やけに大きく響く。
夜凪は、本気で言っていた。
その瞳には、嘘も、冗談の色もない。
ただ、純粋な「困惑」だけが浮かんでいた。
彼は、本気で、覚えていないのだ。
「……な……」
快然が、言葉を失う。
桔梗が、はっと息を呑んだ。
彼女は、夜凪が以前に感じていたあの時の恐怖を、今、目の前で突きつけられた。
あの時は、些細な物忘れだと思おうとしていた。
だが、違う。
これは、現実だ。
「夜凪さん……?」
桔梗が、震える声で尋ねる。
「覚えて、ないんですか……?」
「……」
「昼間、闇御門の追手を……」
「……」
「あなたが、私たちを……守ってくれたのを……」
夜凪は、桔梗と快然の、凍りついた顔を、ただ呆然と見つめていた。
俺が?
仲間を?
守った?
その記憶が、ない。
仲間との絆の証であるはずの記憶が、自分の中から、こぼれ落ちている。
(……ああ)
恐怖。
全身の血が、急速に冷えていく。
言霊の代償。
それは、世界の理を書き換える力と引き換えに、夜凪自身の「世界」を、内側から破壊していく呪いだった。
「……ぁ……」
夜凪は、自分の手を見つめた。
この手で、仲間を守ったはずなのに。
その温もりも、誇りも、何も感じない。
ただ、冷たいだけだ。
快然は、もう笑っていなかった。
桔梗は、唇を強く噛みしめ、どうしようもない「無力感」に震えていた。
仲間が、蝕まれていく。
目の前で、少しずつ、失われていく。
なのに、自分たちには、何もできない。
京の都を目前にして、三人の絆は、今、最も残酷な形で、引き裂かれようとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
「覚えて、いない」 言霊の力は、夜凪の中から「仲間を守った記憶」という、絆の証そのものを奪い去りました。 力が強大になるほど、彼自身の世界(記憶)が色褪せていく。その残酷な事実に、三人は絶望の淵に立たされます。
仲間が目の前で失われていく無力感。決戦前夜、三人の絆は最大の試練を迎えます。 果たして、夜凪はこの恐怖を抱えたまま、明日、京の都で戦うことができるのでしょうか。ご期待ください。
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