第21章 心に空いた部屋
最新話へお越しいただき、ありがとうございます。 第21章「心に空いた部屋」をお届けします。
妹・深雪を失った喪失感に、夜凪の心は凍てついています。 復讐者であろうとする彼が拒絶する「哀しみ」と「仲間の温もり」。その凍えた心に、桔梗はそっと手を差し伸べます。 哀しみを乗り越える、静かな夜の物語です。
それでは、本編をお楽しみください。
ぱち、と焚き火の爆ぜる音が、静かな夜の闇に響く。
もうもうと立ち上る煙は、湿った夏の空気に溶けていく。
季節外れの雪は、とうの昔に止んでいる。
あの湖畔で起きたすべてが、まるで悪夢だったかのようだ。
月読夜凪は、その火に背を向けて座り込んでいる。
手の中にあるのは、呪装刀『孤月』。
彼は、ただ無心に、白い布でその刀身を拭い続けている。
冷たい鋼の感触だけが、今の彼にとっての唯一の現実だった。
心の真ん中に、ぽっかりと穴が空いている。
深雪が光の粒になって消えていった、あの光景。
「兄様」
そう呼んだ、泣きそうな、嬉しそうな、最後の笑顔。
それが、まぶたの裏に焼き付いて、何度でも再生される。
(……やめろ)
頭を振るが、記憶は消えない。
復讐のために、すべてを捨ててきたはずだった。
それなのに、また一つ、守れないものが増えてしまった。
その喪失感が、彼の心を冷たい風のように吹き抜けていく。
「ぐごぉぉ……ふがっ……」
少し離れた場所から、豪快ないびきが聞こえてくる。
獅子堂快然だ。
この世の憂いなど何一つ知らないような、呑気な寝息。
それが、今の夜凪のささくれた神経を、ちりちりと逆撫でする。
(……うるさい、な)
いっそ、あの口に石でも詰めてやろうか。
そんな物騒なことを考えていると、別の気配が近づいてくる。
カサ、と草を踏む、静かな足音。
夜凪は、気づかぬふりを続ける。
どうせ、桔梗だ。
すっ、と湯気の立つ湯呑が、彼の視界の端に差し出される。
夜凪は、刀の手入れを止めない。
だが、その視線だけが、ゆっくりと湯呑に向けられる。
湯気と共に、茶の香りがふわりと鼻をくすぐる。
「………………」
桔梗は、何も言わずに、湯呑を夜凪の隣の地面にそっと置いた。
焚き火の光が、彼女の横顔をぼんやりと照らしている。
その瞳には、深い憂いの色が浮かんでいる。
夜凪は、再び『孤月』に視線を戻す。
しゅっ、しゅっ、と布が刀身をこする音だけが響く。
「………………」
「……眠れ、ないですか」
静寂を破ったのは、桔梗の小さな声だった。
夜凪の動きは、止まらない。
彼は、その問いに答える代わりに、乾いた声で返した。
「…………お前こそ」
「私は……平気です」
「……嘘をつけ」
夜凪は、桔梗を見ないまま、冷たく言い放った。
「震えている」
「……!」
桔梗は、はっとしたように自分の両手を見つめた。
焚き火の光に照らされた指先が、確かに小さく、小刻みに震えている。
彼女は、その手を隠すように、ぎゅっと握りしめた。
「……寒く、ないですか?」
夜凪の動きが、ぴたりと止まった。
今は、夏だ。
じっとりとした熱気が、森の木々を包んでいる。
寒い、はずがない。
「夏だ」
「……でも」
桔梗は、夜凪の背中を見つめたまま、言葉を続けた。
「あなたの周りだけ、まだ雪が降っているみたいです」
夜凪の肩が、わずかに揺れた。
図星だった。
彼の心は、あの湖畔から一歩も動けていない。
あの、夏に舞った雪の中から。
「……兄様」
幻聴が、また耳の奥で響く。
夜凪は、それを振り払うように、乱暴に刀の手入れを再開する。
しゅっ、しゅっ、という音が、先ほどよりも少しだけ速くなる。
「……放っておけ」
「……」
「俺は一人でいい」
「……」
「復讐は、俺一人のものだ」
「……本気で、そう思っているのですか?」
桔梗の静かな問いが、夜凪の背中に突き刺さる。
「当然だ」
「じゃあ、なぜ」
桔梗の声に、わずかに熱がこもった。
「……なぜ、そんなに哀しい顔を……するんですか」
「! 俺は……」
哀しい?
違う。
これは、怒りだ。
彼女の心を弄び、哀しい傀儡へと変えた、闇御門への。
そう自分に強く言い聞かせようとする。
だが、この胸を締め付ける、鉛のような重い痛みは、どうだ。
これは、怒りだけでは、到底説明がつかない感情だった。
夜凪は、言葉に詰まった。
その沈黙を、桔梗は肯定と受け取ったのかもしれない。
「……夜凪さん」
彼女は、夜凪の隣に、そっと腰を下ろした。
焚き火の熱が、横から伝わってくる。
「深雪さんのこと……」
「やめろ」
夜凪の声は、乾いた木が軋むようだった。
氷のように冷たく、相手を拒絶する響き。
「その名を、口にするな」
「……!」
「忘れるんだ」
「……」
「あれは……敵だった」
「……」
「ただ、それだけだ」
そう吐き捨てる夜凪の横顔を、桔梗は真っ直ぐに見つめた。
その瞳が、悲しげに揺れる。
「……違います」
「……」
「あなたは、分かっているはずです」
「……」
「彼女は……最後まで、あなたを……」
「黙れ!」
夜凪は、叫んでいた。
自分でも、驚くほどの声量だった。
『孤月』を握る手に力がこもり、ギリ、と柄が軋む音が響く。
快然のいびきが、一瞬だけ止まった。
「……っ」
夜凪は、激しい息を吐きながら、うつむいた。
触れられたくなかった。
その真実に、その核心に触れられてしまえば。
復讐者としての自分が、ガラガラと音を立てて崩れてしまう。
それが、何よりも怖かった。
張り詰めた空気が、二人を包む。
桔梗は、彼の激昂に怯むことなく、静かに彼が拒絶した湯呑を手に取った。
そして。
彼女は、夜凪が刀を握る手ごと、その温かい湯呑を包み込むように、両手でそっと握った。
「……なっ」
夜凪の身体が、硬直する。
「……冷たい」
桔梗が、吐息のような声で呟いた。
「あなたの手……氷みたいに冷たいです」
「……離せ」
「嫌です」
きっぱりとした声だった。
「こんなになるまで、一人で抱え込まないでください」
「……」
「忘れるなんて、言わないでください」
「……」
「哀しい時は、哀しいと……言ってください」
桔梗の目に、涙の膜が張る。
「私たちは、もう、仲間なんですから……!」
その言葉が、夜凪の心の最も硬い部分を、強く、強く打った。
仲間。
一人ではない。
その事実に、彼はまだ慣れていなかった。
いや、慣れることを、恐れていた。
「…………仲間、か」
夜凪の視線が、湯呑を包む桔梗の手と、自分の手の間を彷徨う。
彼女の手から伝わる熱が、不器用なまでに、彼の凍えた指先を温めようとしていた。
「ぐごぉぉ……んがっ……」
遠くで、快然のいびきが再び盛大に響き渡る。
夜凪の口元から、ふ、と自嘲めいた息が漏れた。
「……うるさい、な。あいつは」
「ふふ……そうですね」
桔梗の強張っていた顔が、わずかに緩む。
「でも……」
彼女は、夜凪の目をじっと見つめた。
「あの音が、今は少し、安心しませんか?」
夜凪は、何も答えなかった。
答えられなかった。
ただ、桔梗の手に包まれた湯呑から伝わる熱が、凍てついた指先を、そして心の奥底を、ゆっくりと、ゆっくりと溶かしていくのを、感じていた。
失ったものは、二度と戻らない。
だが、今、この腕の中には、確かに温かいものがある。
それだけは、紛れもない現実だった。
夜凪は、ゆっくりと、『孤月』から手を放した。
そして、空いたその手で、桔梗の手に重ねられるように、そっと湯呑を受け取った。
「……」
こくりと、その温かい茶を喉に流し込む。
茶の香りと温もりが、彼の空っぽの心に、静かに染み渡っていく。
夜は、まだ明けない。
呪われた都、京は、もう目前だ。
本当の戦いは、まだこれからだ。
夜凪は、湯呑を両手で強く握りしめた。
失ったものの重さを、そして今ここにある温もりを、その両腕で抱きしめるように。
彼の瞳に、再び、冷たくも確かな決意の光が戻ってきていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
桔梗の真っ直ぐな言葉と温もりが、夜凪の凍えた心を溶かしていきました。 「哀しい時は、哀しいと言ってください」 一人ではない。仲間がいるからこそ、哀しみを乗り越え、再び立ち上がるための確かな力となります。
失ったものの重さと、今ここにある温もり。そのすべてを胸に、一行はついに最終決戦の地、呪われた都・京へと足を踏み入れます。闇御門の首領が、彼らを待ち受けます。
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