第3話:影に潜む毒
宮廷での生活も二週間が過ぎ、私は少しずつ王都の空気に慣れてきた。だが、慣れは油断を生む。香りのひとつ、微かな色の変化――小さな兆候を見逃すことが、命取りになることを知っていた。
「ユリ、今日も早いな」
フェルが書類を整理しながら声をかける。彼の表情はいつも通り硬いが、どこか安堵も混じっている。宮廷では、少しでも事件の糸口を掴む者は評価される。私はわずかに笑みを返し、奥の調合室に向かう。
その日、王都の薬材市場から急報が入った。市場で扱われた薬草の一部に、意図的な汚染があったという。被害は小規模だが、侍医や王族の健康に影響が出る可能性もある。私の嗅覚が告げる――これは偶然の事故ではない。
「ユリさん、行きましょう」
ミコが先導し、市場の奥へと足を運ぶ。人々の喧騒の中、微かな異臭が漂う。古い薬草の匂いに混ざる、化学的な刺すような香り――これは明らかに自然ではない。私の手のひらに、わずかな震えが伝わる。
「ここか……」
私は汚染された薬草を慎重に取り出す。目で見るだけではわからないが、香りと手触りで混入の種類がわかる。微量ながら、摂取すれば身体に影響を与える薬草――巧妙に混ぜられていた。
「誰が、こんなことを……」
フェルが低くつぶやく。私も答えは出せない。ただ、痕跡は確実に残っている。調合方法、保管場所、微かな匂いの残り方――全て計算されている。
その夜、宮廷に戻るとルイが待っていた。皇太子の瞳はいつも通り冷静だが、微かに光を帯びている。
「ユリ、君の嗅覚は正確だった。薬材市場の汚染は意図的だ。だが、まだ全貌は見えていない」
「影の手は、宮廷の内側か、それとも外部の商人か……」
「両方かもしれない」
私は調合室で、問題の薬草を煎じ始めた。火にかけると、湯気が微かに揺れる。香りの変化を嗅ぎ取り、手触りを感じる。ほんの数分で、混入の成分とその影響が見えてくる。
「なるほど……毒性は低いけれど、体調不良を誘発する。長期的には、王族や侍医を惑わすことも可能ね」
フェルは驚きの表情を見せた。
「君の能力は、薬草を“読む”だけでなく、意図まで見抜くのか……」
「読むというより、薬が教えてくれるの。人がどう扱ったかを」
翌日、王都宮廷の議事室で、私は薬材の流通経路を整理した。紙とペンだけではなく、実際の薬草を並べ、匂いの変化を順に確認する。ルイも隣で静かに見守っていた。
「ここで混入された薬草は、宮廷に入る前に加工された可能性が高い」
「つまり……商人の手だけでなく、宮廷の誰かも関与している?」
「ええ。小さな手がかりは、この匂いが教えてくれた」
ルイは軽く息を吐き、私をじっと見つめる。
「君に頼んで正解だった。ユリ、宮廷の影に潜む毒を炙り出してほしい」
「わかったわ。でも、毒を煎じれば真実は出る。でもその真実は、人を傷つけることもある……」
私の心は少しざわついた。前世で学んだ知識と、転生後の嗅覚が組み合わさった力――それは確かに強力だ。でも、真実を扱うことの重さもまた、知らなければならない。誰を守り、誰を傷つけるのか。その判断は、私自身の手に委ねられている。
その夜、王都の月明かりの下で、私は薬草の匂いを嗅ぎ分けながら小さくつぶやいた。
「小さな事件の裏には、必ず大きな影がある……煎じれば、きっと見える」
そう、王都薬舗の処方箋は、今日も静かに真実を煎じている――影に潜む毒と、宮廷に隠された嘘の香りを、ひとつずつ。