第2話:煎じるは小さな嘘
宮廷に来てから数日、私は王都薬舗の奥の小部屋で、薬草の匂いを嗅ぎ分けながらひとり考えていた。事件はまだ小規模だ。貴族屋敷の侍女の死因は不明だが、どうやら毒ではないらしい――少なくとも致死量の毒は確認できない。だが、私の嗅覚は何かがおかしいと告げていた。
「ユリさん、また怪しい顔して……」
ミコが薬箱を手に入ってきた。宮廷内の雑用は彼女に任せているが、手際は確かだ。私が匂いを確認する間に、薬草の計量や煎じ方の準備を進めてくれる。
「この侍女の死、自然死とは少し違う気がするの」
私は小瓶に入った乾燥薬草を取り出し、軽く手のひらで揉んだ。微かに甘い匂いが混ざる。天然の草でも熟成や保管で匂いが変わることはあるが、この匂いは……人為的だ。
フェルが部屋に入ってきた。表情は相変わらず硬い。
「また何か見つけたのか?」
「少し、匂いに違和感があるの。煎じてみればはっきりするわ」
私は煎じ鍋に水を入れ、薬草を投入する。火を弱め、ゆっくりと煎じる間に、蒸気が薬草の本来の香りと微妙に変化した香りを混ぜて放つ。手に伝わる微振動で、調合の状態もわかる――これが私の“言葉を持つ薬”との会話だ。
数分後、湯気を吸い込み、味見用に少量を取り出す。
「……やはり、人為的な混入があるわ」
フェルは驚いた顔をした。
「どういうことだ?」
「成分は微量。毒というより、体調を崩す薬草の組み合わせ。誰かが注意を引かせずに、体調不良を誘発しようとした痕跡よ」
私は宮廷内での可能性を考えた。貴族屋敷での侍女の急死――毒とまではいかないが、不自然な体調不良を引き起こした者。つまり、事件は小さく見せかけつつ、陰で動く人物がいる。しかも、調合方法や使用された薬草から見て、素人ではない。
「犯人の意図は、ただの嫌がらせ……ではないわね」
私がつぶやくと、フェルは少しだけ口を閉じた。彼も宮廷の人間関係に詳しい。無駄に話すと混乱を招く。
その日の夕方、私は侍女が働いていた部屋を調べることになった。王都の建物は整然としているが、隅々まで見れば小さな変化がある。窓辺に置かれた小瓶、机の引き出しの位置、微かに残る香り――それらを一つずつ確認する。匂いはやはり、誰かが意図的に組み合わせたものだ。
「ここね……」
机の引き出しから取り出した紙片には、薬草の簡単なメモが書かれていた。古い文字だが、意味はわかる。どうやら薬材商の流通ルートに絡むものらしい。宮廷での薬の流通は複雑で、裏で取引される薬草は多い。その中に、誰かが小さな“いたずら”を仕込んだのだ。
「ユリさん、何か手がかりは?」
ミコが後ろから声をかける。私は小さくうなずき、紙片を火で炙った。微かに煙と香りが立つ。それは普通の紙では出ない匂いで、紙に残された成分を教えてくれる――つまり、薬草の微量混入の証拠だ。
「確かめた。これは……王都の薬材商が扱うものね」
フェルは少し身を乗り出した。
「まさか、宮廷にまで手を伸ばすとは……」
「まだ序章よ。小さな事件を煎じてみただけ。真相はもっと奥にある」
その夜、宮廷の寝室に戻ると、ルイ――皇太子が静かに待っていた。彼の瞳は冷静だが、確かに私の動きを注視している。
「ユリ、君の煎じた薬の匂い……ただの嗅ぎ分けではなさそうだな」
「普通じゃないことは私もわかってる。でも、自然死ではないことも、少しは見えてきたわ」
ルイは小さくうなずいた。
「ならば、君の目と手を借りよう。宮廷に潜む小さな嘘を、ひとつずつ炙り出してくれ」
その言葉に、胸が少し高鳴った。宮廷の影に潜む陰謀。人の生活を崩すかもしれない真実。だが、それを煎じるのは私の仕事だ。煎じれば、必ず何かが見える。
明日もまた、煎じる日々が始まる――。