第1話:王都薬舗へようこそ
王都の朝は、薬の匂いで始まる。煎じ鍋の焦げる匂い、乾いた草の甘い匂い、そして時折混じる硝子瓶の冷たい匂いが路地に溶けていく。私が薬を嗅ぎ分けられるのは、前の人生のクセだ。――大学の実習室で散々嗅いだあの薬の匂いが、こんな場所で役に立つとは夢にも思わなかった。
「ユリさん、お客さんです」弟子のミコが戸を押して顔を覗かせる。いつもより表情が堅い。客。宮中の使いが来るときは、驚きよりも嫌な予感が先に来る。
案の定、使者は短い報告を残して去った――近郊の貴族屋敷で、若い侍女が急死した。死因は不明。侍医は毒を疑っている。
毒か、だと? 手元にあるのは五合の薬草と家庭用の道具だけ。だが、毒はしばしば“見えない”形で現れる。配合の痕跡、煎じ方、ついた匂いの微差――私の仕事はそれを見つけ、紐解くことだ。
「ユリ、準備はいい?」
ミコの声に、私は軽くうなずく。小さな薬舗から、王都宮廷薬師への道のりは長い。けれど煎じれば真実は出る――どんなに人の都合に沿わない形でも。
数日後、私は王都に着いた。大理石の門をくぐると、そこは想像以上に冷たい空気が流れていた。宮廷の建物は華美で、だがどこか人を寄せ付けない緊張感がある。使者の言った通り、侍医のフェルが待っていた。保守的で融通が利かないと評判の人物だ。
「ユリさんですね。前世の知識が役立つと聞きましたが……私たちの手では見つけられなかった痕跡を頼みます。」
彼の声は低く、少しだけ警戒心が混ざっている。
私は静かにうなずき、薬箱を開いた。中には薬草、乾燥済みの樹皮、小瓶に入った調合済みの煎剤。匂いを嗅ぎ分け、指先で感触を確かめるだけで、その出自や扱い方、過去の混合状態がわかる――まるで言葉を持つ薬たちが教えてくれるかのように。
「この侍女の死……表面上は自然死でも、匂いはそうは言っていない」
私は小さくつぶやき、フェルに手渡す。眉をひそめた彼の目に、わずかだが興味が混じった。
やがて、私は知った――宮廷薬師の仕事は、単に薬を作るだけではない。王族の顔色、侍医の思惑、薬材商の暗躍。薬は人を癒す道具であると同時に、政治の道具でもある。煎じれば真実は現れる――でもその真実は、時として人の生活を壊す。
「ユリ、君は……何者なんだ?」
ルイ――皇太子の冷たい瞳が、静かに私を見つめた。その視線は、私の煎じる真実を試すようだった。
小さな薬舗の娘だった私が、王都で何を見つけ、誰を救い、誰を傷つけるのか――答えはまだ、煎じ始めたばかりだった。