B面「しあわせの正体」①
(なるほど。動物ものか。ストーリーやキャラ設定はブラッシュアップが必要だが、画の感じは悪くないな)
「月刊少年ステップ」の編集部では、編集長の大竹が送付されたマンガ原稿を読んでいた。封筒の表書きは「編集部・杉本様」となっている。
「編集長、吉村先生の原稿上がりました。これから印刷所に…」
出先から、その杉本浩史が戻ってきた。
「おう、杉本。ちょっとその前に」と机上の原稿を見せる。
「…綾瀬さんの、連載コンペの原稿ですね?」
「うん。急いでたから先に読ませてもらった。絵柄がウチ向きだし、ショートショートの動物ものは今ないから、試験的にやってもいいかもな」
浩史は受け取った原稿の表紙を見た。
「喋る犬の飼い方?」
「あと5、6話見たいから、お前彼女についてやってくれんか?彼女の挿絵もずっと担当してたろ」
「…」
「なんだ。何かあんのか?」
「いえ」
「あ、まさか手つけちゃったとかじゃないだろうな。あの子かわいいもんな」
「ちゃいますよ!手つけるとか、そんなゲスい関係やないっす!」
「どっちでもいいから、すぐにツナギ入れとけ。俺も電話したんだが、彼女出ないんだ」
「…彼女、電話は…」
大竹は何かを思い出したようだ。
「あ、そうか。そうだったな。連載はキビしいかあ?」
「や、彼女にチャンスあげてください。あんじょう頼んます!」
「ま、リモートや文章でやりとりできる時代だしな」
「俺がしっかりサポートしまっさかい、大船に乗った気でいとくなはれ。へへ」
ヘラヘラ顔で媚を売ってきた浩史に大竹は脱力する。
「杉本さあ。お前の関西弁って…誠意のかけらもないよな」
「ヘヘ。まいどどーも」
言うなり部屋を出て行く浩史の後ろ姿に大竹は(喋らなきゃ、いい奴なのにな)と溜息を送った。
窓の外には小雪が舞っていた。綾瀬家に向かう電車の中で、浩史は寧が描いたマンガ原稿を読んでみた。第1話には、ポテという犬が関西弁を喋るシーンが出てくる。
(関西弁?)
浩史は思い出す。三年前、編集部の会議室で初めて寧と彼女のイラストを見た日のことを。寧が描いた読者ページに載せる挿絵をチェックしたのだ。当時の寧は、4年生になってもまだ就職先が決まっていない美大生だった。
「え、本チャン?いや、綾瀬さん。今日はラフでよかったのに…」
浩史は鮮やかに色どられた流麗なカットに見入った。
「こらゴッツいわ。めっさ綺麗やし、絵が喋りかけてくるみたいや」
「…」
言ってる意味がわからず、寧はきょとんとしている。
「あ、すんません。ぼく大阪なもんで、興奮するとコテコテになってまうんです」
(コテコテ?)と口元が動いて小首をかしげる寧の姿に、心房細動のような動悸が高鳴ったのを憶えている。
(か、かわいい)
寧のアパートまで、最寄りの駅からタクシーで向かった。第2話のポテがボルゾイに告白するシーンを読む。
(かすみ草…)
次の回想は先月のフランス料理店だ。スーツを着て、畏まっていた自分。目の前には、どこか居心地悪そうに食事している寧。
(大丈夫や。つきあってもう三年も経つし、いつも笑てくれるし…)
ぐっと飲み干してワインの力を借りる。一本2万円もしてんねんから、しっかり背中押してや!
「ねいちゃん。今日は大事な話があってん」
プライベートでの浩史は、しずくのことを寧ちゃんと呼ぶようになっていた。ポテやんが「ねーちゃん」と呼ぶように。
「こ、これ」
椅子の下から、大きなバラの花束を取りだして寧に贈る。
食べ物を頬張ったまま、私に?というジェスチャー。花束の中には小さな箱が入っている。蓋を開いてみると、中に婚約指輪が。
「しずくさん。ぼ、ぼくと…け、け、こ、こ、けこ、けこけこ…」
あぁ。ポテが「わしわし‥」言ってたのと同じか。
寧はしばらく指輪を見ていたが、やがて蓋を閉じ花束ごとそっと押し返した。
(受け取れません。ごめんなさい)
そういう意味の手話をしてから、頭を下げたのだった。
二階建てアパートの玄関前で、浩史はチャイムを押すべきか躊躇っていた。
(め、めっさ気まずい)
10分ほど立ち尽くすうちに、誰かが階段を上がって来た。
「…あのう。うちの娘になにか?」