A面・喋る犬の飼い方~第4話「夏をあきらめて」
ポテが恍惚の表情で悶える。
「あ、あん、ええ、ええわあ。ねーちゃん、もっと下…そこ」
「うるさいなあ」
「たまらん。わし、わし、もう辛抱たまらん」
「やめた」
私はブラシを放り投げる。
「あん、ごめん。もう悶えへんからあ」
頭をスリつけて、謝りながらおねだりしてくる。豆柴の血が入っているポテやんは短毛なので手入れが簡単そうに思われがちだが、換毛期には大量に毛が抜け落ちる。私はビニール袋いっぱいの抜け毛を眺めながら、これ使って人形とか作れないかなあ、などと考える。
「お世話かけまんな。けど毛えが抜けるんは、わしのせいちゃうで」
「あんたじゃなきゃ、誰のせいよ」
「夏の、せいさ」
ポテはサングラスをかけて、窓の外の太陽を見上げた。
オープンカーをレンタルして海岸線を走る。助手席には麦わら帽とグラサン、アロハ姿のポテが座っている。カーステレオからはTUBEの音楽。
「♪夏を待ちきれなくて~」
尻尾をブイブイ振ってテンションが高い。
「海かあ。思い切り砂浜を走り回って、スイスイ泳いで、スイカ割り…楽しみやなあ」
「今年はまだ、海行ってなかったもんね」
「ねーちゃん、一緒に行く男おれへんもんな」とボソっと呟くのを、私は聞き逃さなかった。急カーブを切る。
「ひいい!」
ポテの体が車から飛び出し、かろうじて後ろ足でこらえる。麦わら帽子が飛んでいく。
「ねーちゃん、危ないや…」
あの日のボルゾイのように、私はギロリとポテを睨む。ポテは黙って、カーステレオを消した。
さあビーチに着いた。パラソルや荷物を持って、砂浜に足を踏み入れる。と、監視員の笛が鳴る。
「ちょっと、そこの方」
「はい?」
「犬は、砂浜に入れられませんよ」
「え?どうしてですか?」
「排便したり吠えたりするから、ほかのお客さんに迷惑なんです」
「ポテやんは、そんなことしません!」
「みんな、うちの子に限ってって言うんです。でも規則だから…」
なおも食らいついたが、そのやり取りをポテが悲しげに見ているのに気づきあきらめた。
帰りの車の中、ポテは後部座席でフテ寝していた。私自身も納得がいかず、車内の空気は重々しかった。
「去年は、あんな規則なかったのに…」
「ねーちゃんだけでも海入ったらよかったんちゃう?わしは車で留守番するし」
「そんな寂しいこと言わないの。あ、そうだ。せめて海の見えるレストランで食事でもしようか?」
「やったあ。わし、ピザ食べたい!」と、ポテは身を乗り出した。
テレビなんかにも紹介されてる海辺のレストランに立ち寄った。だが、そこにも「ペットの連れ込み禁止」という看板。さらに雨まで降り始めてきた。
「帰ろっか」
夜になって雨脚は強まり、アパートの窓を叩きつけていた。
私とポテはテイクアウトしたピザを、黙々と食べる。
「…ポテやん、ごめんね」
「…ねーちゃん。あんま気にせんとってな。わし楽しかったから」
「…」
「海岸線のドライブ、気持ちよかったし」
ポテの気遣いに、私はうるっときた。
と、窓の外で雷が鳴る。
「ぎゃん!か、かみなり~」
ポテが尻尾を巻いて、私の背後に隠れる。
「ポテやん、大丈夫よ」
ぶるぶる震えるポテを抱き上げた。
「今日は、一緒に寝よっか」
「あん、あん」と情けない顔で、うんうん頷く。
「よし。じゃあ、ちょっと早いけど…」
ポテを抱いたまま立ち上がりかけると、スカートがずぶ濡れになっている。見ると、ポテの股間から滝のように流れ出るものがあった。
「…あ、堪忍」
「そりゃあ、ビーチにゃ入れねえわけだ」
私はボルゾイよろしく、カプッとポテの首を咥え、二階の部屋から放り投げた。
「きゃい~~~ん」
ポテのシルエットが、雷光に照らされ浮かび上がる。嵐の中に咲く花火のようだった。
『喋る犬の飼い方④ 喋る喋らないに関わらず、シモのしつけはしっかりと』