A面・喋る犬の飼い方~第2話「恋」
五月の河川敷を散歩する。今日のポテはスーツっぽいワンコ服を着ている。
「いつもは服着せようとすると嫌がるのに、今日はどーゆー風の吹き回し?」
「…デートの約束してん」
「え?」
「いつもシッコする電柱あるやろ」
「ああ。ペットショップの前の?」
「シッコってただの排泄行為やなくて、わしらの通信手段やねん。臭いの中に個人情報が盛り込まれとるわけよ。電柱もネット掲示板みたいなもんで、すなわち『S犬S』やねん!」
(SNSとかけてんのかな?)
「わしが前に書き込んどいた自己紹介代わりのシッコに、『今度ゆっくりお話したいです』いうシッコの上書きがあってん。ⅮⅯいうやっちゃな。あ、あの子の臭いやってピンときたわ。『ほなら、ドッグランでどないだす?』とお返事をしたためたわけよ」
(知らなかった。犬の世界にも、マッチングサイトがあったとは…)
「あ、お花や」
そう言って、ポテが道端のかすみ草を口で摘み、前足で器用に花束を作った。
河川敷のドッグランに着いた。柵の外から眺めてみるが、人間にはどのワンコのことかわからない。
「あんたのマッチング相手はどれよ?」
「あ、ほれ。あの子や、あのスラッとした毛の長い…」
ボルゾイというロシア産の大型犬種だった。スラリとした容姿と気高い雰囲気を醸し出している。
「な。めっちゃ、ええ娘やろ?」
「すごいプロポーションね。人間だったら、スーパーモデルとかになれそうだよね」
「ロシアから来た帰国子女やねん。最近引っ越して来たらしくて、いつもああして独りでおんねん」
「体長は、ポテやんの五倍くらいあるけど…」
「男は見た目やない!ねーちゃん、わしの一世一代の晴れ舞台、しかと見届けとくんなはれ」
ポテやんはかすみ草の花束を咥えて、ボルゾイの前に走って行った。その勇気に感心しながら、私は木陰に隠れてそっと見守ることにした。
「お待たせしてすんません。わしがいつもあんさんのことフォローさせてもろてる、ポテいう者です」
ボルゾイの尻尾は左に振れ、少し驚いた様子だった。すかさず花束をボルゾイの前に放る。
「その花、あんさんに似合うんやないかと思うて…」
ボルゾイがかすみ草の匂いを嗅いでから、尻尾を右に振る。
(あ、喜んでる)
どうやら警戒心を解いて、穏やかな気分になっているようだ。ツカミはOK。
「わし、ずっとあんさんのことを見てました。そんで、めっさステキなひとやなって思てました…」
思いつめた声に聞き入るボルゾイ。
「もし良かったら…やねんけど…」
ボルゾイの尻尾の動きがピタリと止まる。共鳴するように私までドキドキしてきた。
「わし、わしと…」
ボルゾイの尻尾が右に振れる。だが、ポテの緊張はピークに達しているようだ。
「わし、わし、わしわしわし…」
(さぁ、その先を言って。女の子なら聞きたいはずよ)
「わしと、交尾してください!!」
ボルゾイの目がキラリと光る。次の瞬間、ポテの首をカプッと咥えて数メートル放り投げていた。
「ひゃああああああ」
小型犬の身体がくるくる回って、私の足元に落ちた。
ボルゾイは「フン!」と踵を返し、何事もなかったかのように立ち去っていく。
「なんか…ごめんなさい」
私は飼い主として、彼女の後ろ姿に頭を下げた。
家に戻ったポテは、着くなり国語辞書をめくり始めた。背後から覗いてみると「交尾」の欄を見ているようだ。右に目を移すと「交際」の欄が見える。
「あ、しもた。『交際』言うはずが『交尾』って言うてもおた~」
「マジか」
ポテは短い手(?)足をじたばたさせて、ギャンギャン泣き出した。
「ぶふぇ~ん。わし、立ち直られへん。わし、もう…恋なんて、せえへん!」
私は苦笑いするしかありませんでした。
「…春はまた来るよ。ポテやん」
『喋る犬の飼い方② ボキャブラリーを身につけさせましょう』