こうして私のスローライフは幕を閉じた
グランゼシアでの生活も早、一か月を過ぎようとしていた。
鬼教官ユニスのおかげで、聖剣術はかなり上達していたけど、その他は特に変わり映えのない生活を送っていた。
変わった事と言えば、ここ一週間ほど義父のハロルドじいさんが、散歩に出たきり戻ってこない事ぐらいか。
「ねえユニス。さすがに探しに行った方がいいんじゃない?」
「……そうですね。いつもは長くても三日ぐらいで帰ってくるのですけど、今回は長すぎます……」
ハロルドさんに、盲目の信頼を置いているユニスも心配している。私は正直、もうどこかで野垂れ死んでいる可能性もあると思っているけど。
「今日は一日、ハロルドさんの捜索に当てよう」
「はい。その方がいいですよね」
と、ユニスと家を出ようとしたその時、扉がノックされた。
「ユニスさん宛に、手紙が届いています」
「手紙? 誰からでしょうか」
配達員から手紙を受け取ったユニスが、差出人の名前を見て目を見開く。
「お兄ちゃんからだ。何だろう」
差出人は、一か月程前に旅立ったアランだ。
「へー。なんて書いてあるの? アランの奴、元気でやってんの?」
「ちょっと待ってください。中を見てみます。えーっと……」
手紙の封を切るユニス。中から折りたたまれた一枚の紙を取り出して開いて――。
「ん? どうしたのユニス?」
内容を確認したユニスが、プルプル震えている。
「お兄ちゃんの馬鹿……っ!」
と、つぶやいた後、手紙をビリビリに破り捨てた。
「ちょっ、ユニス! 落ち着いて! 何て書いてあったのよ!?」
怒りで震えているユニスが、静かに口を開いた。
「持っていくのを忘れたそうです」
「忘れた? 何を?」
「聖剣を。家に」
「家に、聖剣を忘れたと」
「はい」
「へー。……って、いや、嘘でしょ!? マジで!? あいつ馬鹿すぎるでしょ!? 何しに旅立ったのよ!?」
「馬鹿ですよ! 本っ当にっ! 昔からお兄ちゃんは忘れ物とか多くて、お母さんとか私にいっぱい迷惑かけてたけど、今回のは度が過ぎてますっ!」
「それで、何て?」
「今からだいたい十日後ぐらいに、港町ポルトリースに到着する予定で、しばらく留まるからそこまで届けてほしいって」
「えっと、それは郵送とかで?」
「いえ。私に持ってくるようにとの事です。大事な聖剣を他人に預けて郵送なんかできません」
「そ、そっか。頑張って!」
私が指名されなくて良かった。アランは、私がナーシャさんじゃないって知らないはず。まあ、私が指名されても行かないけどさ。無理。結局ユニスに行ってもらう。
「でも、おかしいな……。地下の倉庫には風の聖剣しかなかったんだけどな……」
アランが持っていくはずだったのは、雷の聖剣だ。
「たぶん部屋とかに置いてあるんじゃない? もう一回探してみたら?」
「いえ、お兄ちゃんの部屋は私が一か月前にちょっと壊しちゃったので、修理する時に大掃除しているのです。雷の聖剣なんてなかったですよ」
「あいつ、どこに忘れていったのよ!?」
「さっぱりわかりません。その辺の事は、手紙に書いてありませんでした」
「はあ……。ハロルドさんも探さなきゃいけないし、雷の聖剣も探さなきゃだし。この家の男どもは、いったいどうなってんのよ!?」
「何か、すみません」
「ってかさ、アランの奴、聖剣忘れてたの気づいたのならさ、自分で取りに戻ればいいじゃん。何で人に持ってこさせようとしてんのよ」
「お兄ちゃんは昔から忘れ物をした時は絶対に自分で取りに戻ったりしませんでした。俺は後戻りとかするの嫌いなんだよ、とか言って……。それでお母さんや私が、尻ぬぐいさせられたりして……」
「適当に言い訳してるだけじゃん。届ける必要ないよ」
「たぶん、今回ばかりはお兄ちゃんも、ますいって思ったのでしょう。だから私に届けさせようと……。あれ、でも何で私なんだろう? まつりさんじゃなくて」
「ユニスが頼みやすかったんだよ」
「はあ……。本当、世話の焼けるお兄ちゃんですよ」
ため息をつきながらも心なしか、ユニスが少し笑ったように見えた。
「じゃあさ、ユニスは雷の聖剣探してよ。私はハロルドさん探してくるからさ」
「そうしましょう。私はもう一回地下の倉庫を見てきます」
「よろしく」
ハロルドさんの捜査のため、私は玄関を出た。当てはない。ユニスも、ハロルドさんのお散歩コースは知らないのだ。
取り合えず適当に町をぶらついてみるか、と思っていたら家を出たすぐ先で、向かいから腰の曲がった禿頭の老人が、杖を付いてこちらに歩いてきているのが目に入った。
「何だよ。すぐ見つかったじゃん」
「おや。ナーシャさんや、どうしたんじゃ? もう晩飯の時間かの?」
ハロルドさんが、いつもの調子で帰ってきた。
「そうそう、晩御飯の時間ですよ! だから早く帰りましょう。ユニスも心配してるから!」
「ほうか。すまんのぉ」
衣服は多少汚れてはいるが、目立った傷はなし。普通に元気そうだ。腰が曲がっているのはいつもの事だし、よぼよぼで杖はついているけど――。
あれ?
何かおかしい。
何かって、ついている杖が何か変。
「ハロルドさん。それって、杖?」
「はて。儂の杖じゃが」
「違うよね。杖ってゆうか、剣だよね」
ハロルドさんが杖、もとい剣を見た。立派な鞘に収められた剣を。
「これは、剣じゃな。どうりで歩きにくいと思ったわい」
「ユニスーっ! ハロルドさんと雷の聖剣見つかったよーっ!」
瞬間、私は大声で家にいるユニスに呼びかけた。
「おじいちゃん! 無事で良かったけど、何で雷の聖剣を杖代わりに持ってっちゃっ
たんですか!?」
「はて。どうじゃったろうか……。――ああ、そういえば、いつもの場所に儂の杖がなくてのぉ。代わりに剣が置いてあったんじゃ」
「これ、雷の聖剣ですよ? 知ってるでしょ、おじいちゃん! 大事なやつ!」
「めんぼくない」
ユニスに怒られて、ハロルドさんがしょんぼりしている。孫に怒られる、お爺ちゃん。ちょっとかわいそうになってきた。
「まあまあユニス、怒るのはその辺にしてさ。ハロルドさんも悪気があってやったわけじゃないからさ――」
認知症はわざとじゃない。一種の病気だ。
「私が推測するに、そもそもの原因はアランよ。ハロルドさんの杖がないってことは、アランの奴が雷の聖剣と間違えて、杖を持っていっちゃったんだよ」
「……っ! お兄ちゃんの馬鹿ーっ!」
「ともあれ。無事、ハロルドさんも雷の聖剣も見つかった事だし、まあ、結果オーライって事でいいんじゃない? 文句は、聖剣を届けた時にでも言えばいいよ」
「そうします! まつりさん、私は準備が整い次第、午後にでもポルトリースに向けて出発したいと考えています。一刻も早く、雷の聖剣をお兄ちゃんに届けないといけないので!」
「いいんじゃない? アランも困っているだろうし」
「はい。では、旅の仕度のため、私は色々と買い出しに行ってきます。まつりさんの方も仕度をお願いします」
「はいよ。今日は任せて」
当初は、食事の仕度はほとんとユニス任せだったけど、最近は分担してやっている。マルス王国では基本、朝と夕の二食しか食事をとらないけど、私のたっての希望で昼にも食事を取る事にしてもらったのだ。一日三食が染みついた私に、昼飯なしはきつ過ぎる。
昼食の仕度を終えた頃、買い出しに行っていたユニスが大荷物を持って帰ってきた。
マルス王国はグランゼシア本土の南方にある小大陸だ。港町ポルトリースはその北端に位置しており、ここ、マルス王国の王都マルサムから、馬車で二十日程はかかるらしい。当然、荷物もいっぱいになるだろう。
昼食を終え、旅の準備に勤しむユニス。大きなリュックが二つあった。買ってきた簡易テントや食料や着替えを詰め込んでいる。
リュックは二つ、あった。
いやいやいや。まさか、ね。
ユニスは、外套を羽織り、腰に雷の聖剣を差して準備万端だ。
「まつりさん、何やってるんですか!? 早く準備してくださいよ! 私はもう、いつでも行けますよ!」
「ちょっと待って。私も、行くの?」
「当たり前じゃないですか! 今さら何を言ってるんですか!?」
「嘘でしょ!? 初耳なんだけど!」
「仕度しといてくださいって言いましたよね?」
「だってそれは昼食の……」
「まつりさんも一緒に行く事は決定事項です! だって私がいなくなったら誰がまつりさんを守るのですか?」
「そ、そうだけどさ。でも旅に行くよりは、家にいた方が安全な気がするし……」
「約束したじゃないですか! 私が責任を持ってまつりさんを守るって! 私は、自分の言葉に嘘はつきたくありません!」
あかん。
ユニスの目がマジだ。
逃げ道がどんどん閉ざされていく。
私は行きたくない。
絶対に行きたくない。
だって、ユニスよりもずっと強いナーシャさんでも死ぬんだよ。外の世界って。
「そ、そうだ! ハロルドさんはどうするの? ユニスも私もいなくなったら誰がお世話するのよ!?」
「おじいちゃんは一人でも大丈夫です! 今回も一週間ぐらい徘徊してても平気だったんだから!」
「うわっ、徘徊って言っちゃったよ! 散歩じゃなかったの!?」
「うるさいっ! さっさと準備してっ! 行くよっ!」
「ひえぇ……」
はい、降参。
ユニス、怖すぎる。
私は、泣く泣く旅の準備をした。
ほとんどユニスがすでに終わらせていたので、私は自分の着替えを用意するぐらいだったけど。
「まつりさんは、風の聖剣を持ってて下さい。王都の外では何があるかわかりません。幸い、ある程度は、聖剣術も扱えるようになってますし十分戦えるレベルだと思いますので」
「……はい」
「私は、雷の聖剣を使います。――って、まつりさん? 泣いてるんですか?」
「だってぇー……。私のスローライフがぁー……。うええぇーん……」
「泣いててもいいですけど、もう行きますからね」
ユニスの奴、笑ってるじゃん。
これはあれだ。
私をあざ笑っている感じじゃない。
冒険の旅が楽しみで仕方ない、みたいな。
何だよ、やっぱり冒険の旅に出たくて仕方なかったんじゃん。
「馬を一頭、買ってきました。城門近くに待たせてあります! さあ、行きましょう!」
「もう、わかったよ! 行くよ。行けばいいんでしょ!」
こうして、私のグランゼシアでのスローライフは幕を閉じた。