朝練は続く
聖闘気を開放し、纏うことができた。訓練は次の段階へと進む。
「開放していた聖闘気を、一旦おさめましょうか」
「うい。――ふう。おさめたよ」
纏っていた聖闘気が霧散する。垂れ流し状態よりはだいぶましだったけど、纏うだけでもけっこう疲れる。集中力もいるし。
「基本的に聖闘気は戦闘時、常に纏っているわけではありません。必要な時、必要な場所に纏うので」
「だよね。全身に纏っているのは燃費が悪すぎる。もって数分だわ」
「はい。なので、このように――」
ユニスが示指を上に向けた。
ポッと、指先が光る。
「部分的に、聖闘気を纏うことができます」
「おお! 指先に豆電球がついてるみたい」
「今の私は、本気を出せば指先一つで、岩に穴を開ける事ができます」
「……おっかねえ」
「こんな事だってできますよ」
と言って、ユニスは指先を地面に付くと、いきなり逆立ちし始めた。
指先一本で、逆立ちしている。微動だにしない。
「ユニス先輩マジすごいッス!」
ユニスは、指先で地面を弾くと、そのまま前方にくるっと一回転して華麗に着地した。
「これはけっこう難しいんですけどね。繊細なコントロールが必要ですから。もちろんお母さんはできるけど、お兄ちゃんはできません」
「そうなんだ。こういうの苦手そうだからな、アランの奴」
「はい。お兄ちゃんは、聖闘気の出力は私よりずっとすごいんですけど、繊細なコントロールは苦手なんですよ」
「なんか想像できるよ」
アランが、豪腕だけどノーコンのピッチャーだとしたら、ユニスはスピードはそこそこだけどコントロールは抜群の技巧派ピッチャーってとこか。
だとしたら。
「ちなみにさ、アランとユニスってどっちが強いの?」
「うーん、それは難しい質問ですね。模擬戦では、私の方が勝率は良いですよ」
「へー。どれぐらい?」
「だいたい、9割ぐらいは私が勝ってますね」
「圧勝じゃん! もうユニスが旅立っちゃえよ!」
「いや、それは……。あ、でも、私が勝つ時はいつも僅差なんですけど、負ける時は完膚なきまでにボコボコにやられちゃうんですよ。だから、私の方が強いなんて事は全然思ってなくて……」
歯切れの悪いユニス。まるで自分が強い事が申し訳ない、みたいな。
「ユニスは一生、この町で過ごしていくんだね」
「……はい。そう、だと思います。結婚して子供を産んで育てて……」
「そっか。まあ、いいんじゃない? 私がいた国でも、大昔はそういう考え方が主流だったしね。グランゼシアは文化が遅れてるから仕方ないよね」
Z世代の私からしたら、昭和の時代は大昔だ。
「そうなんですか!?」
「うん。めっちゃ遅れてる。日本でも、大昔は男は外で働いて、女は家で家事をするのが一般的だったけど、今は違うよ。男も女も関係なく平等に仕事をしようって法律もあるし」
「男も女も、関係なく?」
「そう。当たり前だよね。同じ人間なんだからさ。なんで男だけ働いて、女は家にいなきゃいけないわけ? 差別じゃん。確かに子供を産んで育てるのも大事だけどさ、そのためにやりたい事我慢するのは、間違ってるよ」
「…………」
ユニスが、口をあんぐりと開けて固まっている。
しまった。言い過ぎたか。ユニスの生き方とかナーシャさんの教育を根底から否定しているようなもんだ。
――いや、まてよ。
「あのさ、ユニス。ナーシャさんは、ユニスにすっと家にいなさい、子供を産んで育てなさいって言ってたの?」
「……いえ。言われた事ないです。ただ、みんながそのようにしてるから……その方がいいのかなって……」
「だよね」
ユニスはやっぱり聡明な子なのだろう。周りの空気を察して、知らない内に同調してしまうのかもしれない。
ナーシャさんはきっと、ユニスに何も強制してはいない。家に居ることも、旅に出る事も。ただ、どっちを選んでも困らないように下地を作っていただけで。
「ねえ、ユニス。よく考えてみなよ。なんでナーシャさんはユニスに家事を教えてたの? なんで聖闘気とか聖剣術を教えてたの?」
「それは……。家事は女の仕事ですし、聖剣術はお兄ちゃんに教えるついでに私にも……」
「死にそうになるほどの訓練を?」
「…………」
ユニスが、完全に固まってしまった。そりゃそうね。いきなり、こんな事言われたらさ。
ナーシャさんはいつか、ユニスに言うつもりだったのだろう。
後悔しているはず。
だったら、私が言ってあげる。
ナーシャさんの代わりとして。
一人の女性として。
「ユニス」
「……はい」
「自由に生きていいんだよ」
「…………」
返事はない。けど、真剣に私を見ている。
私も大概、おせっかいだな。
でもさ、我慢ならなかったんだよ。才能ある子が、くだらない慣習で能力を発揮できないのは社会的損失だよ。しかも私なんかのために。十年も。
きっかけは与えた。
後はユニスが決めればいい。
「まっ、私としては、ずーっと家にいて、十年間護衛をしてくれたら助かるんだけどねー」
「……っ! な、何ですかそれ! まつりさんは私にどうしてほしいんですか!?」
「えー、知らないよ。私は、私の事しか考えてないもん」
「わがまま過ぎます!」
「一回死んでるからねー。好きに生きて何が悪いのよ」
「……もう。勝手にしてください!」
「だから、してるって」
「私も勝手にします!」
「おお。いいじゃん! けっこうけっこう」
「とりあえず、今日の所はもう時間なので、朝の稽古は終わりにします。戻って、朝食にしましょう。次の稽古は午後からです」
「午後からもあるのね……」
「当然です! 稽古することが私達の仕事ですからね。国からお給金もいただいてますしね」
稽古することでお給金? どういうことだろう。勇者の末裔の特権か。
「お母さんには、週一回、王都の第一騎士団の剣術指南役としての仕事があるのですよ。私も助手として参加しています」
「え。聞いてない。無理」
「まつりさんには無理でしょうね。でも、大丈夫です。当分の間は私が、引き受けさせていただきます。まつりさんは、まあ、急病ってことにでもしておきましょう」
「助かる」
税金だけで食べていけるほどあまくはなかったか。ちゃんと仕事してたんだね。
朝の稽古を終えて、家に戻った。
ユニスと二人で朝食をとる。ハロルドさんは、散歩からまだ戻ってきていなかった。
聞けば、ハロルドさんは長時間散歩に行くこともあるらしい。たいていはすぐ帰ってくるそうだが、長い時は2~3日帰ってこない時もあるとか。腰曲がってるし、杖ついてるし、よぼよぼなのに。
それって、散歩じゃなくて徘徊じゃないの? 認知症で家が分からなくなって迷子になってるんじゃないの? 大丈夫? とユニスに言ったら、
「お、おじいちゃんは、すごい魔術師なんです! 町のパトロールとかしてるんですよ! 何も心配いりません!」
なんて、返ってきた。
なので、私はそれ以上追及することをやめた。
結局、無事に帰ってくるならそれでいい。
朝食の後は、家事や畑仕事を教えてもらった。
そして、昼すぎ。
また訓練が始まった。