勇者の旅立ちはあっさり終わった
寝坊したくせに、起き掛けからハイテンションのアランを追って、私も一階のリビングへと降りていった。
アランはすでに食卓についており、まるで飢えた獣のように朝食をかきこんでいた。
向かいに座っているユニスが、険しい顔でそれを見ている。
「お兄ちゃん。当分の間、お母さんのつくる朝ごはんを食べられないんだからさ、もうちょっと味わって食べなよ」
「そうだけどよ……もぐもぐ……、時間ないんだよ!」
「もう! ――あ、お母さん。お母さんからも何か言ってやって下さいよ!」
「別にいいんじゃない?」
「いいの!? 最後だからって、ちょっとお兄ちゃんに甘いんじゃないですか!?」
「そう、かな?」
甘いも何も、普段からナーシャさんがどうやってアランに接しているか知らんし。
私としては、さっさと朝食を済ませて旅立ってほしいし。
「ほっほっほっ。アランは元気があって良いのぉ」
「もう、おじいちゃんまで!」
ユニスの隣の席には、禿頭で立派な白いあごひげの生えているおじいちゃん。ナーシャさんの義父のハロルドさんだ。
グランフォース家は四人家族だ。ナーシャさんと、息子のアラン、娘のユニス、義父のハロルドさん。夫は随分前に出て行ったらしい。
「ごちそうさん! そんじゃ行ってくるよ! 母さん、じいちゃん、ユニス、今までありがとう!」
朝食を食べ終えたアランが席を立つ。
もう行くと言っている。
「お兄ちゃんは最後の時まで忙しないなぁ。忘れ物はない? 聖剣は持った?」
「持った持った! ――やべっ、完全に遅刻じゃねえかよ!」
そう言って、アランは駆け足で玄関を出て行った。
「次に会うときは、魔王を倒した後だ! じゃあな!」
「達者でのぉー」
「頑張ってね、お兄ちゃんっ!」
私も、アランの背中に声をかけた。
「行ってらっしゃーい」
こうして、アランは旅立った。
いや、何かあっさりしすぎじゃない?
これが、ナーシャさんが立ち合いを死ぬほど切望した、アランの旅立ちの瞬間か。
私には、何の感慨もなかった。
騒がしい奴が出て行ったな、って思っただけだ。
まあ、いいや。ともあれ、第一ミッション終了。
アランを無事旅立たせるという、ナーシャさんとの約束は果たした。
今、この瞬間から私はフリーダム。
あとは十年間、適当に家事とかしながらスローライフすれば、私は超お金持ちの家に超美人の子として転生できるのだ。
「ナーシャさんや、朝ご飯はまだかのぉ?」
「……さっき食べてたでしょ?」
「はて? そうじゃったかのぉ?」
義父のハロルドじいさんの認知症具合にはうんざりしたけど、ユニスと協力すればなんとか大丈夫だろう。
「はあ……。やっと肩の荷が下りたわ」
私は、大きく息を吐いた。
アランが去った食卓の間は、まるで台風一過のような穏やかさに満ちていた。
「ふふ、お疲れ様です。お母さん、この日のために、お兄ちゃんにいっぱい稽古つけてたもんね」
「そうだね。そうだった気がするよ」
「小さい頃から、聖闘気の使い方とか聖剣術とか。お母さんは稽古の時は本当に厳しかったもん。私もお兄ちゃんに付き合って、一緒に稽古してたけど稽古なのに何回も死にかけたからね」
「……その節は、大変申し訳ありませんでした」
反射で謝った。
ナーシャさんって、優しそうに見えて結構スパルタだったのね。度が過ぎた教育ママってやつかな。稽古で死にかけるって、日本だったら虐待だよ。
「そんな、謝らないでくださいよ! 新たな魔王が誕生した今、お母さんがうちに代々伝わる聖闘気や聖剣術を、必死にお兄ちゃんに伝えようとするのは当然じゃないですか!」
「まあ……」
「うちは王国唯一の勇者の末裔にして、聖剣の所持者でしょ? お兄ちゃんも小さい頃から、いつかは勇者として魔王を倒す旅に出る事は覚悟してたし、厳しい稽古はお母さんの愛情の裏返しだってこと分かってましたよ?」
「そっか。そういう設定だったよね……」
「設定って……。お母さん、本当に解ってますか!? グランゼシアの歴史とか覚えてます?」
「覚えてるよー。確か――」
ナーシャさんは、かつてグランゼシアを救った勇者の末裔だって言っていた。
グランゼシアの歴史については、ナーシャさんからざっくり教えてもらった。
「大昔に、グランゼシアは、創生神マーゼシアによって創られたんだよね?」
「そうです。それで?」
マーゼシアは、大地を創り、植物を創り、そこに住む生き物達を創り、自分によく似た生き物、すなわち人を創った。
多くの力を使い果たしたマーゼシアは最後に、残った力を全て集約した一体の人神を作り出して、グランゼシアの地を去ったと言われている、らしい。
「えっと、神の子って言われているマーゼシアさんの子供が、グランゼシアに国を創ったんだったよ」
「初代皇帝のアルテア様ね」
「で、国が大きくなって何百年後に、魔大陸から魔族が侵攻してきたと」
「そうですそうです。今から約八百年前の出来事だと言われてますね」
「えーっとそれで……。魔族の王に人神――アルテアさんが負けちゃったんだよ。で、グランゼシアは魔族に支配されるんだけど、アルテアさんの七人の子供達が奮起して仇を討つわけだ。みんながそれぞれに聖剣を持ってね。めでたしめでたし」
グランゼシアに聖剣は七本あるってナーシャさんは言ってたよ。
「そうです。ちなみに、聖剣はアルテア様の化身と言われてますね」
「そう……なんだね」
それは教えてもらってない。
であれば、聖剣ってかなりすごい。
「私達のご先祖様はグランゼシアを救った英雄で、後に勇者と呼ばれるようになったんですよ。魔王を倒した勇者様方はやがて各地に散り散りになって、ここマルス王国には二人の男女の勇者様が根付いたのです。それが私達のご先祖様ですよ」
最後はユニスが話してしまっていたけど、私がナーシャさんに教えてもらった事と同じだった。元々はナーシャさんがユニスに教えた事だから、当然ではあるが。
「あ、そういえば――」
ふと思った。
ナーシャさんの家には、聖剣が二本あるのだ。
「アランって、二刀流の使い手とかだっけ?」
「知ってるでしょ? お母さん。お兄ちゃんがそんな器用な事できるわけないじゃないですか」
「じゃあ、聖剣は一本だけ持っていったんだ。後の一本はうちにあるって事?」
「そりゃあ、あると思いますよ」
かなりすごい力を秘めた聖剣が、うちにある。
「それって、いいのかな?」
正に、宝の持ち腐れではないのか。
「え、でも使い手がいないじゃないですか?」
「ユニスがいるじゃん。使えるんでしょ? 聖闘気も使えるんだし」
「使えますけど……。私は女性で、いずれはお嫁にいかなければいけないから……子供を産んで育ててそれで……」
「ああ……そういう事か。ふーん」
まるで昭和の時代だ。
令和の時代に生きてるZ世代の私からしたら、何じゃそれって感じ。
「ってゆうかお母さん、やっぱり変ですよ? 本当に、私のお母さんですか!? なんだか全く違う人になっちゃったみたいですよ!?」
「…………だよね」
ちょっと調子乗ってしゃべりすぎちゃったか。
――仕方ないか。
ナーシャさんと、その点に関しては特に決めてなかったから、私の裁量次第ってことだ。
このまま、ずっとこの調子なのは正直しんどい。
自分で言うのもなんだけど、私は嘘が嫌いだ。隠し事も極力したくない。そんな私と、たぶんかなり聡明なユニス。遅かれ早かれ、バレるだろう。
であれば、今。
「ユニスに大事な話がある」
「はい。何でしょうか」
私の声を受けて、ユニスが顔を引き締めた。
「私は、本当はナーシャさんじゃないの。ナーシャさんの身体を一時的に借りているだけの全くの別人なんだよ」