晴天の霹靂のような
トリプルスター宿から庭園に出ると、そこには壮絶な光景が広がっていた。
魔族と思われる、人間によく似た異形の者達が三人がかりで、一人の初老の男性に襲い掛かっている。かたわらの地面には、血みどろになって倒れている男が二人いた。
見たことある奴らだ。
誰だっけ?
「ヤ、ヤドニス副隊長っ!」
ディランが一人で魔族に応戦している男に言った。そうだ。あの、薄汚れた白髪の長髪と仙人みたいなあご髭は確か、メリルローズ愚連隊の副隊長ヤドニスだ。
副隊長だからギリ、覚えていた。
「ああっ、グロッサ! ドノバン! くそっ、魔族にやられたのか!?」
倒れている二人は、グロッサとドノバンというらしい。えーっと、顔は知ってる。名前も聞いたことあったような気がする。
「うおおおおぉ! グロッサとドノバンの仇じゃあ! せいやああああぁ!」
ヤドニスは背丈を越える長槍を縦横無尽に振り回し、魔族共に応戦している。が、かなりの劣勢だ。
「ケッケッケッ! なぶり殺しだ!」
「人間風情が! 我ら狼魔族の相手になるとでも思ったか!」
魔族は三体。ほとんど無傷。対して、ヤドニスは身体中傷だらけで、今にも倒れそうだ。
「副隊長! ナーシャ様をお連れしました! 僕達も応戦します!」
ディランの声が、ヤドニスに届く。一瞬、振り返ったヤドニスが私達を確認した。
「なんと!? でかしたディラン! ナーシャ殿がいれば百人力、いや、千人力じゃ!」
ヤドニスの身体に活気が満ちる。ディランは剣を片手に、魔族に向かって行った。
「さあ、ナーシャ様! 行きましょう!」
「ああ、うん。そうだね。行くべきだよね!」
迷っている暇はない。
私にも、人の心はある。
ヤドニスもグロッサもドノバンも、見た目は蛮族だけど、私に色々と良くしてくれた。そんな彼らを痛めつけた魔族に対して、けっこうムカついている。
風の聖剣――ストームデスパーダを抜き放つ。
「ケッケッケッ! 獲物が自分から寄ってきたぞぉー?」
「人間の女はもらったぁ!」
言ってなさいよ。
「聖剣解放、風の聖剣――ストームデスパーダッ!」
渦巻く、エメラルドグリーンの闘気。私を狙っている魔族に向かって、切りかかっていく。が、
「うりゃああああぁ――。あっ。いっ、痛っ! うっ! のわっ!?」
踏み切った瞬間。右足首に痛みを感じ、遅れて腰に痛みを感じて、私は転んでしまった。
「階段から落ちた時に痛めたやつ……」
不意に転んだ私に、魔族も面をくらっているようだ。
急な移動は困難。
であれば、遠距離攻撃しかない。
幸い、風の聖剣は中から遠距離の攻撃を得意としているのだ。
照準を定めて、構えをとる。照準を定めて……照準を、定め……。照準を……。あかん。照準が定まらん! 視界が揺れる。相手の魔族が二重に見える。
酔った状態で、遠距離攻撃するのは無理だって。
とは言っても、他に打つ手はないわけで。
「数打ちゃ当たるでしょ! 『烈風斬! 烈風斬! 烈風斬!』」
あさっての方向に飛んで行く風の刃。幸い、牽制にはなっているようで、魔族の奴は私に近づくことをためらっているようだ。
あ、ヤバい。
動いたら、また気持ち悪くなってきた。
「おええええぇ…………」
私はなんてポンコツなのでしょう。
何もしていないのにすでに満身創痍だ。
「ナーシャ殿! ……っ!? こ、これはっ……!?」
私の異変を察知したヤドニスが、死闘の合間に視線をよこす。
「吐血!?」
「いや、違っ――」
この赤いのはブドウ酒と胃液の混じった吐しゃ物です。
「くっ! ナーシャ殿はご病気であられましたか! お身体の調子も悪い様子! そういうことでござったか!」
どういうことよ!?
魔族と戦いながら、ヤドニスは何やら勝手に得心した様子。
「早々に第一線から冒険者を退かれたのも、我々に稽古をつけて下さらなかった事も全てご病気のせいであられましたか!」
違いますけど。
「しかし、ナーシャ殿は来てくださった! 不治の病に侵され、余命幾ばくもないナーシャ様が、お国のために戦って下さっているのに、我らが不甲斐ない姿を見せるわけにはいきますまいっ!」
勝手に盛るな!
「のう、ディランよ!」
「何ですか!? うっ、それどころじゃないですよ!」
ディランは目の前の魔族との戦いにいっぱいっぱいで、ヤドニスの言葉なんて聞いちゃいない。
「気にせんでよい! 我らで必ず魔族を殲滅するぞ! せいやあああっ!」
「そのつもりですよっ! てやああああっ!」
盛大な誤解があるけど、士気が上がったのは悪い事じゃない。
ヤドニスもディランも、必死で戦っている。しかし、時間が経つにつれ傷が増え、どんどん動きが鈍っていく。魔族との力の差は歴然。気迫だけで戦っているようなものだ。
私は遠距離から当たらない烈風斬を放ち、牽制することしかできていない。
ジリ貧だ。
これはマズい。どう考えてもマズい。
「ぐああああっ……!」
「ああっ、ディラン!」
致命的な一撃をくらい、ディランが倒れた。魔族がトドメを差そうとディランに詰め寄る。
助けに行きたいけど、ここを動けない。私は、相手取っている魔族を牽制することで精一杯だ。ヤドニスも手一杯。今に倒れそうだ。
何でこんな事に――。
彼らの命を、このまま見過ごすことしかできないのか。
そしてその後は、きっと私の番だろう。
絶望の未来が脳裡をよぎり、生きる気力がしぼみかけた時。
まるで稲妻のような衝撃が空を切った。
※ ※ ※ ※ ※
冒険者ギルドポルトリース支店の受付嬢マリアンは、先ほどの出来事を反芻していた。
乱暴にドアを開け放ち、無遠慮に入ってきた金髪の青年は開口一番、
「妹が来てると思うんだけど、お姉さん知ってるか!?」
と。
「い、妹ですか? えっと、避難する途中ではぐれちゃったのかな?」
「いや、そうじゃなくてさ」
マリアンは、町に残っている冒険者が、この緊急事態に冒険者ギルドに指示を仰ぎに来る場合に備えて残っていたのだが、この青年は違っていた。
「忘れ物をポルトリースに届けてくれって頼んどいたんだけどさ、場所を決めてなかったんだよ。たぶんもう来てると思うんだけど」
「はあ……?」
「だいたい状況は分かってんだ。今こそ必要なんだよ!」
「えーっと……」
「あいつ、俺の事探してると思うんだ。先に来てたら冒険者ギルドに顔出してるはずなんだよ!」
「あの、お名前を聞いてもいいですか?」
「ああ、そっか。名乗るの忘れてたわ。俺は――」
マリアンはすぐにピンときた。その家名を知らないギルド職員などいないし、ましてやマリアンは、先ほどからずっとその事を考えていたからだ。
しかし、なぜ妹なのか? 母親ではないのか?
いや、今はそんな事どうでもいい。
こうして、新たな希望の光が訪れたのだから。
マリアンは先日、この青年の母親と思われる人物に紹介した宿の場所を教えた。
「げっ!? 母さんも来てんのかよ!?」
と、あからさまに嫌そうな顔をした後、
「ありがとうな、お姉さん! んじゃ、ちょっくら救ってくるわ!」
と言って、ギルドを颯爽と出て行った。
時間にして、青年が滞在していたのは一分にも満たない。
まさに青天の霹靂のような出来事だった。




