ユニス・グランフォース
港の先、沖合の方で爆発音が聞こえた。
黒い煙が上がっている。
瞬間、背筋が凍る程の怖気を覚えた。
魔瘴気の気配。
それも、一つや二つではない。何十……少なくとも百は超えている。
間違いない。
魔族の大群が、すぐそこまで迫ってきている。
「……っ!」
とりわけ、その内の一体は私では計り知れない程の力を持っている。
爆発音と、遠くに上がっている黒煙を見て、宿の庭園で、剣術の稽古をしていたメリルローズ愚連隊の手が止まっている。
「沖合の方で何かあったみてぇだな。ちょっくら見てくっかな」
「待ってください、モーガンさん。私が行きます。あなた達はここで待機…………いえ、周辺住民の避難誘導をお願いします。港からなるべく遠くに逃げるようにして下さい!」
「はあぁ? ユニス嬢、それは一体どういう事だよ?」
「いいから! 時間がありません、今すぐに行ってください!」
「お、おう……。どうやらやべぇ事が起きてるみてぇだな。おい、お前ら聞いたか!? 町の奴らの避難誘導だとよ! 行けっ!」
『うおおおおぉ! 緊急事態だぜぇ!』
「頼みます!」
愚連隊のメンバーが散開するのを待たずに、私は港の方へと全速力で走り出した。
「これは……何てこと……っ!」
港からは、海が一望できる。遠くには炎上して黒煙を挙げている王国の帆船。沖合の方には、空を埋め尽くさんばかりの、黒い翼を持った魔獣がこちらに迫って来ていた。
港は騒然としていた。この異常事態にいち早く気づいた人々は早々に避難している様だが、何が起こっているか理解できずただ空を見上げている人々も多くいた。
一刻の猶予もない。
「皆さん! 魔族の大群が攻めてきます! 今すぐ、避難してください!」
大声で呼びかけ周る。ポルトリースは港町だ。漁業を生業にしている人も多く、市場に人も多い。
もっと早くに、気がつくことが出来ればよかった。あれほど強大な力を持った魔族。お母さんであれば、数キロ先の魔瘴気の気配に気がつく事だってできただろうに。
「早く! 急いでっ!」
「いや、嬢ちゃん! 避難するってどこに逃げればいいんだよ! あれほどの大群、逃げ場なんてねえだろうよ!」
漁師の一人が、食ってかかる。確かにそうなのだ。ポルトリースに有用な避難場所があるかどうかは分からない。昨日来たばかりで、私はこの町の事を何も知らない。
最低限、今の私にできる事は――。
「私が、魔族の大群を引き付けておきます! 皆さんはとにかく、港を離れて下さい!」
「そんな、嬢ちゃんにできるわけねえだろうがよ!」
「私は勇者の子孫にして、Aランク冒険者のユニス・グランフォースです! あの程度の魔族の大群。私、一人いれば何とかなるでしょう!」
「……っ! そ、そうか。分かったぜ! なら、悪いがここは勇者様に任せるとするぜ!」
「ええ。大丈夫です! 他の人達にも呼び掛けて、避難してください!」
そう言って、猟師の男はまだ残っていた人々に呼びかけながら港を離れて行った。
「――勇者様に任せる、か……」
私は勇者の子孫ではあるけど、勇者ではない。子孫であるため、名乗る権利は持っているけど、ただそれだけだった。
勇者とは、もうずいぶん前に引退しちゃったけど、お母さんのように特別な力を持って多くのグランゼシアの人々を実際に救っていた人や、お兄ちゃんのように魔王を倒すという目標に突き進んでいる人こそ名乗るべき称号だと思っている。
私は、お兄ちゃんのついでに訓練して多少強くなっただけで、今ここにいるのだって自分の意思ではない。
魔族の脅威に晒されているグランゼシアの人々が、不憫でならないとは思うけど、それを私がどうこうするなんて事は、考えたこともなかった。
私は、家事をするのは好きだし、畑や果樹の管理や、お庭の手入れをするのも好きだ。勇者として旅に出るより、家庭を守っている方がしっくりくる、と思っていた。
でも――。
お兄ちゃんが旅に出る時、羨ましいと思った。
お兄ちゃんからの、聖剣を届けてくれって手紙を受け取った時、胸が躍った。
王都マルクスを出てからの、まつりさんとの二人旅は、夢みたいに楽しかった。
まつりさんは言った。
「自由に生きていいんだよ」って。
あの時、まつりさんが本物のお母さんの様に見えたんだ。
覚悟を決めよう。
今が、その時だ。
自分の心に、素直に従って。
「来ましたね――」
目測にて数十メートル上空の距離。飛行魔獣、百数十体にそれぞれ魔族が騎乗。先頭にはそれらを率いる強大な魔族が騎乗。
奴らには、私なんて避難に遅れたただの町娘にでも見えていることでしょう。
素通りなんて、させてたまるもんか。
「聖剣解放、雷の聖剣――ライトニングセイバーッ!」
雷の聖剣――ライトニングセイバーから、バチバチと弾けるホワイトイエローの闘気が放出される。
私は、先頭の魔族を睨みつけた。
私を見なさい。
留まって、対峙しなさい。
「私は勇者、ユニス・グランフォース! ここから先へは行かせません!」
勇者の称号を背負って、私は戦いましょう。




