北野まつりの長い夜
「まつりさん、起きて下さい。交代の時間です」
「…………ん、もう、交代? …………はあぁ……。わかった。頑張る」
先に休んでいた私を、ユニスが起こしに来た。見張りの交代の時間が来たようだ。
「特に異常はありませんでしたよ。……私もいい加減眠いので、休ませてもらいます。……あ、一応、聖剣は肌身離さず持っていて下さいね」
「オッけ」
「次の交代は、東に見える大弓座の星座が中天に移動したらですからね」
「えっと……うん。あれね。了解」
「あと、もしもの時は呼んでください」
「……うん」
「では、おやすみなさい」
「おやすみ」
ユニスが、簡易テントの中に入っていった。野営地に選んだのは、風よけにちょうどいい大岩があったので、そのふもとにした。周囲にはまばらに木々が群生している。
私は、大岩にもたれて夜空を見上げた。
空気が澄んでいるからだろう。満点の星空が、これでもかってぐらい輝いている。月っぽい衛星が大小二つあった。そのせいか、真夜中でもけっこう明るい。
「異世界ってゆうか、別の星、なんだよな……」
改めて、そう思う。でも、ここで死んでも行く所は同じ天界。実際、私はナーシャさんと、三途の川で会ったわけだし。天界って、何ぞや。地球以外にも、人型の知的生命体がいて文化を築いているのは分かった。きっと、他の星にもいるのだろう。
その人達も死んだら同じ天界にいくのかな? そういえば天使は、私の担当している地域の子達、とか言ってなかったけ? いくつか知的生命体のいる星を担当しているって事かな? で、そこで死んだ人達は同じ天界に行くと。
いや、同じ天界ってワード、何よ。
教えて、賢い人。
静かな夜に一人で何もすることがないと、思考が突飛な方向に行ってしまう。
私の思考は、宇宙を越えた何処かに行っていた。
つまり、呆けていた。
その時すでに、そいつは眼前に迫っていた。
「ほえ? ……っ! やばっ!」
風の聖剣を抱いていて良かった。私は、迫りくる刃のようなものを、鞘に収まった聖剣で、咄嗟に受けた。
「うっ、何コイツ……。でっかい、鹿……!? 角が刃物みたいになってる!?」
角が刃物になっている、でっかい鹿。普通の鹿よりも、2,3倍はでかい。灰色の体毛をした鹿だ。間違いなく、魔獣だろう。
「ぐぐぐっ……。うりゃあっ!」
このまま、大岩に押し込まれているわけにはいかない。私は鹿の腹部を思いっきり蹴った。そして、間髪入れず、
「ユニスちゃーんっ! 起きてーっ!」
ユニスを呼んだ。
ユニスは、秒でテントから飛び出してきた。
周囲を一瞬で見渡すと、状況を察知したのだろう。私に向かって言った。
「魔獣討伐ランクD、ビッグソードディアの灰色個体ですね。サイズはやや大。まあ、雑魚ですよ」
「まあ、雑魚ですよ。じゃなくてさ、いきなり襲われたんだよ!? 角が、刃物になってるしでかいし。何とかしてよユニス!」
「え?」
「へ?」
ユニスは、え? と言った。私が言った意味が、心底理解できないといった風だ。何言ってんだコイツ、みたいな。
「あの……。ユニスがやっつけてくれるんじゃないの?」
「私がですか? こんな雑魚に? 今はまつりさんが見張りの番じゃないですか」
「いやいやいや、もしもの時は呼んでって言ったじゃん!」
「全然もしもの時じゃないですよ。ただのDランクの魔獣じゃないですか。ちょっと武芸が得意な大人が五人ぐらいいれば勝てる程度の魔獣なので大丈夫です。私なんて六歳の時には一人で狩っていましたから」
「あんたと一緒にしないで!」
あかん。ユニスの強さの基準がバグってる。
幼い頃から、尋常ならざるシゴキを受けてきたユニスに、平和ボケしたただのJKの気持ちなんて分かるはずもなかった。
「私は、馬を見てなくちゃいけませんからね」
そういえば、魔獣の接近を受けて、木に繋いであった馬がさっきから暴れ回っている。
「ほら、早くしないとまた攻撃されちゃいますよ?」
「……っ! ああ、もう! やるしかない流れね!」
私は、風の聖剣を抜き放ち、ビッグソードディアと向き合った。
初めての実戦。
足が震える。心臓がバクバクしてる。呼吸が荒い。
――けど。
この一か月間、ユニスと厳しい稽古をしてきたんだ。
グランゼシアは、日本と違ってベリーハードな世界。
やらなきゃ、やられる。
常識を捨てろ。
私の既成概念をぶっ壊せ!
「聖剣解放、風の聖剣――ストームデスパーダッ!」
風の聖剣――ストームデスパーダが、鮮やかなエメラルドグリーンのオーラに包まれる。聖剣に、聖闘気を纏わせる。アルテア流聖剣術の第一歩だ。
「来ますよ! 迎撃して下さい、まつりさんっ!」
「どんとこい!」
ビッグソードディアが、頭を傾けて突っ込んできた。月っぽい明かりに照らされて、刃の角が鈍色に光っている。
取り合えず、サイドステップで躱す。
相手の動きをよく見て、決して目は離さない。
「よっと」
稽古でも散々言われた事。
ビビったら負けだ。
少し距離ができた。風の聖剣は、その特性から中から遠距離での攻撃を得意としている。ちょうといい距離。風の聖剣術を叩き込んでやる。
「『烈風斬!』」
ストームデスパーダをひと薙ぎ。風の刃を飛ばす。風の聖剣術の入門技だ。
風の刃が、ビッグソードディアの頚部に命中。
そのまま貫通して、首が血しぶきをあげて転げ落ちた。
「……やった、かな?」
数瞬後、頚部と泣き別れた胴体が、どさりと崩れ落ちた。
「よくできました、まつりさん。百点満点をあげます」
「あ、ありがとう」
ユニスから褒めてもらえた。でも、嬉しさは半分。あとの半分は、嫌悪感。
命を奪った事に対する罪悪感は無きにしも非ずってとこだけど、何か、とにかく嫌な感じ。端的に言うと、グロいのだ。魔獣の死体、グロすぎる。
「おえええぇ……」
「ふふふっ。まつりさん、始めは誰もが通る道ですよ?」
ユニスの奴、笑ってやがる。笑いながら、私の背中をさすってくれている。
「魔獣という存在は、徹底的に悪です。野生動物とは全然違うので、罪悪感とか必要はありません。死体だって――ほら、見て下さい」
ユニスに促されて、ビッグソードディアの死体を見る。すると――。
「あ。死体が……崩れてる……?」
黒い煙のようなものを発生させながら、死体がその原型を、まるでパズルのピースが剝がれていくみたいに崩していく。崩れた身体は塵となり、黒い煙となって霧散していった。
「魔獣は擬核という生命活動の大本になる器官を持ってて、それが破壊されると死にます。擬核を直接破壊するか、擬核による修復作業を越えるダメージを身体に与えると擬核は破損します。おさらいですね」
「ああ、そうだったね」
ユニスに、事前に魔獣の対し方はレクチャーされていた。
魔獣には擬核がある。擬核から配給される魔瘴気によって、生かされていると。
なので、擬核を破壊する事で魔獣は殺すことができる。死体から発生していたのは、魔瘴気の残滓だ。
「殺しても死体が残らないのは、後の事を考えなくてもいいので楽ではありますよ」
「まあ、それはそうだけどさ……」
魔獣は、擬核が破壊されれば、消える。グランゼシアに生きるユニスにとっては当たり前の事なんだろうけど、私にとっては奇妙な話だ。何だか魔獣って生物として不完全だ。繁殖はするくせに、死体は残らない。自然の摂理に反している。こんなモノ、自然に発生したとは思えない。
「では、まつりさん。私はテントに戻るので、しっかり見張ってて下さいね」
「はいよ。ぼちぼち頑張るよ」
考えても仕方ないか。
今やるべきことに集中。
「ユニス。ちょっと長めに休憩とっていいよ。起こしちゃったからさ」
「ありがとうごさいます。では、お言葉に甘えて」
ユニスがテントに入っていった。
私は、再び大岩にもたれかかって見張りをした。
幸い、その後は魔獣の襲撃もなく、すんなりとユニスと交代できた。
テントに戻った私は、よほど疲れていたのだろう。横になった途端、強烈な眠気に襲われて、気づいたら朝になっていた。
旅はまだ、始まったばかりだ。




