誰かが私のうわさ話をしているのかもしれない
「…………がはっ! ……ぐっ……はあぁ、はあぁ、はあぁ……」
全身の激痛と霞む視界の中で、ベルゼスが最初に目にしたのは、椅子に座って頬杖をつきながら自分を見下ろしているバストロニーの姿だった。
どうやらここはバストロニーの屋敷らしい。
「お。ベルゼーちゃんやっと起きたん? おはー」
「……バス、トロニーか……。くっ……! ごほっ……」
肺が焼け付くように痛い。床には血反吐と、自らの出血で血だまりができている。
「あんましゃべらんほうがいいかもよ。一応、応急処置はしたけど」
「……そうか」
「うちの、とっておきの極上魔精薬を無理矢理飲ませたかんねー。あと一歩遅かったらベルゼーちゃん、百パー、死んでたよ」
「…………ちっ」
「ちなみに、三日ぐらい死線を彷徨っていました」
ベルゼスは、自分の置かれている状況からおおよそを察した。
あの忌々しき銀髪女。俺は奴に、負けたのだろう。瀕死のところをバストロニーに助けられ、ここまで転移して戻ってきたのだろう。
左目が見えない。右足があらぬ方向に曲がっている。左腕は肘から先がない。額の角は、半ばから折れている。その他、全身に複数個所の骨折、いくつかの臓器も損傷しているだろう。心核は無事か。でなければ今、生きていない。
自分を、死の一歩手前まで追いやった銀髪の女。
間違いなく、奴は勇者の子孫だ。
勇者の子孫が使うとされる、対魔族に特化した聖なる気を纏った攻撃をしてきやがった。
そのせいで、傷の治りが悪い。極上魔精薬と言えば、内臓の損傷や骨折程度であれば、数分で治せる程の効果を持つ希少な霊薬だ。時間が経てば、欠損した部位すら直せると言われている。十魔剣将といえど、気軽に使えるものではない。
状況を整理したことで、怒りが徐々に湧き上がってきた。腸が煮えくり返り、怒りで全身が沸騰しそうだ。
「うおおおおおぉ……! ……はあぁ、はあぁ、はあぁ……。クソがっ、あの女……っ! この俺を、コケにしやがって……! 殺す。コロスコロスコロスコロス……。許さんぞ。絶っ対に、許さんぞおおおおぉ……! がはっ……!」
「はいはい。もう叫ぶのとか止めてもらっていいかなー? 床汚しすぎやって。あ、極上魔精薬もう一個飲む? 一個につき大金貨百枚ね」
「…………よこせ。金は払う」
「まいどありんす。まあ、どれだけ効果あるかわからんけどねー」
「……ちっ。厄介な事してくれやがって……!」
「多分やけどさ、骨折とか内臓の傷はギリいけると思うけど、潰れた目とか千切れた腕は元に戻らんかもしれんよー。勇者の子孫が扱う聖闘気って、それほど魔族にとっては厄介なんよ。極上魔精薬の効果も、一、二段階は落ちてる」
「そのよう、だな」
「左目は仕方ないとしてもさ、せめて千切れた右腕持ってこれたら良かったんやけど、うちには無理ゲーよ。あの銀髪女から一刻も早く、逃げたかったかんねー」
「あの女は、どうなった? 最後の攻撃は、手ごたえはあったが……?」
「知らんよー。少なくとも、うちが最後に見た時はわりと平気そうやったけどなー」
「……くそがっ!」
バストロニーと無駄口をたたきながら歩いていたせいで、気が付かなかった。
不意打ちさえ食らわなければ、結果は違っていた。
始めから全力で戦う事ができれば、結果は違っていた。
との思いはあるが死戦に、たられば、は通用しない。
しかし、奇跡的にベルゼスは生き残った。そして未遂の終わった、たられば、を実行する事ができるのだ。
「傷がある程度癒えたら、軍隊を率いてマルス王国領に攻め込む」
「ふむふむ」
「あの銀髪女……。奴だけは、死んでも殺す……!」
「がんばれー」
※ ※ ※ ※ ※
「はっ、はっ、はっ…………はぁーくしょんっ!」
「ちょっ、まつりさん! 耳元でくしゃみしないでくださいよ!」
「あー、ごめんごめん。ちょっと鼻水ついちゃった、へへっ」
「もう!」
誰かが私のうわさ話でもしているのかもしれない。
――なんて、そんなわけないか。
「まつりさんって、本当は中身おじさんとかじゃないですか? 若い娘はそんなくし
ゃみしませんよ!」
「え。いやいやいや、本当に女の子だよ! ピチピチの十八歳! JKだって!」
「まあ、何でもいいですけど、しっかりつかまっててくださいよ! 私だって、馬に乗るのあまり経験ないんですからね!」
「はいはーい」
その割には、ユニスは堂々と騎乗し手綱を握っている。ユニスの後ろで揺られている私も、中々に快適だ。
数時間前。私とユニスは王都を出立した。
今は、ユニスが大金をはたいて買った立派な馬に乗って、街道を北へと進んでいる。
目的地は、港町ポルトリース。そこでアランと落ち合い、アランが忘れて行った、雷の聖剣を渡すことになっている。
昼過ぎに、王都を出立して半日程駆けてきた。
整備された街道を駆けていた時は快適だったが、途中からは道なき道を駆けてきた。王都近郊以外はまだ、開発途上なのかもしれない。
ユニスに任せているため、道が間違っている事はないと思うけど。
そろそろ日が暮れる。
今日はここらで野宿らしい。私とユニスは馬を近場の木に繋ぎ、野営の準備をすることにした。
「ねえ、ユニス。王都の外って、意外と安全なんだね。ちょいちょい、羊とか鹿とかの野生動物は見たけどさ、魔族っぽいのはいなかったじゃん」
ナーシャさんは言っていた。
王都近郊の草原で、魔族と相打ちになったと。
ここまでの道程で今のところ、危険はない。
「魔族なんて滅多にいないですよ。魔獣はいますけどね」
「ああ、魔獣ね」
魔獣とは、魔大陸から持ち込まれた外来生物だ。約八百年前に魔大陸から魔族がグランゼシアに侵攻してきた時、魔族が大量に持ち込み、グランゼシア各地に放った獣だ。
魔族と同様に、魔瘴気と呼ばれる邪悪な気を身体に内包しており、攻撃性が非情に高い。知能はそれ程高くはないが、上位存在である魔族に対しては従順な獣だ。
八百年前に大量に持ち込まれた魔獣は、繁殖し今尚、グランゼシア各地でその数を増やし続けている。時に、村や町、街道を行きかう人々を襲い、グランゼシアに生きる人々の脅威となっている。直接的な被害は、魔族よりも魔獣の方が圧倒的に多いのだ。
「とは言っても、マルス王国領は、グランゼシア本土と海を隔てた小大陸ですので、魔獣の数もそんなに多くないですからね。時々、王都の騎士団や、民間の冒険者ギルド組合に討伐依頼が来ることはありますけど」
「そうなんだ」
冒険者ギルドとは、グランゼシア本土に本部を置く民間の、魔族や魔獣に対する対策組織だ。主要な町には支部があり、登録している者は冒険者として様々な恩恵が得られるのだ。
「私とお母さんも、冒険者ギルドには登録してて、魔獣の討伐依頼は何度も受けた事ありますよ」
「へぇー。そんな事もやってたんだ」
「お母さん曰く、地域の安全を守るのも勇者の末裔の仕事、だそうです。あと、実戦経験が積めるので良い稽古にもなるし、その上、報奨金も貰えるしで一石二鳥だって言ってましたよ。暇さえあれば、魔獣の討伐してたって感じです」
「抜け目ないな、ナーシャさん」
「本当、そうですよね。ああ、懐かしいなー。初めてお母さんに魔獣討伐に連れていかれた時は、私は怖くて泣いちゃったんですけど、お母さんは絶対、手助けしてくれなくて、お兄ちゃんと二人で頑張って討伐したんですよ。もう十年ぐらい前の話ですけどね」
「待って。ユニスが今、十五歳で、十年前っていうと五歳なんだけど!?」
「はい。そうですけど何か?」
「あ、いや……何でもないよ」
スパルタにも程がある。ナーシャさん家の子じゃなくてよかった。
「冒険者ギルドには、冒険者のランクがあるんですよ。普通は、成人を迎えた十六歳になってからじゃないと登録できないんですけど、私とお兄ちゃんは勇者の末裔だから特例で、小さい頃から討伐依頼を受けてたんです。勇者の末裔ってそれほど特別なんですよね。そのせいで、私の冒険者ランクは、Aランクまで上がっちゃったんですよ」
「ふーん。それってすごいの?」
「すごいかは分からないですけど、たぶんマルス王国にいるAランク以上の冒険者って私とお兄ちゃんとお母さんぐらいじゃないかな? お兄ちゃんと一緒に旅立ったガストルさんとミゲルさんはけっこう強いけど宮勤めだから冒険者登録はしてないですし」
「へー」
「冒険者ギルドって、グランゼシア全土に支部がある巨大組織だから、冒険者ランクは信頼性のある強さの指標になってるんですよ。ちなみにお母さんは、グランゼシア本土でも数人しかいないSランクなんですよ」
「おお。それは何か凄そう……。でもさ、そんなナーシャさんでも、魔族と相打ちになっちゃったんでしょ? それって、どういう事?」
「私もそれはずっと疑問でした。だって、魔獣の討伐依頼でもお母さんが苦戦したとこなんて見たことないですし、お母さんより強い人なんて、マルス王国にはいませんよ。絶対に。魔族の討伐に同行した事もありますけど、お母さんはあっさり倒していました。そこら辺の魔族に、お母さんがやられるはずありません」
「相当、ヤバい魔族とやり合った、って事だね」
「はい。お母さんと相打ちって事は、それこそ一体で王都を半壊できるぐらいの力を持った魔族でしょうね」
「……例えが、物騒すぎるわ」
ナーシャさんもその気になったら、王都を半壊できるって事じゃん。
「なので、気を抜く事はできません」
「うん。分かってる」
「まつりさんも、疲れたでしょう。食事を取った後は早めに事にしましょう。夜は交代で見張りの番をします」
「そうだね。明日も早いし」
夕食は持ってきた携帯食で簡単に済ませ、簡易テントを設置して休む事にした。
長い夜が、始まる。




