どうやら勇者の母に転生したようです
「――いいかげん起きなさい、アラン」
窓から差し込む朝日もなんのその。私の息子であるアランは、未だ布団の中で眠り続けている。むにゃむにゃむにゃむにゃ……。どうやら夢でも見ているらしい。
きっと、夢の中でアランは壮大な冒険でもしていることだろう。毎夜、夢にまでみた冒険の旅。
しかし、今日からは決して夢ではない。現実になるのだ。
――私にとってはいまだ、夢のようではあるけれど。
「今日はあなたの十六歳の誕生日。あなたが冒険に旅立つ、特別な日でしょ?」
「――はっ!?」
アランが、布団を跳ねのけて起き上がる。やれやれ。昨夜は興奮して、なかなか寝付けなかったのかな。一番大事な日に寝坊なんて、ちょっと考えられない。この性格、全く、誰に似たんだか。
――本当に誰に似たのだろう。
「母さんっ! なんでもっと早く起こしてくれなかったんだよ! しまった、王様との謁見の時間に遅れちまう!」
「時間通りに起こしたよ。あなたが全然起きなかったの」
「……っ! ああ、くそっ! 母さん、飯できてる!?」
「完璧にできてるよ」
「食ったらすぐに行く!」
アランは、急いで着替えをすると階段を駆け下りて、一階の食卓へと向かっていった。
「……朝っぱらから、騒がしい奴だな」
正直、好きなタイプではない。
できれば、母さん、なんて呼んでほしくはないけど、こんな見た目だから仕方ない。
というのもこの身体、私のものではないのだ。
「元々の持ち主は、勇者のお母さんであるナーシャさん――」
アランが去った部屋で、一人ごちる。
「でも意識は完全に私。私の魂が、ナーシャさんの身体に乗り移った、みたいな? 未だに信じられないけど」
――魂が乗り移る。
そんな馬鹿なって思うでしょ? 私もそう思う。
でも昨日、実際に体験したのだ。
私は、日本生まれの日本育ち。都内の女子高に通う十八歳の女性で名前は「北野まつり」だ。
昨日の事を思い返すと、私は朝、高校に行くために自宅マンションを出たのだ。いつものように、途中にあるコンビニでカフェラテを買って、コンビニを出ようとした時。
トラックが突っ込んできたのだ。
そして、気づいた時にはあたり一面、真っ白な平面にいた。すぐに察したね。ああ、私、トラックに追突されて死んじゃったんだ。ここは死後の世界だきっと、ってね。
後悔先に立たず。死んでしまったものは仕方ない。
白い平面を当てもなくとぼとぼと歩いていると、やがて川にたどり着いた。
その手前に、天使がいた。天使は、
「三途の川へようこそ、北野まつりさん。ここを渡った先は天国です」
と言って、手招きした。
「はあ」
言われるがまま、渡ろうとした時、
「お待ちを。あら、北野まつりさん、あなた、まだ死んでないじゃない。たまにいるのよね、死に急いじゃう子」
なんて天使が言ってきたのだ。
「え。じゃあ、私は戻れるんですか、元の身体に?」
「そうですね。すみませんがお引き取り下さい」
「了解です。じゃ」
これは俗にいう、臨死体験ってやつだろう。
天使に言葉に従い、引き返そうとした時、
「――なんて不幸な子でしょう。身体はぐちゃぐちゃ。元の身体に戻ったとしてもきっと一生寝たきりで、地獄の苦しみが待っているというのに……」
ってつぶやきが聞こえたんだ。
「待って。今のは聞き捨てならないんだけど!?」
「あ。失敬」
天使はぺろりと舌を出した。てへぺろ、みたいな。
「いやいやいや、それならもういっそこのまま死なせて、天国に行かせてくださいよ!」
天国か生き地獄か。そんなん、天国一択でしょ。
しかし。
「それはできません。生者に三途の川は渡れませんので」
「そんな……そこを何とか!」
「無理ですよー」
らちが明かない。
口の軽い天使としばらく押し問答をしていると、何やら人の気配を感じた。
見ると、女性が一人こちらにやってきた。
「北野まつりさん、話は後で聞いてあげるからちょっと黙ってて。次の人が来ちゃったわ――」
天使は、すがる私を脇においやると、女性に対して言った。
「三途の川へようこそ。えっと、あなたは……ナーシャ・グランフォースさんね。ここを渡った先は天国です」
ナーシャ・グランフォースさんと呼ばれた女性は、年のころは三十歳前後といった所か。銀髪ロングの、クリッとした碧眼で、スラーっとした美人さん。美人すぎて、二度目してしまった。服装は、西洋の、おとぎ話にでてくるような牧歌的な恰好をしていた。
「………っ! なんてこと。まさか、こんな大切な日を前に死んでしまうなんて…………!」
と、ナーシャさんは奥歯を噛みしめて震えていた。うん、わかるよその気持ち。きっと突然だったんだね。私もそうだったし。
「ささ、ナーシャさん、お先にどうぞ。後にめんどくさいクレーマーが控えてますので――ささっと渡っちゃってください」
「誰がめんどくさいクレーマーよっ!」
「あ、失敬」
天使はぺろりと舌を出した。あっかんべー、みたいな。こいつ……!
すると天使が、
「あら、ナーシャさん、あなたもまだ死んでないじゃない。はあ……今日は厄日だわ。立て続けに二人も生者が来ちゃうなんて。私の担当している地域の子達って本当、しぶといわね」
どうやらナーシャさんも生きていたらしい。
「……っ!? では天使さん、私は帰れるのですね? すぐにでも帰していただけませんか、グランゼシアの地へ。明日は、息子の大切な日なのですよ!」
はて。
グランゼシアとは?
間違いなく外国だとは思うけど、聞いたことない地名だ。ナーシャさんの見た目からしてヨーロッパ辺りの出身だとは思うけど。
「ってゆうか、ナーシャさん、あなた――」
天使はそう切り出すと、顔をしかめながら言った。
「魂が汚れてるじゃないの。いったいどんな死に方したのよ? ってまだ死んでないんだけどさ。天界の決まりで、汚れた魂をそのまま元の身体に戻すわけにはいかないのよね。現世に悪い影響があるからさ」
「えっ……。では、私は一体どうなるのでしょうか?」
「三途の川に浸かって、汚れた魂を浄化してもらうことになりますね。その後に、現世に戻っていただくことになります」
へー。どうやら三途の川には汚れた魂を浄化する作用があるらしい。無駄な知識が一個増えた。
「わかりました! さっそく入ります!」
そう言って、ナーシャさんはばしゃばしゃと三途の川へ入っていった。
「どうぞどうぞ。現世の時間でざっと十年ぐらいで綺麗になると思うので」
「はい。わかりま、した……? え。じゅ、十年!?」
「あっという間ですよね」
「長すぎますよ!?」
天使の時間感覚どうなってんのよ。十年があっという間って。
「十年も経てば、私の身体は朽ちて、土に還ってしまうではありませんか!?」
「仕方ないでしょう。ああ残念無念。ナーシャさんの身体、一瞬、心臓が止まっていたけど微妙に急所が外れてて、思いのほか綺麗な状態で残っているのにね。まあ、運が悪かったですね」
「ううっ……。我が子を狙っていた強大な魔族は、相打ち覚悟でなんとか仕留めることができたのに……。私は、勝負に勝ったのにっ!」
まぞく? 魔族、だよね。地球の話じゃないの? ナーシャさんって一体どこの世界線の人よ。ってかさ。
「あの――」
完全に傍観者となっていた私は、そこではたと気が付いた。
「これってさ、天界側のミスじゃん」
天使とナーシャさんが、二人そろって私を見た。
「二人連続で生きてる人間、こっちに呼んじゃうなんてさ、天界の死人フィルター、ザルすぎるんじゃないの? 日本だったらお医者さんが、ちゃんと死亡診断とかしてくれるんだけどさ、天界にはいないわけ? いないのね? ぷぷっ。おっくれてるー」
先ほど天使に雑に扱われた分、ちょっと仕返しがしたかったのかもしれない。
私は調子に乗って、まくし立てた。
「めんどくさいクレーマーね……」
「めんどくさいクレーマーとかじゃなくてさ、天使さん。あなた方は、とんでもないミスを犯したのよ? リアルに人の生を終了させるレベルのね。どう落とし前をつけてくれるのかなー? 期待しちゃうなー。ねえ、ナーシャさん」
私の勢いに押されてか、きょとんとしているナーシャさん。
「え、ええ。そうね」
これはチャンスだ。天界のミスに付け込んで、何らかの成果を勝ち取る。
成功するかはわからない。でも、この天使なら雑な仕事してるし、いいかげんな感じだからいける気がする。
私の成果とは――今考えた。秒で出てきた。
「例えばさ、超お金持ちの家に、超美人な子として転生させてくれちゃってもいいんだよー? もちろん記憶はそのままで」
それぐらいいけるでしょ?
いかせてください。
「随分と卑しい落とし前ですね……」
「へへっ」
卑しくてけっこう。恥とかプライドは現世に置いてきた。
天使は大きく息を吐くと、言った。
「はあ……。こんなに卑しい北野まつりさんの魂が綺麗で、子供を命がけで守ったナーシャさんの魂が汚れてるなんて世知辛いわね……。ああ、そういえば身体に関しては北野まつりさんはぐちゃぐちゃで、ナーシャさんは比較的綺麗で……。それなら――」
天使はぼそぼそと何か言いかけた後、腕を組んで熟考し始めた。
なぜだか、ちらちらと私とナーシャさんを交互に見ながら。
やがて――。
「良い考えを思いつきました。北野まつりさん。あなたの願い、叶えてあげましょう」
「え、うそ。いいの!?」
「ナーシャさん。同時にあなたの願いも叶えてあげましょう」
「なんということでしょう! 生き返らせてくれるのですか!?」
まさかの展開キター!
天使、太っ腹じゃん!
「ええ。ですが、お二方ともすぐには願いを叶えることはできません。そもそも、私はただの天使。人を生き返らせる権限はありません」
「できんのかい!?」
「で、では。願いを叶えるとはどういう事なのですか!?」
天使は言った。
「私が隠蔽することで――。いや失敬、私の権限で北野まつりさんの綺麗な魂を、ナーシャさんの身体に移すことができます。これは魂の戻り先を私が誘導すればいいだけなので可能です」
「え」
「なっ……!?」
「つまり、北野まつりさんは、ナーシャさんとして転生するのです。意識は北野まつりさん。身体はナーシャさんですね」
何言ってんのコイツ。
「そこで、十年ぐらい過ごしていただきます。その間、ナーシャさんには三途の川に浸かって魂を浄化していただきます。そして魂が浄化された後、ナーシャさんには元の身体の戻っていただくことになりますね。これで二人ともハッピーエンド。ウィンウィンの関係ですね」
いやいやいや。
ナーシャさんの国に行くのは正直ちょっと、ほんのちょっとだけ興味あるけど、重要なのはそこじゃない。
「私の、その後は!?」
「北野まつりさんのその後の事は、私が上司に、超お金持ちで超美人さんに生まれ変われるように掛け合ってあげましょう。ふふっ。特別ですよ?」
胡散臭い含み笑いだ。
「本当にできるの!?」
「できますよー。たぶん」
「たぶんって!?」
「そもそも。北野まつりさんには他に選択肢はないのですよ。嫌だったら元の身体に戻ってもいいんですよ? ぐちゃぐちゃの身体にね。この提案は、私の暇つぶし――。じゃなくて二人の幸せを願っての事なのですよ」
「あいかわらず口軽いな!」
暇つぶしって言ったよこの天使。
他に選択肢はないのかな……。でも胡散臭すぎるんだよなこの天使。うーん。いまいち決心がつかない。
するとナーシャさんが、
「その提案、受けましょう」
と言った。
「――息子の旅立ちの日に立ち会えないのは無念ですが、仕方ありません。その役目、私はこちらのお嬢さん――北野まつりさんに託したいと思います。そして十年、私の代わりをしていただけたら幸いです」
「え、や……まじで言ってる? 明日は息子さんの大事な日なんだよね? それに立ち会うぐらいならいいけど……。十年はちょっと長いよー。だってさ、さっきナーシャさん言ってたじゃん。魔族と相打ちになったって。そんな物騒な所にいきたくないんですけど。私みたいなただの女子高生なんて、すぐに死んじゃいそうなんですけど」
興味はあるけど、転生してすぐに死んでしまったら、元も子もない。
「その点は大丈夫です。私がいた場所は、グランゼシアの南方に位置する小国、マルス王国です。マルス王国では、基本的に男性は外で働き、女性は家を守るものが美徳とされています。なので、北野まつりさんには十年間、私の代わりに我が家を守って頂ければよいのです。城門の外で魔物と戦うなんてことは、ありえません」
「そう、なんだ。それならまあ――」
誠実そうなナーシャさんが嘘をつくとは思えない。身の安全が保障されてて、家もある。長期のホームステイみたいなものか。
適当に家事とかして、異国の地でスローライフなんてのも悪くないかも。
しかも、十年生き抜くというミッションを達成すれば、超お金持ちの家に、超美人さんとして転生するという、生まれながらにして勝ち確人生を送ることができるのだ。まあ、こちらは少し胡散臭い話だけど、リターンがでかするから賭けてみる価値はある。
「いいですよ。私、北野まつりは、ナーシャ・グランフォースさんとして転生します!」
「ありがとうございます!」
ナーシャさんとがっちり握手をかわす。
「――ふわああああぁ……。あ、終わりました? ん、どうなりましたか?」
天使が大きく伸びをしながら言った。
「あくびすなっ!」
「あくびぐらいしますよ。眠気とかないんですけど、まあ、気持ちの問題ですね」
「ああ、そう。はい、決まりましたよ。私が、ナーシャさんに転生する方向で」
「了解です。転生はいつでもいいですよ。今すぐでも、ずっと後でも」
「あの、私や家族のことなど北野まつりさんにお伝えしたいのでしばらく時間を下さい」
「いいですよー」
ナーシャさんは、色々な事を教えてくれた。グランゼシアの事、家族の事、自分の事などなど……。
「よし。そんじゃ、ちょっくら行ってきますわ。じゃあね、ナーシャさん」
「私の家族をよろしくお願いします。行ってらっしゃい、北野まつりさん」
こうして、三途の川に浸ったナーシャさんに見送られつつ、私は天使の案内で現世の、グランゼシアの地にあるナーシャさんの身体へと転生したのでした。