エピローグ-一緒に生きる-
理恵の顔はまるで眠っているかのように綺麗で、まだ生きているようだった。
理恵は甲状腺機能亢進症だったということを聞いた。
甲状腺機能亢進症とは、全身の新陳代謝が亢進され、いくら栄養を取ってもすぐにエネルギーに変えられてしまい意図せずどんどんと痩せていってしまう病気だ。その結果、理恵は自律神経が乱れ心不全を起こしてしまった。この病気は体重減少と喉仏の下が腫れ上がるのが特徴的だが、理恵はストレスのせいだと思い込んでいたのと、喉の腫れが目立たなかったことが病気の発見を遅らせた。気づいて病院に行った時にはもう遅かった。
「──園山さん、これ娘が入院してすぐに書いた手紙です。園山さんに渡してと言われて誰だか分からず、ずっと持っていました」
理恵の母親はそういうと、小さな手のひらサイズの可愛いイルカの封筒を手渡した。
泰人は母親から封筒を受け取ると、糊付けされていない封筒から手紙を取り出した。理恵の手紙には一言こう書かれていた。
──勇気を出して
泰人はなんのことだかよく分からなかった。
「後、もう一つ見て欲しいものが」
そう言って差し出されたのは、理恵の保険証だった裏には臓器の提供の欄に丸がされており、特記欄には──親族優先──と書かれていた。
署名年月日は1ヶ月ほど前。ちょうど理恵が学校に顔を出さなくなった時期だ。本人署名の欄には理恵の名前が書かれていたが、家族署名の欄には名前は書かれていなかった。
「これは……」
理恵はドナー登録をしていた。泰人はこの時やっと、理恵が結婚を急いでいた理由を理解した。臓器提供の意思表示は家族以外に指定はできない。
「園山さんはお身体が悪いのでしょうか?私たちは娘の意思を尊重したいと思っております。もし、園山さんにその意思がお有りなら、その家族署名の欄に署名をしたいと思います」
「しかし、そんな!!娘さんの臓器が僕だけじゃない。他の人にも行くんですよ!!」
臓器提供は特記欄のところに親族優先と記入されていれば、その臓器は優先的に家族に提供されるが、その他の臓器も他の人の手に渡る。
「承知しております……」
「だったらなぜ……?」
「理恵がそれを望んだからです」
それ以上言葉が出なかった。
(本人も家族も望んでいるのに自分か怖がってどうする)
──勇気を出して
さっきの手紙をもう一度見直す。泰人は決断した。
***
臓器提供は速やかに行われ、理恵の遺体はすぐに帰ってきた。遺体は普通の遺体と遜色なく綺麗なままだった。
翌日には通夜があり泰人も参加した。初めて会う親族ばかりで人見知りの泰人には居心地は良いものではなかったが、理恵の両親が説明してくれたおかげでだいぶ気持ちが楽になった。
親族の中には、もちろん理恵の双子の子供達もいた。目と鼻筋が理恵にそっくりだ。泰人も子供達の事を考えてないわけではなかった。しかし、自分が理恵の子供達と遊ぶところが想像ができなかったし、再婚した父親が将来眼が見えなくなるかもしれない。子供達の負担になるのではないかと心配した。結局子供達は理恵の元配偶者に養子縁組として籍を入れることとなった。
次の日は葬儀がしめやかに行われた。喪主は父親に任せ、泰人は学校側の人間として葬儀に参列した。葬儀にはクラスメイトを含め学校関係者や多くの人が参列しその中には里奈もいた。里奈は気付けなかった自分を責めているようだった。
「理恵は小坂さんの事責めたりしない。理恵は本当に小坂さんがいてくれてよかったって……友達になってくれてよかったって話してたよ」
泰人も里奈も理恵を名前で呼んでいることに気づかないくらい憔悴していた。
泰人は葬式が終わり家に戻るとすぐに、何日か分の着替えを用意し実家に電話をかけた。
「──俺、今から角膜の手術をしてくる」
入院する病院を伝えると電話を切って学校へ向かい、事情を話し辞表を渡した。学校側は驚き、怒りをあらわにする先生もいたが、比較的同情的な感じで、学校側も大事にしたくないということですんなりと辞表を受け入れてくれた。
泰人は学校を出るとすぐに理恵の眼が保管されている病院へ向かった。
病院に着くと採血から始まり、眼底の検査や麻酔への適合性を調べ3日後に手術が決まった。理恵の眼がどうなっているかと聞くと保存液に浸けて保管されていると聞いた。見せてもらえるか頼んだが規則で出来ないと言われた。
検査が終わり病室に戻ると泰人の両親がいた。びっくりしてすぐに飛んできたらしい。泰人は理恵と出会った時から今までの経緯を話した。父親は腕を組み黙って聞いていた。母親は涙を流していた。
***
3日後手術の日がやってきた。主治医には全身麻酔で手術自体の痛みは感じないというが、泰人は緊張で理恵からもらった手紙を握りしめ震えた。
看護師に呼ばれ手術室に運ばれる。両親とは手術室の前で別れ、数人の医師と看護師に囲まれる。
「それでは今から麻酔を打っていきます。1から数字を数えていってください」
泰人は言われた通り数を数えた。1、2、3、4、5、6……そこで泰人の意識は途切れた。
次に目が覚めた時には包帯が巻かれていた。まだ全身麻酔の効果なのか痛みはなく体が思うように動かなかった。
退院の日、主治医の手によって包帯が取られ、ゆっくりと目を開けた。風景がぼやけてほとんど見えなかったが今までのように歪んで見えるような感じではなかった。主治医の話では1ヶ月から半年ほどで鮮明に見えてくるだろうと話した。
泰人は眼の回復に専念するため、術後は実家で過ごした。日に日に少しづつではあるが鮮明に見えるようになり、一週間に一度は病院へ行き検査をし、定期的に点眼をして過ごした。
2ヶ月ほど経つと泰人の眼はほとんど回復し、10代の頃見えていた世界を取り戻したようだった。
(──世界はこんなに綺麗だったんだ)
窓の外を眺めるたびに泰人は感動し涙が溢れ、理恵のことを思い出す。
携帯ケースの中には理恵の写真が入っていた。眼が悪い時に撮ったものだが理恵の顔も歪んでない。さらに綺麗に美しく尊く思える。
「そろそろ、仕事探さないとな……」
泰人は医療系の教師ができる特別な免許を持っていたので食いっぱぐれはないが、せっかく理恵が綺麗な世界をくれた。いろんなところを見てまわりたい気持ちもあったので比較的自由の効く学校を選びたかった。
1ヶ月後すんなりと就職が決まり、すぐに働き始めた。
久しぶりの教師の仕事は楽しくやりがいがあった。元から教師が向いていたのだろう。泰人の人見知りも眼が見えるようになって、自信がついたのかほとんど感じることがなかった。
***
泰人は病院に来ていた。教師の仕事でバタバタしたせいもあって、何週間か行くのを忘れてしまっていた。最近になって、少し眼にゴロゴロと違和感があったので1日休みをもらい診察してもらいにきた。
眼の眼圧検査や診察が終わり、待合室で待っていると名前が呼ばれ診察室に案内された。
「急激な視力低下が見られます……このままでは失明する可能性があります」
そう伝えられた…
泰人は絶望した。せっかく理恵が光をくれたのに……と。
(この世に神様なんかいない!!)
医師はアイバンクに登録をして、もう一度角膜の手術をすればと勧めたが泰人は頑なに断った。
──理恵の眼を捨てるくらいなら、見えなくなった方がマシだ。と
泰人は学校に連絡し次の日も休みをもらった。幸い明日金曜日は授業が入っていなかったので、学校側も了承してくれた。
泰人はすぐに新幹線に乗り、席が空いている飛行機に飛び乗った。
「──着いたよ」
泰人は理恵に声をかけるように呟いた。そこは理恵が行ってみたいと言っていた沖縄だった。やはり地元と比べるとだいぶ暖かく、来ている上着は手に持って歩いた。泰人はタクシーに乗りなるべく人がいないビーチに案内してもらった。
時期はずれということもあってか、海辺には誰もいなかった。泰人はお金を払いタクシーを降りるとテレビでしかみたことのない、青い空に透き通ったエメラルドグリーンの海が広がっていた。
「理恵……見える……?君がみたがっていた沖縄の海……こんなに綺麗な海みたことがないよ……君が見せてくれたんだ」
まるでそれは隣に理恵がいるかのように語りかけた。
「君と一緒に見たかった……」
泰人は大声で泣いた。何も考えられなかった。何時間も何時間も涙が止まらなかった。
***
休みが終わり、また通常の日常が始まった。教師をしている時だけは理恵や眼のことを忘れ没頭できたが、定期的な点眼や病院に行く時には気が滅入った。前のように歪んで見えることはなかったが目が霞み、長時間パソコンと向き合うと神経を使い身体がどっと疲れた。
(もうすぐ見えなくなる……)
悲しくはあったが、前のように恐怖はなかった。
その頃には、泰人の白内障も併発しほとんど視力は無くなっていた。それでも学校側の配慮で教師の仕事を続けている。
──もう怖くないよ……理恵が勇気をくれたから……
END
描きたい内容はいっぱいあったのですが、ギュッとまとめました。
感想など頂けたら嬉しいです。