死という別れ
3年生になると、1日が矢のように早く過ぎていった。
理恵は勉強をしながら子育てをしつつ、1ヶ月に1、2回元配偶者と子供の面会日に子供を預け、泰人のところに遊びに行きご飯を作ったり、時には泊まって朝帰りをしたりした。
「最近、また痩せてない?」
泰人は理恵を後ろから抱きしめながら心配した。明らかに入学式の時より骨ばった感じになってきてる。
「まぁ、もうすぐ受験ですしね。ちゃんと食べてはいるんですけど、脳が糖分使い過ぎてるんですかね」
「理恵はもう合格確実なんだから、そんなに無理しなくても……忘れないように少しづつすればいいと思うよ」
「──そうですね」
それから数日後、珍しく泰人の機嫌が悪かった。一年に一度くらい同じ時期に機嫌が悪くなる。学校で話しかけても避けられているようで、授業もどことなく上の空でいつもの元気がなかった。メールをしても返信がない。
理恵は子供を両親に預かってもらい泰人の家に向かった。電気はついているので家にいるのはわかった。ドアのチャイムを鳴らすと少ししてドアが開いた。
「突然すいません。メール送ったのですが返信がなくて……」
「ああ、うん。ごめん、とりあえず入って」
理恵は靴を脱ぎ、お邪魔しますと部屋に入ると部屋はいつもより荒れているように見えた。
「先生、どうしたんですか?」
「……」
「言ってくれないと、私もつらいです!!」
部屋に沈黙が流れた。ちょうど隣の部屋の人が帰ってきたのか、鍵を開けバタンと家に入る音が聞こえた。
「──眼がね、眼がどんどん悪くなってきてる」
理恵は言葉が出なかった。泰人の病気は分かっているつもりだった。しかし普通に生活をしている泰人を見ると、そんな事はすっかり忘れていた。
どんな言葉もかけていいのか分からず2人とも俯き、また部屋が静寂に包まれる。時々、かすかに聞こえる隣の部屋のテレビの音だけがその静寂をかき消していた。
「なんで言ってくれなかったんですか!?」
「……」
「なんでですか!!」
「……悪くなってるって言ったら……理恵が離れていっちゃうと思って……」
理恵の顔が怒りで赤くなる
「私が、そんな人間に見えるんですか!!そっちの方が怒ります!!」
「ごめん!!ごめん……本当に怖くて……」
泰人が泣きそうになりながら謝ると、理恵も冷静を取り戻した。
「──先生、結婚しましょう!!」
理恵の突然のプロポーズに、今度は泰人が言葉を失う。
「子供は養子縁組しなくていいので。籍を入れましょう」
「なんで……突然……」
「突然じゃないです。ずっと考えてました」
「でも、でもこんな時じゃなくても……学校卒業してからの方が……学校も問題になるだろうし……」
「いやです!!私、先生の助けになりたいんです!!」
その後、理恵は婚姻届をとりに行き、泰人の家で2人はそれぞれ署名をし判を押した。承認の欄は共通の知り合いが学校関係という事もあり、泰人の両親にきてもらう事になった。
「理恵の親御さんには書いてもらわなくていいの?」
「うん、大丈夫」
「でも、こんな………挨拶もしてないのに、いきなり結婚とか大丈夫?挨拶行ってからにしない?」
「大丈夫ですって。私も試験で勉強しないといけないし、試験終わったら顔合わせの機会を作ればいいじゃん」
問題は学校になんて伝えるか。書類などを作成するのに学校には言わなければならない。どう伝えるか泰人は頭を悩ました。
婚姻届を出し半月を過ぎると理恵は学校に来なくなった。卒業試験も合格し学校の授業は強制ではなくなったが、試験まであと1ヶ月。家でラストスパートをかけていると思い泰人も連絡を控えていた。まだ学校には結婚したことを言えていなかった。
***
試験当日、会場には人がごった返していた。3年生は指定の場所に行き名前を告げてから試験会場へ入る事になっている。前日に、試験1時間前には会場に着くようにと全体メールを送ったが、理恵の名前の欄にチェックはなかった。
他の先生に理恵を見たかどうか聞くが誰も見ていないという。学年主任が緊急ように連絡先を所持していたので理恵に電話をかけてもらったが、理恵の電話は留守電につながってしまい連絡が取れないと聞かされた。結局、試験は始まってしまい理恵との連絡も取れなかった。
「はい。はい、え!?はい………担任に伝えます」
午前の試験が終わり学年主任が受けた電話は、学校で待機をしている他の先生からだった。
「園山先生……中島さんが、おとといの夜倒れて病院に運ばれたと。親御さんから連絡があったようです」
「!?」
泰人は居ても立っても居られなかった。どこの病院か聞くと、会場を離れる許可をもらいたタクシーに飛び乗り病院へ向かった。泰人は落ち着かず手を顔の前で組み祈るようにブルブルと震えた。
病院に着くと、受付に部屋の番号を聞いたがそんな名前の人は入院していないと言われた。園山はハッとし自分の苗字を名乗るとすんなり教えてくれた。
ありがとうございます。と頭を下げ病室に向かおうとすると
「あの、でも、この方ご家族の方以外面会謝絶になっておられます……」
「夫です!!」
泰人は力強く言いきり病室へ向かった。
病室の前まで来ると、看護師や主治医と思われる人がバタバタと走り回っていた。ドアが空いていたのでゆっくりと覗き込むと荒々しく息をし、苦しんでいる理恵の姿があった。
「理恵!!」
泰人は部屋に入り理恵に近寄った。
旦那様ですか。と看護師が声をかけた泰人がはい。と返事をすると近くにいた理恵の両親が泰人に声をかけた。
「少し宜しいですか?」
理恵の両親に会うのは初めてだった。泰人は理恵の両親と一緒に病室を出た。
「娘はあなたと結婚していたのですね。入院した時に名前が変わっていて驚いています」
理恵は両親に結婚のことを話してはいなかった。どういうことか分からなかったが、挨拶に行けなかったことを懸命に謝り、理恵に試験が終わったらその場を儲ける約束をした事を伝えた。
病室がさらに慌ただしくなった。
「中島さんが呼んでおられます」
3人は急いで理恵のところに戻った。両親が理恵のところに戻ると布団から手を出して母親がその手を取った。
主治医は延命は無理だと告げ、最後の言葉を聞いてください。と伝え人工呼吸器を口から外した。
「ハァ、ハァ……お父さん。お母さん……迷惑かけて、ごめんね……。ハァ、ハァハァ……今までありがとう」
母親は理恵の名前を叫びながら泣き、父親は必死に声を殺し涙を流した。泰人も両親の後ろで声を殺して泣いた。
「先生……ハァ、ハァ……」
理恵の声がどんどん小く弱々しくなってゆく。母親は理恵の手を離し、泰人にどうぞと場所を譲った。
「試験……受けたかったな……ハァ、ハァ……──先生……愛してる」
それが理恵の最後の言葉となった。