転生令嬢は平和がいいので我儘王女のせいで戦争が起きるとか勘弁してほしい
ヴァラグ男爵家の三女、ウルリカ・ハント・ヴァラグには前世の記憶がある。
正確には自分とは違う人間の記憶が少しある、という表現になる。思い出せるのはなんでもない日常だったり、特に好んでいたもののことだったり。
あまりはっきりしたものではないので、はたしてそれは本当に前世なのか、それとも今の自分はその前世と思わしき人間が見ている夢なのではないか――などと蝶が舞うようにふわりと悩むが答えの出るものではない。
物心がついてからしばらく、前世とは違い魔法のあるこの世界でどう生きるかとぼんやりと考えていたある日、家族ぐるみで交流のあった隣の領――オープザル子爵家という――の領主夫人が難病で亡くなった。
夫人が亡くなってからしばらくは葬儀の後も何やらで大人たちが慌ただしいため、そこの次男をヴァラグ男爵家で預かることとなった。
ウルリカと同い年のその少年はとても憔悴しており、騒々しい環境よりも親しい友人のいる落ち着いた場所で安静にさせることとなった。もちろん、その親しい友人とやらはウルリカをはじめとする男爵家の子どもたちのことである。
オープザル子爵家の次男は少し気難しい性質で、当時はまだ乳母とうまく打ち解けていなかったのもひとつの理由だった。
そんな彼も全体的におおらかな男爵家の面々に囲まれて、少しずつ落ち着きを取り戻していった。ウルリカもときにはそっと見守り、ときには構い倒した。
そんなことを続けていたら距離感が特にちょうどよかったのか、ものすごく懐かれた。子爵家に帰る際には癇癪を起こし、ウルリカと離れまいと必死に抵抗した。
ウルリカは無抵抗にしがみつかれつつ慰めていたのだが、それを見た大人たちは何を思ったのか、相性も良さそうだしとふたりを婚約させることにした。
こうしてヴァラグ男爵家が三女ウルリカ・ハント・ヴァラグと、オープザル子爵家が次男カレル・ヴァヘル・オープザルは齢四つの若き日に、婚約することと相成った。
◆ ◆ ◆
婚約したといってもお互いにまだ幼く特に何をするということはなかったが、文字を学び始めてからは手紙を送り合うようになった。
文字そのものは拙いが、しっかりした内容のウルリカの文章はカレルに衝撃を与えた。「ぼくのおよめさん(予定)はすごい、がんばらないと」と一念発起したカレルは勉強に力を入れはじめた。
その様子を見たオープザル子爵はいたく感激し、ウルリカに感謝の手紙と贈り物が届いた。余談だが、この贈り物について後に知ったカレルはひどく怒った。いわく「ぼくがえらびたかった!」とのこと。
当のウルリカは前世と思わしき人間の記憶のおかげで他の子どもより論理的思考能力がすこし高いだけなので恐縮しきりだった。どう考えても自分はただの人なので、神童に祀り上げられないかと若干ヒヤヒヤしつつ、この頃にはひとつ目標を定めていた。それはオープザル子爵夫人が亡くなった病の研究である。
その病は一般的に魔力詰まりと呼ばれるもので、魔力の多い王侯貴族が稀に発症するものだった。当然各国が研究を進めているが成果は芳しくなく、未だ難病と呼ばれている。
選りすぐりの研究者がこぞって研究をしているのに今更子どもが何をするのかというと、ウルリカにはやってみたいことがあった。この世界――少なくともこの国やその周辺――では薬といえば薬草の葉や実だけを用いたものを指すので、ウルリカは植物の根や皮などに目をつけていた。この辺りで根菜といえば下流階級の食べ物で、貴族階級出身者ばかりの研究所では、植物の根などを大きく見落としているのではないかと彼女は考えている。
最近国に入ってきたジャガイモについても食用植物の研究者である母が持て余していたのでウルリカは大プッシュしておいた。なお、トマトはまだ国に入ってきていないので、その日が来たらピザを焼きたいという野望がある。
方針を固めたので、忙しい社交シーズンの合間を縫って王都の貴族向けに開放されている王立図書館に連れてきてもらい、魔力詰まり研究の公開資料を漁った。七歳の少女が、大人でも匙を投げるような専門的な資料を漁っている姿は異様そのもので現実味がなかったため、あれは図書館の精霊だと噂をされるようになっていたことをウルリカは数年後に知ることになる。
ところで、この国で貴族子女の七歳といえば子ども向け社交の開始である。ウルリカはカレルと親と共に茶会に赴き同年代と交流することになった。
ウルリカはこのとき初めて知った、カレルは一般的にイケメンに分類される見た目だということを。
茶会で子どもだけになると向けられる令嬢たちからの刺すような嫉妬の視線、それを敏感に察知し無言で威圧するカレル。双方やめてほしい、自分は平穏に生きたいとウルリカは毎回女神に祈っている。
なおウルリカは自らの見た目は平凡だと思っているし、外部からの評価も同様だが、カレルは会う度に「ウルリカは今日もかわいい」と全力で褒めてくるので卑屈にならずに済んでいる。あの気難しかった坊っちゃんがいつの間にか溺愛幼馴染に育っていた不思議を噛み締めた。
社交に勉強にと忙しく過ごした社交シーズンが終わり領地へと戻り、研究を本格的に開始することにした。
初めに着手するのは各種タマネギ茶。どうしてタマネギ茶かというと魔力を血液に見立ててサラサラにできないかと思ったからという雑な理由である。お茶から手をつけることに特に理由はなく、ただウルリカの前世と思われる人間が健康茶マニアだっただけだ。
母から研究用のマウスと魔力計測器を譲り受け、各種タマネギ茶をそれぞれに飲ませて様子を見ること二ヶ月、とあるタマネギが不思議な効力を持つのではないかと仮説を立てた。
生物の持つ魔力の量というのは通常、それなりに波がある。研究資料によると、難病である魔力詰まりはこの波の落差によって身体を循環する魔力脈に負荷がかかり発生するのではないかということだった。
当該タマネギ――俗称は漆黒タマネギで、正式名称は別に存在するが皮があまりにも美しい光沢のある黒なのでだいたい漆黒タマネギと呼ばれている――のお茶を飲んでいたマウスは、その波が常に中央値付近で安定していたのだ。
とはいえこの個体の性質かもしれないので、他のマウスにも濃度を調整した漆黒タマネギのお茶を投与すること更に二ヶ月。半数ほどの個体が同様の結果を見せたのでウルリカは夢中になった。
さてこの数ヶ月、研究に没頭していたらカレルの相手がおざなりになり、だいぶ拗ねられたのでご機嫌とりがすこし大変だったが、恥を忍んで提案した膝枕をお気に召したようだったので事なきを得た。
ビギナーズラックによりマウス実験でいきなり当たりを引いたので、さっそく領民の協力を得て他の動物でも実験を行い同様の結果を得た。健康被害などは特に報告されず、その間もマウスによって漆黒タマネギの他の部位を試していたが、効果が出たのは皮だけだった。
抽出の過程で有効成分が生成されるのか、生のままでは効果がなく、温度に意味があるのかと低温抽出しても効果は出なかった。
漆黒タマネギ茶はすこぶる不味く、味覚が発達している動物は嫌がることもあったので味の改善をしたかったのだが、温度調整は難しく濃度はあまりにも薄めると効果が望めないため現時点ではお手上げである。
その後、いざ人体で実験となったが、基本は健康茶なので気軽に家族や使用人らの協力も得たら、どこから聞きつけたのかカレルが自分もやると乗り込んできた上にオープザル子爵も協力させてくれと頭を下げ、男爵家はそれはもう慌てた。
子爵は多くを語らなかった。語らなかったが男爵家の皆は知っていた。彼は妻を愛していた、妻を救えなかったことを深く嘆いていた。
「この先あの病で苦しむ人を減らすために、協力させてほしい」と頭を下げ続ける子爵の願いを断ることなど出来ず、漆黒タマネギ茶を預けることになった。
そうして両家で漆黒タマネギ茶を飲み続けること一年、誰かに健康被害が出ることもなく、皆が穏やかな魔力と共に日々を過ごしていた。漆黒タマネギ茶は不味いままだが。
更に摂取の頻度や濃度などの条件を変えて各種のデータを揃えること数年、思い切って王立研究所に連絡をとることを決意する。
――ウルリカ・ハント・ヴァラグ、十二歳のことである。
その日、王立研究所に激震が走った。オープザル子爵とヴァラグ男爵に連れられた成人前の令嬢が、難病とされる魔力詰まりに有効なものを発見したという。
今までもガセネタなどがよく持ち込まれたため特に期待していなかったが、提出された資料を見て研究員たちは驚いた。各種の動物実験に始まり、健康体の人間での摂取記録が揃えられ、仮説が簡潔に整えられていた。
大人が揃えたデータを令嬢の手柄にしているのではないかと訝しんだ研究員はわざと厭らしい質問を繰り返すも、令嬢は背筋を伸ばしたまま表情も変えず、淀みなく答えた。
答えられない不明点は不明であると認め、どういった理由で不明なのかも理路整然と明かし、研究員は白旗を上げた。彼女は誰かに押し込まれた結論を出力しているのではなく、自らがデータを集め考え抜いた結果を頭に持っていると。
研究所で改めて漆黒タマネギ茶の試験が繰り返され、有効性が確認されると治験が始まった。末期とも言えるような段階では効果が出なかったが、ある程度進行していても詰まりが融解されることがわかった。
これ以前にも魔力量の調整をする薬は存在していたが、それは霊山の魔力溜まりにひっそりと育つ貴重な霊草を使用するもので、魔法使いたちが一時的に魔力を高めるためにも使うため非常に高価かつ市場に出回らないものだった。
後に新薬が発表された際、霊草の高騰がおさまると魔法使いたちが喜んだのは言うまでもない。
研究員たちの興奮と無念と嫉妬とその他諸々によるエネルギーによって漆黒タマネギ茶は薬として進化を遂げ、大きな丸薬が誕生した。煮出す必要はあるものの丸薬という見た目になったことで原材料が不明になり、なんと味もそれなりに改善されていてウルリカは驚き研究員たちの本気に慄いた。煎じると丸薬がふんわりと広がり、タマネギの花のような見た目になる遊び心がにくい。しかし湯の中に漂う物体を眺め、タマネギの花というかマリモみたいだなとウルリカはぼんやり思う。
これからこの薬はそれなりの値段で――だが霊草を使った薬とは比べ物にもならないほど安価に――提供されるようになるので、まずはその発表とそれに伴う褒賞を国が行うこととなり、その晩餐会にはウルリカも招待された。
それはウルリカが十六歳のことであるが、実はその前からこの国にはトラブルの種が持ち込まれていたのであった。
◆ ◆ ◆
遡ること約半年、ウルリカとカレルは王立学園の新入生となっていた。
「例の王女様の護衛に任命された?」
「うん……」
王都のオープザル子爵邸コンサバトリーにて、声に出すのも嫌だと言わんばかりに王宮から届いた手紙をウルリカに渡し、カレルは大きく育った身体を曲げて全身で無念を表現していた。
半年ほどの予定で留学に来た遠国の王女は、翻訳されたこの国の騎士物語をいたく気に入り遥々やってきたという。学びに来たのではなく男漁りにきたと隠しもしない態度をカレルは本気で軽蔑しているが、当の王女はそんなことを気づきもせずに学生の彼を理想の騎士の姿――外見しか見ていないが――だとお気に入りに定め、護衛にしろと要求してきた。
学生の身分で従騎士ですらないカレルを他国の王族の護衛に任命するのは無理があると王宮側も渋りに渋ったが、我を通すことしか知らぬ王女は一歩も引かず、学園内のみという条件で話がついた。
要求が通らぬならと「じゃあこのまま帰ろうかしら!」と言い放った王女に関係者一同の内心は(そのまま帰れ)と一致団結していたが、現実は国同士のやり取りの上でこの王女は正式に留学してきているのでこの程度で送り返すわけにもいかない。一同は先行きの不安を感じつつも粛々と手配が進んでいった。
さて初年度は男女共通の学科も多いが、別々のものも存在する。当然その分は補講を用意するなどと学園側も配慮してくれるものの、同じく騎士を目指す男子学生との交流機会などは大きく削られ、あまりにも無駄な時間を強制されることを考えてカレルは任務の開始前からげんなりしている。
女子学生向けの授業で護衛するということは、ウルリカも近くにいるということだけが救いだった。
カレルは本来ならウルリカと同じ研究者になりたかった。だが勉学にあまり向いていると言えず、ならばと彼女がどこにいようとついて行ける潰しの効く能力を得られる騎士を目指すことにした。
まずは隣にいてもウルリカが恥ずかしくないようにと立ち振る舞いにはいっそう気をつけていたことが仇となり、全く望みもしない軽蔑する女の護衛に抜擢されるのは予想外だったが。
「ベテランの騎士がついてくれるんでしょう?貴重な機会じゃない、護衛のお仕事の勉強ができるわね」
「うん……がんばる……」
「なにか助けになれることがあったら言ってね」
「うん……」
精神疲労により言葉少なになりつつも、昔から自分を慈しみ優しく撫でてくれる大好きなウルリカの手を堪能しながら、頑張るための燃料として膝枕を追加要求し至福の時間を過ごしたカレルは、半年間なんとか耐えようと女神に決意した。
ウルリカは昔よりよっぽど落ち着き紳士的になってきたカレルにも、まだ以前のような気難しい性質が残っていることは察していた。何も起きなければいい、そんな些細なことを女神に祈るしなかった。
そんなふたりの決意と祈りを無下にするように、遠国の王女の我儘は加速していった。
放課後や休日の外出にもカレルを付き添わせようと命令――補講で忙しいとやんわりと拒否しているが――したり、婚約者であるウルリカを罵りに来たりした。ウルリカは一見おっとりぼんやりとした雰囲気を持つが、中身はそういうわけではなく長口上で返り討ちにしたため、カレルの暴発はギリギリ免れた。
この際にウルリカが言い放った「王女殿下のお国の春はとっても長いんですね、羨ましいです」から始まる「お前の頭ン中は年がら年中お花畑かよとっとと国へ帰れ」という直球の罵倒を数分かけて美辞麗句と関係ない話という薄皮に包んで丸め込み、滞在している邸に帰した出来事は見ていた生徒らにより拡散され、ウルリカは一年がはじまったばかりだというのに一目置かれるようになってしまった。
なお王女の故国はこの国よりも寒さの長引く気候であるため、王女は混乱したまま丸め込まれ、後々に首を傾げた。
「ウルリカはかっこいい、かわいい、好き」
「はいはい、ありがとうね。私も好きよ」
つかの間の休日、もはや恒例となったコンサバトリーでのお茶会で膝枕を堪能するカレルは気力を回復させていた。ウルリカも自分の前では昔に戻ったように甘えてくるカレルがかわいいので甘やかしつつ、ふたりの日々はなんとか過ぎていった。
そして魔力詰まりの新薬の発表及び褒賞を含めた祝い事のための晩餐会が開催されることとなり、騒動は起きる。
◆ ◆ ◆
ふたりはまだ成人前のため本来は晩餐会への参加資格はないのだが、褒賞のあるウルリカと王女の件で迷惑を被っているカレルは、特例でパートナーとしての参加が可能となった。当の迷惑王女も国の代表として席を用意されているが、流石にこんな場でカレルになにかしてくることはないだろう、という見通しだった。
ウルリカのドレスは、若輩者ですのでという主張のため慎ましいシルエットだが、じっと眺めると細かな刺繍が施されており裾がひらめく度にきらきらと模様が浮かび上がるような見事な出来栄えだった。彼女を飾るアクセサリーは小粒で上品なもので、これらすべてはカレルが監修し用意したものである。
一方のカレルは特別に騎士礼装を借りており、緊張と相まってまだどこか着られているような微笑ましさと彼が本来持つ凛々しさの同居するなんとも形容しがたい美しさがあり、ウルリカはときめき暫し見惚れていた。
会が始まり、お偉方の長い話を聞きながらウルリカとカレルは強い視線を感じていた。どうすることもできず耐えに耐え、ついに発表というタイミングで唐突に遠国の王女は立ち上がり宣言した。
「皆様にお知らせがございますの。わたくし、カズィケァラェ・ダンスェコントィアはカレル・ヴァヘル・オープザルと婚姻を結びますわ!」
宰相から王太子へと話者が移るタイミングで割り込んだ王女は、凍った空気のなか一切悪びれもせず、温かい拍手に包まれることを確信していた。彼は下位貴族の次男、しがない男爵家の地味な女などではなく王族と結婚できるなんていう夢物語が祝福されないことなんて絶対にない。彼は身分差を考えて一歩引いているだけ、この恋は上位者である自分が主導しなければ成り立たないのだ。
カレルの機嫌は急降下した。せっかく美しく着飾ったウルリカが隣にいるのに、どうしてあんな女に意識を向けねばならないのか。早く排除しなければ――と思考が危険なほうにまとまったとき、ウルリカがそっとカレルの手に触れた。途端に落ち着きを取り戻したカレルはその手をとり指先に口づけをし、自身を呼ぶ王太子のもとへウルリカを伴い堂々と歩みを進めていった。
一方の王太子はこの騒動をどうすべきか、静かに思考を巡らせていた。王女の故国との取引はこちらの国が多少有利なように結んである、これを崩したいわけではないのでカレルを生贄として王女に渡すのもひとつの手だとは思っている。
しかし、これ以上言われるがままというのも沽券に関わるし、彼の婚約者は鬼才ウルリカ・ハント・ヴァラグ。この国の王侯貴族を長い間蝕んでいた魔力詰まりの緩和薬の原案をたった数年で未成年が作り上げたという恐ろしき才能。カレル・ヴァヘル・オープザルを手放すことによって仲睦まじいふたりを引き裂くと彼女の不信を招く可能性が非常に高い。
正直なところ現在の王国は、はじまったばかりの遠国との国交を失うよりそちらのほうが恐ろしい。魔力詰まりの他にも新薬開発の目処が立っていない病は数多存在するため、彼女にはそれらにも手を付けて欲しいと思っている。
カレル本人も、正規の騎士教育をまだ碌に受けられていない状態だというのに、自身を狙う我儘王女の護衛という面倒な役割をこなし続けた精神力は評価すべきものであり、良い騎士になれるであろう彼はできれば王国に置いておきたい。
それに、時折危険な眼をするカレルを落ち着かせることができるのはおそらくウルリカだけなのだ。カレルひとりを他国に出したらどんな暴発をするか想像もできない。
青ざめた王女の世話役と、寄り添いこちらへ向かってくるふたりを視界におさめながら、王太子は穏当な解決を女神に祈った。
カレルとウルリカは王太子の元へ辿り着き、深い礼をとった。
「よい、面をあげよ――して、カズィケァラェ王女よ、なんだったかな、カレル・ヴァヘル・オープザルとの婚姻がご要望と?」
「ええ……要望といいますか、わたくしたちは相思相愛……ですが身分差があり彼は諦めているのです。ですので王太子さまの命があれば彼も安心してわたくしのもとへ来てくれますわ」
「だ、そうだが……カレルよ、どうだったかな?」
「身に余る光栄ではございますが、私には既に女神に誓った我が半身たる婚約者がおります。神聖な誓いを破ることは大罪。そもそも彼女以外の伴侶は考えられませんのでご遠慮申し上げます」
「あらそんなこと?異教の神だなんてどうとでもなるから我が国で改めて儀式をしましょう、そんな女神なんて怖くないわよ。それよりもカレル、貴方もわたくしの名前を――」
「――は?」
先程の凍った空気などとは比較にならぬほど、シン……と時が止まった。穏やかな笑みを湛えていた王太子は相変わらず笑顔だが、凄まじい圧を放っている。
「……それは我らが女神を愚弄していると受け取るが?」
「なぁに、何を怒っているの?」
ころころと心から笑う王女を見て王太子は僅かに残していた敬意を完全に捨てた。彼女は気高き王族ではなく、安寧の柵を好奇心のまま抜け出して無防備に外交という野生へとやってきた愚かな家畜。
ならご要望の通り今すぐ仕留めてやろうかと思ったが、残った理性が待ったをかける。仕留めるのは今ではない、囲って退路を塞いで一番良いタイミングで狩るべきだ。
王太子は敬虔な女神の信徒で、この国は女神への信仰が強く根付いている地である。
女神は平和の象徴だったが、平和とは脅かされるものである。脅かされるのであれば断固争う、戦いの女神でもあった。
「王女を捕縛しろ。温情だ、故国へその言葉の真を問うてやろうじゃないか」
斯くして王女は離宮の一室にて監禁された。使者を送る価値も無いと見做されたため、親書を持たされた王女の世話役をはじめとする遠国の面々は急ぎ帰国させられることになった。
親書は躾のなってない愚かな子どもを王女と偽り送り込んできた真意はいかに、という内容で、期限までに回答のない場合は問答無用で王女の首は飛び、国交は遮断される。
◆ ◆ ◆
すぐに回答があるものではないので、国王から対応を任された王太子はまず足場を固めることにした。同じ女神を信仰する周辺国へ魔力詰まりの新薬の存在をそれとなく仄めかし、意識を向けさせる。
遠国が謝罪してきたのなら別に良い、そのまま正式に新薬のお披露目をするのみだ。そうでないのなら女神への愚弄を問題化し更に新薬を餌に支持を集め、周辺国の関係国をも巻き込み王女の故国から距離を取らせる。
直接武力を差し向けるにはだいぶ距離があるため、その他の手段も含め迂遠なものが主となるが、ジワジワと体力を削っていく作戦をとっている。ただし軍備も並行して整えられ、王国はピリピリとした雰囲気に包まれた。
警備の都合上、ウルリカは子爵邸に滞在することになった。新薬の開発者だということは伏せられているが、王女が懸想していたカレルの婚約者であることは知られている。
あの晩餐会に居たのも特別に呼ばれたカレルのパートナーとしてであり、それ以外の理由は無いとされた。
どんな思惑に巻き込まれるかわからないため、ウルリカとカレルはまとめて王家の護衛がつけられている。
待ちの状況になった頃、王太子はウルリカとカレルのもとへと謝罪に訪れた。
「貴女の祈りを武器にしてすまない。ただ、耐えてほしい」
「ッそんな、頭をおあげください……!」
ウルリカは確かに悲しかった。病に苦しむ患者やその家族のために行った研究の結果が、誰かを脅す武器になってしまう。
でも王家の決断を批難もできない。国や強く根付いた信仰をあまりにも蔑ろにされるのは国や民にとって良くない結果をもたらす。言いがかりをつけて貶めてくる存在がいる以上、武器を持って立ち向かわなくてはならない。
その武器がたまたま新薬になってしまっただけのことだと理解している。決して納得はできないが、理解はしているのだ。
「カレル、君も気に病む必要はない。君のせいではない」
「……はい、お心遣いに感謝いたします」
カレルもずっと塞いでいた。自分が王女をうまく諌められなかったからこの状況になってしまったかもしれないと悔いている。彼は優しいウルリカの願いが武器になってしまったことが悔しくてたまらなかった。
王太子を見送った後も、ふたりはいつものコンサバトリーに移動し、ただ寄り添っていた。
状況が動いたのはそれからしばらく、王女の故国から回答があった頃。
内容は簡潔にまとめると「そのような些細な問題で目くじらを立てるなど言語道断。速やかに王女を帰すべし」とのことだった。王女が阿呆なら王も阿呆、誰もが納得した。
速やかに王女の首を送り付けたいところだが、物事には順序がある。国交断絶の宣言を行うために、使者にざっくりと切った王女の髪を持たせて帰す。
離宮の一室に閉じ込められている王女は、髪を切られて大いに嘆いた後、ようやく自分が大変なことをしでかしたのだとほんの少し理解したという。彼女は父王に守られた狭い世界しか知らず、それが唯一の絶対だと思っていた。信仰も自らの国の神が一番で、他はその下だと思い込んでいた。
この世界はそんな単純ではないのだと、王女はようやく気がついた。
王太子の策はもう一段階進み、周辺国の取り込みのため本格的に動き出した。魔力詰まりの新薬は大々的に発表され、各国から相談や申し込みが殺到した。
ついでに王女の女神蔑視の発言も拡散され、王女の故国はもとからほそぼそと交流があった国からも少しずつ遠巻きにされるようになっていった。
その隙間を突いて、王女の故国の名産品と同格の品――ブランド化の関係でかつてはうまく市場に食い込めなかったが、品質は同等に良いもの――を流行らせて、市場を上書きしていった。
王女の故国も、王女の発言の火消しや市場の誘導に躍起になるものの、先手を打っていたことと魔力詰まりの新薬という強力な武器を操る王太子のほうが上手であった。
そんな中、王太子にひとつの情報がもたらされた。遠国の王妃、つまり王女の母が魔力詰まりの症状に苦しめられているらしい。
その情報から始まる事態が落ち着いたのは激動の晩餐会から二年近く経った頃、ウルリカは十八歳になっていた。
◆ ◆ ◆
ウルリカとカレルは警備の問題と心の傷のこともあり半年ほど休学をしていたが、年度が代わる頃に改めて一年生をやり直すことにした。
事情を知っているかつての同級生らは先輩になったが、何かに付けて世話を焼いてくれた。
新たな同級生らは、親や先輩から軽く説明を受けた者が多く、察してそっとしてくれることが多かった。
突っかかってくる者もそれなりに居たが、対処をしようと思う前に周囲が動いてしまうため、何をする必要もなかった。ふたりは穏やかに学園生活を送っていた。
進級をし、勉学や訓練に励む傍らで国際情勢のことを小耳にはさむ日々。
ある日、王太子からの遣いが訪れ、ふたりは王宮へと向かうことになった。
「――全部まとまった、我が国の勝利だ」
謁見室ではなく応接室に通されたふたりに、開口一番で王太子が告げたのは勝利宣言。ウルリカとカレルはほっと肩の力を抜き、直々に事の顛末を聞いた。
王女の故国を追い詰めんと動いている最中、王太子が王女の母に魔力詰まりの症状が見られるらしいという情報を入手。
慎重に裏をとり様子を見ることしばらく、王女の父――つまり国王――から「薬を提供すべし、王女を帰すべし」と居丈高な態度が透けて見えるような内容の親書を携えた使者が来たが、話にならぬと何も持たせずに使者を帰した。
似たようなやり取りを何度も行ったが、魔力詰まりの新薬が効くリミットを恐れた遠国の国王はついに折れた――臣下に折れることを強要されたというべきか、とにかく遂に国として全面的に非を認めた。
母である故国の王妃に魔力詰まりの症状が出ていることを告げられた王女は平伏し、かつての愚行を謝罪し慈悲を乞うた。
王太子はこれ以上彼らを追い詰めることは得策ではないと判断し、今度は新薬を持たせて使者を帰した。
その後、感謝を伝える親書を携えた使者らと賠償や王女の帰還についての話が詰められ、両国は正式に和解が成立。
帰国が成り、父王の守りという狭い柵から一歩を踏み出した王女は、自らの我儘で始まった両国の交流を自らの愚かな発言で壊したことの償いとして、何かをしたかった。
そこで賠償の一環として遠国が国内に平和の女神を祀る神殿を新設することを知り、王女は自らの意志で改宗ののちに出家。そこで余生を祈りと共に過ごすことを選ぶ。
王女は信仰というものを理解しておらず、ただ焦燥にかられてこの道を選んだ。しかし平和の女神の教えを知り、この故国の神の教えも改めて学び、信仰による平和というものを模索していくことになる。
病が進んでいた遠国の王妃も無事に魔力詰まりが溶け、快復に向かっている。新薬は引き続き届けられ、再発しないように様子がみられているという。
武器となった新薬は誰かの命を奪わなかった――理解した途端、ウルリカの全身から一気に力が抜けよろめく。
交渉や恫喝のための武器となった以上、間接的にはなんらかの手段で誰かが害された可能性がある。だが直接的にそうなることは避けられた。ウルリカはカレルに支えられながら、はらはらと涙をこぼし王太子に、尽力した関係者に、女神に感謝し続けた。
支え合うふたりを見送り、王太子は応接室のソファに深く身を沈め反省する。この一件で、未来ある若者たちの心を深く傷つけてしまった。
結果論でしかないが、そもそもあんな王女を迎え入れるべきではなかったのだ。
ウルリカが新薬の原案者だという公表も安全面を考えて見送られ、褒賞も内密に渡されるのみだった。彼女は聡く最初から理解を示してくれたが、場合によっては引き続きの研究協力が望めなくなる可能性もあった。権力を以って意に反する命を下したとて、高いパフォーマンスは望めないことを王太子は理解している。
なお、ウルリカ自身は目立つことを望まず、新薬がより良いものになったのは王立研究所の尽力あってこそだと思っているのでそこは不満に思うどころか満足している。
カレルもウルリカをよく支え、彼自身の学業成績も良好だという。
ふたりは学園を卒業後、すぐに結婚すると言っていたので、婚姻申請が提出されたら優先的に処理するようにと担当部署に連絡しておくことを決めた。
◆ ◆ ◆
時は流れ、学園を卒業したふたりは慎ましやかに結婚式を挙げた。過程で届いた王太子からの贈り物と祝いの手紙に両家を仰天させつつ、笑顔に包まれていた。
ウルリカは子を産み育てながら、外部研究員として別の薬の開発を王立研究所と連携して行った。
カレルは正騎士になり、各所で経験を積んだのち王太子に長年付き従い引退した護衛の代わりにと大抜擢された。
子が大きくなってからのウルリカは正規の研究員として王立研究所で勤め、カレルは王となった元王太子の後ろで国を見守った。
何年経っても、ふたりの間には寄り添い語らう穏やかな時間が流れていたという。
タマネギの通常食べられている部分は根に分類されるのではなく、葉の集合体。よって実は王国の常識的にも漆黒タマネギはきちんと『薬草』だったりする……みたいなオチがあったんですが入れる場所がありませんでした。ウルリカは知らないことなので。
どちらにせよ、根や皮に効果を持つ植物は存在しそうなので、その後王国の薬の開発は飛躍的に発展していく気がします。
こちらは前作(彼と彼女のロマンス対策室)と同時に横恋慕我儘王女というテンプレを利用して考えたネタの片割れでした。あちらのほうがサックリ書けると思いそちらを先に書きましたが、せっかくなのでとこちらも挑戦しました。
プロットを追いながら書き進めると文字数がどんどん増え、思っていたより地の文が多い。当方の力不足もあり、ちょっとモッタリした作品かもしれません。読んでいただきまして、ありがとうございました。
ところでカズィケァラェさんのお名前をカレルは発音が難しいという理由で呼ぶことが出来ません。そもカレルが呼ぶ必要もありませんが、正確に発音できるのは一部の王族と高位貴族くらい……という使えなかった設定がありました。作者である私も呼べません。
誤字報告ありがとうございます。助かります。