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赤ニート

 巨大化した壊獣の足元で人々が逃げ惑い、発砲許可が下りたのか銃声まで響き渡っている。怒号と悲鳴が繰り返されて怪獣の咆哮まで轟けば、本当にここは日本なのかと疑いたくなる。


 この時のことを後に警官の一人が述懐するところによれば「長い事この商いしてきましたけどね、この世の終わりかと思ったのはアレが初めてでしたよ」と嘯くもので終生酒の席で使われたとかないとか。


 とにかくこれは一大事であった。こんな事は誰も望んでないし、一刻も早く平和で安心出来る極々当たり前の日常が戻ってきて欲しいと思っていた。


 誰であろうが何であろうが、人々の平穏を踏みにじるものは許されず、そして、怪獣をやっつけるのはニートの仕事なのだった。


「歯ぁ食いしばれやおっらぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 怒号がドップラー効果を利かせて飛んでくる。怒りの雄叫びと共に砲弾のように飛んできた男の拳が怪獣の横っ面に突き刺さりその巨体を揺らし、たたらを踏ませた。


 怪獣の目が飛んできたものを捉える。怪獣のそれに比して貧弱な五体。怒りを薪に燃えるように輝く瞳。赤谷が自由落下に身を任せてそこにいた。


 怪獣には理解出来ない。羽虫の如き人間が自分に向かってくる理由を。そしてそんな生き物が自分に手痛い一撃を加えられた理由も。


 怪獣は飼い慣らされた獣だけれど、人とは異なるルールに基づいて機能する本能がこれを許しておいてはいけないと嵐のような暴力を発揮する。


 大きいということはそれだけで意味がある。大きさは速さに繋がり、速さは威力に繋がる。ハエを潰せない人間がいないように、赤谷の矮小な体など怪獣の一振りで木っ端微塵である。


 怪獣が体を捩り、尻尾を振り回す。周囲のビルをいとも容易く粉砕する超質量の肉のムチで打ち据えられた赤谷は地面に恐るべき速度で叩きつけられた。


 地面に落ちたトマトの結末を誰もが思い浮かべるであろう。しかし、巻き上がる埃と瓦礫の中で、赤谷は片膝をついて地面に拳を突き立てる、いわゆるスーパーヒーロー着地を決めていた。


 ふっ、と息を吐くと跳び上がり無防備な顎に向けて拳を突き出す。ロケット噴射みたいなその一撃で怪獣は顎をのけ反らせ、自然と空を見上げていた。


 空に明るい満月の光。それを背に受けて人影がくるりと一回転していた。円を描く足の軌道。ハンマーのような踵が尖った鼻先に突き刺さる。


 怪獣の視界が涙で滲み、夜空に星が瞬いた。そして、更に空中で身を翻した赤谷の右足が振り下ろされ、隕石でも落ちてきたのかと言わんばかりの衝撃と共に地面に頭から倒れ伏した。


 僅かな時間の攻防を終え、赤谷が衝撃で亀裂の入った地面に降り立つと口元を拭った。


「テメェ、この野郎……人の横浜(シマ)で好き勝手してくれやがって」


 眼光鋭くメンチを切る。


「覚悟出来てんだろうな!? あぁ!?」


 完全にチンピラである。ただし絡んでる相手が怪獣なので端から見れば頭のおかしいチンピラである。


 とはいえこのチンピラは怪獣を殴り倒す危険人物である。怪獣もそれを理解していた。


 怪獣がグルルと唸りながら立ち上がると天に向かって咆哮しながら地団駄を踏む。まるで駄々っ子だが大きいことは良いことなので可愛らしいものではなく、その破壊力たるや生ける災害そのものである。


 そのダイナミックなステップを難なく回避し、「はしゃいでんじゃねえ!」と脛を蹴ってやるが怪獣は止まらない。


 むしろ怪獣の膂力に弾かれて赤谷の体が吹き飛ばされそうになる。


 舌打ちと共に「もちっと力入れねえと駄目か」と漏らすと機関車みたいに鼻息を漏らした。


 赤谷の筋肉が膨張する。巨漢と呼ばれる人々に比べれば細枝のような腕ではあるが、大きく振りかぶって発射を待つミサイルのようにも見えた。


 ふっ、と鋭い吐息と共に五指を握り込んだ拳が怪獣に叩き込まれた。


 優に音速を超える一撃は衝撃波を伴い怪獣の足に深々と突き刺さり、それでもなお止まらない。


 巨木のような怪獣の足が、豆腐でもくり抜くかのようにその肉を抉られ血飛沫のような赤い光と共に吹き飛んだ。


 片足を失った怪獣の体が沈み込む。追い打ちとばかりにもう片方の足を吹き飛ばそうとしたその時、怪獣の足が持ち上げられ、拳が空を切った。


 そして、持ち上げられた足がそのまま落ちてきて赤谷は蟻のように踏み潰された。


「うっおおおおおお………!!!」


 コンクリートの地面に埋没しそうになりながら、しかし赤谷は生きていた。咆哮を上げ、両腕をクロスして怪獣の扁平な足裏を受け止めている。


 鼻息荒く、それを跳ね返すと足の下から跳躍して脱出する。改めて見た怪獣はその両足が健在だった。


「ちっ……やっぱ素手じゃ駄目か」


 額から流れる汗を拭い、飛び込む前にした青山との会話を思い出す。


『赤谷さん、赤谷さんの壊獣くんですけど回収できませんでした。多分壊れてます』


『……そりゃそうだろうな。あん時、出し惜しみしないで全力でぶっ飛ばしときゃ良かったぜ』


 怪獣は壊獣くんでしか倒せない。だからこそ軍隊ではなくニートが怪獣退治などをやっているのだ。そして、赤谷の手から壊獣くんは失われている。どれだけ赤谷が化け物じみた力を持っていても倒すことは出来ない。


 しかし、


『でも、赤谷さんなら倒せるかもしれませんね。その力、壊獣くん由来のものでしょう? 同種の力ならもしかしたら……』


 壊獣くんを使い始めたニート達は異常な能力を獲得し始めている。櫻井の射撃能力もそれに支えられたものだ。そうしたものの多くはあくまで直接的な攻撃力を有していないが、赤谷の身体能力が壊獣くんによってもたらされたものならば、と青山は言っていた。


 しかし、赤谷は小さく首を横に振った。


『いんや。無理だろうな』


『何故です? まさか試したことがあるとか……』


『ちっげーよ。単に、俺の身体能力は壊獣くん由来じゃなくて生来のものだからだ』


『え』


 思わぬ言葉に呆ける青谷のツラを思い出して笑ってしまう。


 そう、赤谷は壊獣くんによって力を得たわけではない。


 元々化物だったのだ。


 そりゃそうなのである。さもなきゃ裏稼業の皆々様を相手に切った張ったの大立ち回りなんぞ出来るわけない。


 ナイフも拳銃も赤谷には効かない。音速超の速度で投げ飛ばされた挙げ句、地面に叩き付けられて死なないどころか五体満足で暴れまわれるような生き物が人類用の豆鉄砲で死ぬわけない。


 そんな化物であっても壊獣くんなしでは怪獣には勝ち目がない。だからこそ、対抗策を用意しなくてはならないのだ。


『んじゃ、どうすっか。取り敢えず俺がアレを足止めすっからお前らで何とかしてくんね?』


『そうせざるを得ないでしょうね。まあ、案は思い付いていますから時間を稼いでもらえれば何とか。いくつかやってもらいたいこともありますけど』


『話が早くて助かるわ。どうすればいい?』


『そうですね。それではこのポイントで待機してますので、合図をしたらこちらに怪獣の体を向けて口を開かせて下さい。出来れば動きを止めてもらえればベターですね』


『毒でも飲ませんのか?』


『そんなところです』


 何をするつもりなのか、赤谷には分からないが自分のやることさえ分かっていれば特に悩む必要はない。


 被害を広げないように、怪獣を押し留めていればいい。


 赤谷の周辺に影が差す。怪獣が暴れて瓦礫が雨粒手のように降り注ぐ中、大きめの瓦礫が迫っていた。


 大気を斬り裂く鋭い吐息が吐き出され、腰を中心にして右足が回転する。蹴り上げられた右足が瓦礫を繰り返し、それが怪獣の顎にぶつかり頭が上向いた。


『赤谷さん! 準備整いました!』


 スピーカーを介したノイズ混じりの青山の声が赤谷の耳に届く。そして足に力を込め、大砲のように飛び出す。


 音速を遥かに超えた速度で飛んでいく。槍の穂先を思わせる伸ばした両腕が怪獣の腹に接触すると、鋼の皮膚を突き破り、肉の内側で掌が回転する。外側を向いた掌によって掻き分けるように広げられ怪獣の腹から両断した。


「横浜なめんな畜生がぁぁぁぁ!」


 あんま因果関係なさそうな咆哮と共に怪獣の肉体を貫通した赤谷は宙を舞う瓦礫を蹴りつけ稲妻の如き動きで怪獣の頭上へと移動する。


 怪獣の断ち切られた上半身が重力に従いまろび落ちる。大きな音を立てると共に地を揺るがす肉体の、あまりに無防備な首元に光が奔る。垂直に落ちる光はギロチンの刃のようだ。首を断ち切る勢いで赤谷渾身の蹴りが叩き込まれた。


 肉にめり込む脚が気管を潰す。酸素を求めるように怪獣が苦悶の声を上げるように大きく口を開く。その口の中に小さな何かが飛び込んでいく。


 その飛んできた方向に目を向けると大きなゴムベルトを使った投石機みたいなスリングショットの横に櫻井が立っていた。そして、その反対側に青山が立っている。その手には玩具のように派手派手しいメガホンが握られている。


 怪獣の再生が始まった。合体ロボみたいに赤く光る上半身と下半身がその光に導かれるようにくっついて、千切れていた事実なんてなかったみたいな顔で復活する。


 順序立てて仕事をするサラリーマンのように青山はそれを確認すると、次の手順に移る。


 玩具みたいなメガホンを口元に持ってくると息を吸い込み、たった一言を口にした。


『増えろ』


 メガホンによって周辺に響き渡るそのたった一言の命令は、たった一つの生命に向けたものである。


 怪獣の腹がぼこりと膨れ上がる。バランスを崩してたたらを踏んだ怪獣が苦しげに喉をあらわにした。


 その上向いた口の端から泡のように何かがこぼれ落ちてきた。それが赤谷の頭にぶつかると、その正体を確認して赤谷は顔を歪めた。


 それはネズミだった。


 怪獣の腹の中で増殖したネズミが胃から食道へ逆流しボロボロと口からこぼれ落ちている。チューチュー泣き喚くネズミが地面に落ちる度にもんどりを打ってゴロゴロと転がると夜の闇の中に消えていく。


 それはまだ堤防を破る前の波しぶきに過ぎない。風船みたいに膨らんでいく怪獣の腹がミシミシと嫌な音をさせている。


 ボンッと小気味良い音がして弾ける。腹に亀裂が出来てそこから霧のように血のように赤い粒子が噴き出した。亀裂が全身に走る。粒子だけではなくネズミも傷口からワラワラと溢れ出してきた。


 そして、怪獣がコロンと転がると空を仰いだ腹が爆発する。空間が揺れる爆発で噴水のように赤い粒子とネズミが空へ飛び、粒子とネズミの雨が降る。


 足がもつれる。下を見ると、膝丈までネズミで埋め尽くされていた。


「おぉおぉおおおおぉぉぉ!?」


 怪獣から溢れ出すネズミの洪水に飲まれ運ばれていく。


 遠ざかっていく景色の中で、最も小さな怪獣に打ち破られて最も大きな怪獣が赤い光となって消えていくのを赤谷は見えなくなるまで見つめ続けていた。

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