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隠し砦の三ニート

 赤谷が姿を消して一月が経過した。未だにその消息は不明である。


 当初警察はすぐに見つかり確保できると豪語していたが、なんでか捕まらなかった。


 時折、横浜市のあちこちに現れては怪獣を倒していくので散発的には見つかるのだが、すぐに行方をくらましてしまう。


 磯子区を中心に活動していた彼が、今や反対側の青葉区にまで現れる始末である。捜索範囲は意外に広く、何故か監視カメラにも映らない。


「あの人、市内の監視カメラの位置を把握してるんじゃないですか?」


 冗談めかして口にした青山の言葉がにわかに真実味を帯びてきた頃、きな臭い噂が流れ出した。


 曰く、赤谷を探してる連中が一般人の中にも出てきたという。


 何でかというとその首にデドアラな賞金がかかったとかいう世紀末的流言が飛語り始めたかららしい。勿論事実無根の噂に過ぎない。


 そもそも赤谷は一般人が無闇に触れると火傷ですまない危険物である。公的機関がそんなもんに近寄らせるわけがない。うまいこと秘密裏に全てを片付けたいという甘すぎる見通しをしていたのだが、どこからどんな情報が漏れたのかそんな有様である。


 今のところ、役所の不安は迂闊に猛獣に近寄ったパンピーが噛み殺されるような事態にならないかといういかにもありそうな話だった。


 そんなわけで赤谷の動向はにわかに横浜のトレンドとして注目を集めていた。


 さて、そんな渦中の人はどこにいるのか?


 夜の闇、役割を果たし打ち捨てられ寂れた廃墟にでっかいゴキブリみたいな男がガサガサとやっていた。


 勿論、赤谷である。


 コンビニ袋の中にパンパンに詰められた長ネギを一本取り出すと、呑気な面したネギボーに差し出す。


 小さな両手でそれを挟むように掴みながら小さな口で一生懸命に食べている。


「おめーは美味そうに食うなあ。施しがいがあるってもんだ」


 赤子を見るような優しい眼差しを向けている姿は正しく父親のようだった。とはいえ、こんなところでは育児環境に全く適していないのである種のDVみたいなもんではある。


 しかし後ろ暗い事情がある赤谷にはこれが精一杯だった。公僕に追われる身の上であり、その目標が赤谷だけではなく保護対象であるネギボーも含まれている。むしろそっちがメインである。


 あるいは赤谷が公権力とズブズブな腐敗臭漂う男であればもっと上手くやれていたのだろうが、生憎この男はその逆を突っ走っているような獣である。世の中に上手いこと迎合できないから非生産者に身をやつしている。


 そのことについて後暗く思ったり、後悔したことはない。自分で自分が嫌になるような選択肢だけは選ばねえ。それこそが赤谷の矜持だった。


「…………………………………………」


 石をいくつか拾い上げ声もなく立ち上がり、二度三度とそれを弄ぶように上に投げる。


 そのうちの一つを物陰にむけて投げた。


「おい。気付いてんぞ。とっとと面出しやがれ」


 闇に向かって呼びかけると物陰からニット帽を被ったパーカー姿の若い男が腰の引けた様子で現れた。その手にはスーパーか何かのビニール袋が提げられている。


「そこで止まれ」


 もう一つの石を投げると、弾丸のような速度で放たれたそれは床面に穴を穿った。それを見た男がひっ、と小さく悲鳴をあげる。


「誰だテメエ。役所の人間か。それとも俺の首にかかってるらしい賞金目当てのクソガキか?」


 剣呑な表情と声で威圧され、男は足を震えさせるがなんとか踏ん張り「違います違います」と命乞いをするように何度も否定した。


「お、俺は赤谷さんのシンパっす!」


「は? シンパ? 何言ってんだテメエ」


「いや、マジで! 俺は赤谷さんに昔っから憧れててマジカッケーって思ってて! 今、なんかヤベーらしいからなんか助けになれねえかなって思ってて……!」


 わたわたとまとまりのないことを口走るので思わず頭をかく。


「……あっそ。じゃあとっととUターンして家帰れ。んで、糞して寝ろ」


「ま、待って下さいよ! あの、俺だけじゃないんす!」


「ああ?」


「他にも仲間いて……で、赤谷さん探してたんすよ! そ、それでこの場所も見つけられたんす!」


「分かった。他のヤツにも言っとけ。余計なことすんなってな」


「ちゃ、ちゃうんすよ!」


「何が」


「結構、なんかケーサツとかも赤谷さん探してるんすけど俺らで嘘ついて誤魔化してて……と、とにかく役に立つと思うんすよ!」


「……それ犯罪だからな。犯人蔵匿等罪で露見したら三年以下の懲役、または三十万以下の罰金だぞ」


 自分らのやらかしてる行為を突きつけられて言葉に詰まる自称シンパ。


 はあ、と赤谷はため息をついて残った石を投げ捨てるとネギボーとリュックサックを拾い上げた。


「安心しろ。たとえとっ捕まってもお前らのことは言わねえよ。今まで助けてくれてたのはありがとよ。もういいから真面目に生きるんだな」


 どの口が言うんだみたいなことをほざくと男をおいて立ち去ろうとする。リュックサックに詰められたネギボーが不思議そうに首を傾げた。


「そ、その前にこれだけでも持ってって下さい!」


 そう言って男はビニール袋を地面においた。ビニール袋は目一杯詰め込まれており重そうな音を立てた。


「何だそりゃ」


「カンパっす! 飯とか、下着とか……色々っす!」


「あー……」


 言われてずっと下着を変えてないことに気が付いた。気が付いてしまうと気持ち悪くなってきた。


「これ、使って下さい! マジ、応援してるんで!」


 そう言って去ろうとするその男に「ちょい待て」と声をかける。


「何でここまでする」


 ここまでされる理由が本当に思い浮かばなくて赤谷はさすがに聞かずにはいられなかった。別にこの男と面識はない。全くの初対面だ。もしかしたらどこかで会ったことがあるかもしれないが、こんなことをされるほど何かをした覚えもない。


 だが、男は一瞬嬉しそうに顔をほころばせたかと思うと、少し照れくさそうに頭をかいて少し興奮気味に語りだした。


「あの……俺の話なんすけど。俺、スッゲーバカで……全然勉強とか出来なくて……教師とか親とかにもゴミみてえな扱いされてて、ガッコにも行かず夜の街にしょっちゅう繰り出してたんすけど、そこで知り合った奴らとつるんでたんすけど……そいつら薬とか捌いてて……俺もやれよとか言われてたんすけどマジやべーって思ったから逃げたんすよ。そしたら何逃げてんだぶっ殺すから覚悟しとけよみたいな連絡来て……どうしようとか思ってたら……」


 へへ、と何がおかしいのか鼻の頭をかいて笑った。


「そいつらが赤谷さんにしばき倒されて……橋から投げ落とされたとか聞いて……そいつらのグループも潰されて……やべーこの人、神じゃんって思ったんすよ。それからずっと憧れてて……俺、ぜってーこの人の助けになれるような男になりてえって思ったんすよ」


 そんで今は電気工の勉強とかしてますと必要もない近況まで付け加えられて、赤谷は背中がむず痒くなるのを感じた。


「……そいつぁ良かったな。別に恩に着る必要はねえ。俺は俺がムカついたからやっただけだ。お前のためじゃねえ。たまたまお前は助かっただけだ。だから俺のことなんざ気にせずお前の人生をお前のために生きやがれ」


 誰かのために何かをやったことはある。それでも感謝されたいなどと思ったことはない。


「いや! 俺は赤谷さんスゲー人だからきっと赤谷さん助けてたらスゲーもん見れると思ってんすよ! 俺は俺がそうしたいからそうするんす! 他の奴らもみんな同じなんすよ!」


 握り拳で鼻息荒く主張されるが、おかしな祭り上げられ方に背筋が寒くなるばかりである。


 赤谷は自分勝手に生きてるだけの男である。自分の中のルールに従ってそれを曲げないように生きてるだけの正義の味方である。目につく悪党は許さないし、自分に出来るのであれば後先考えずに叩き潰しにも行く。


 その範囲を広げたくて警官にもなったが、余計な制約に縛られるばっかりだったから結局辞める羽目になった。これまで色々やっては来たが、その程度なのだ。たいした事は出来ない。少なくとも赤谷はそう思っている。


 だから、妙に持ち上げられると気持ちが悪くて仕方がなかった。


「わーったよ……好きにしろや」


「うっす! あざっす!」


「何で礼言ってんだよ」


 思わず苦笑しながら言うと、元気よく頭を下げて去っていった。


 誰もいなくなったあとで履き替えた下着が心地よかった。


 それからしばらくアチラコチラに動き回って隠れていたが、似たような連中が次から次へと現れるようになった。カンパの質も段々上がってきており、どこから買ってきたのかわからないような高級食材まで含まれるようになってきた。


「いや、キャビアとかどうしろってんだよ」


 袋の底の方に入っていた缶詰をまじまじと眺めていると、人の気配を感じた。


「あー! いたいた! マジでいたっすわ赤谷氏!」


 キンキン鼓膜を貫通し、脳みそをかき混ぜるようなでっかい声が夜闇に響く。


 呪殺するような目でそちらを見るとそこに立っていたのは桜井だった。


「何やってんだ、ガキ。何時だと思ってやがる。さっさとお家に帰ってママのオッパイ飲んで糞して寝てろ」


 今はそろそろ十一時に差し掛かろうかという頃。いかに平和なジャパンといえどクソジャリが出歩いていてはいけないお時間である。おまけにここは住民が住み着かなくなって久しい廃屋ときた。


 変なのに遭遇してもおかしくない。実際赤谷とかいう怪物一歩手前なんだか通過なんだか分からないものに遭遇している。


 しかし、そんな大人の心配はどこ吹く風とクソガキ桜井は困ったようにため息をついた。


「はー。やだやだ。デリカシーの欠片もぬぇー。そんなんだからそんなんなんすよ、赤谷氏」


「うるせえな。とにかく条例違反だから家帰れ未成年が」


「だーいじょーぶっすよぉー。ニートに人権なんかないので未成年だろうがなんだろうが夜中出歩いててもコイツで一発っすわ」


 と、耳が腐りそうな甘ったるい声で壊獣くんを頬ずりする。


「ああ、そうかい。もういいわ。そんでテメェ、何でここにいるんだ」


 苛々とした声で聞く赤谷。コイツを知ってる人間なら大体青ざめそうな状況であるが、桜井は数少ない例外である。ぷりぷりと怒ったように頬を膨らませてみせた。わざとらしくて滅法腹立つのは否めない。


「まあ、この子ったら反抗期かしらかしら。いい加減参ってるんじゃマイカと思ったんで様子を見に来たんすよー」


「お陰様で色々あったけど私は元気です。帰れ」


 虫でも払うように言ってのけると「はあ?」と心底バカにしたような声を桜井は出した。


「何を寝言ゆってんのさ。赤谷氏なんかどーでもいいっすわ。どうせ爆撃されても死なないでしょ。オイラが見に来たのはネギボーっすよ、ネギボー」


 とてとてと緊張感のない足取りでネギボーまで寄ると両手で持ち上げ「うひょー」とか知性も品性も感じられない奇声を上げた。


「かんわいぃーっすね! こんなとこでやべーオッサンに連れ回されてるのマジ可哀想! 保護したい!」


「クソガキがほざいてんじゃねえぞ、ケツから青味が取れてから出直しな」


「時代に取り残されてそうな発言するっすね! 今は平成じゃないんすけど!」


「ははは。マジうるせえ。本当に何しに来たんだ、テメエ。いくら愛着わいててもガキがこんな夜更けまで出歩いてソイツの様子を見に来るなんざおかしいだろ」


 図星をついたのだろう。桜井はネギボーを胸に抱えると大きなため息をついた。


「……アタシも赤谷氏の支援団体のメンバーなんすよ」


「なんでそんなことしてんのお前」


「成り行きっすよ。アタシだって面倒だからヤだったけど、ネギボーは心配だし、御駄賃もでるし。仕方ないからやってるんすよ」


 本当にイヤイヤとした様子で説明するので赤谷は少しおかしくなって鼻息漏らして笑ってしまった。


「……ふーん。つまりなんだ。何か動きがあったんだな」


 桜井がギョッとした顔を見せる。


 とはいえ赤谷にとっては自明の話で、金を受け取って仕事をする人間がイレギュラーな動きをしているということは、相応の問題が発生したということに他ならない。


「いやに鋭いっすね、キモ。そうっす。支援団体がいるっぽいことが役所の方に勘付かれて対応策として赤谷氏を探す特別な捜索隊が結成されたって話っす」


「……今まで警察が巡邏のついでにやってた仕事に本腰入れてきたってことか。はっ。相変わらず判断が遅いな」


 かつて所属していた組織に毒づいて嘲笑う赤谷。


 しかし、桜井は苦い薬でも口に含んだみたいに顔いっぱいに渋面を作り言い難そうにしてから口を開いた。


「青山氏が絡んでるらしいっす」


「やべーじゃねえか」


 思わず真顔で口走る。


 青山はニートに身をやつしているが、その能力は非常に高く、特に組織運営に関しては非人道的とも言える方法で以て効率的に運用して見せる。


 そのくせ青山が企画を発案して一仕事やろうとすると人が集まる。何故ならそれに乗っかるのが安牌だと皆知っているからだ。


 少なからずニート達は青山に協力するだろう。これからは人海戦術にさらなる拍車がかかることになる。


「……横浜から逃げんのも考えなきゃなんなくなってきたな」


「赤谷氏、横浜以外で生息できんの!?」


「俺は特殊な深海魚かなんかか。気は進まねえけど仕方ねえだろ」


 ネギボーの入ったリュックサックを持ち上げる。顔を出した小動物が独特な鳴き声を出しながら首をひねった。


 その頭を撫でてやるとくすぐったそうに身を捩らせるのを見て微笑むと突然強い光がその場を照らした。


「それは少し困りますね、赤谷さん。あまり手を煩わせないでもらえますか?」


 逆光の中、腰に手を当て多くの警官を背後に立つその男は青山その人に他ならなかった。

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