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「……っっ!」
漏れかけた雄叫びを噛み殺した。無言のまま、荒れ狂う馬達の中へユーノは駆け込む。ほんの少しでも踏み鳴らす脚が触れるだけで体は肉片になる。手放しかけた剣を握り締め、ユーノは剣を振るう。『運命』ではなく、馬達の脚へ、切り付けるのではなく掠める、一瞬鋭く、ほんの僅か、ほんの微かな、けれど十分に傷つく深さで。
「うあっ!」「わああっ」「なにっ」「あああっ」
それほど保たないはずだ、ギヌアどころかユカルやシートスさえ助けられない、けれどユーノは本当なら既に死んでいる、さっき美しい光景を見た時に。とっくに死んでいるのだから、この反撃はあり得なかった幻、けれど何かを変えるたった一つの機会かも知れない、ならば。
「っっっっっっ」
声を噛み殺し喘ぐ呼吸を鋭く吐き出しながら、ユーノは駆ける、この一瞬後には馬に踏み殺され『運命』の刃に全身貫かれている未来しかないと想像しながら、その未来にほんの少しだけ重ならない現実の隙間に身を投じて、駆け抜け続ける。
未来は望まない。
過去も振り返らない。
今この瞬間に自分の全てを叩きつけることしか感じない。
混乱が広がった。
一頭の平原竜が咆哮しながら立ち上がり、断末魔の絶叫を上げながら転がる場所を中心に、圧倒的優位でひたすらに野戦部隊を屠り続けていた『運命』の動きが乱れた。平原竜を攻撃しようとする者、悲鳴を上げて落馬する者、巻き込まれまいと離れようとする者、ぶつかられて馬ごと倒れ、或いは別の味方に突進する者。
その動きはギヌアの不審を呼んだ。周囲を守られ絶対安全な場所から戦局を見守っていたギヌアが、訝しげに周囲を見回し。
一本の線が引かれたようだった。
傷を負い、血みどろになりながら今しも一頭の馬から飛び離れたユーノが、顔を上げた瞬間、こちらを振り向いたギヌアを見た。
見開かれた真紅の瞳。驚きと怒りと衝撃と、そして、恐怖。
その時、なぜ笑ったのか、ユーノにはわからない。
けれど、溢れるように笑ってしまった、胸の中の声と共に。
怖いのか。
剣しか持たない、ボロボロの体で今にも死にそうな小娘が。
口を突く、嘲笑。
「『運命』の王、のくせに」
ギヌアが顔を引き攣らせた。紅潮する頬、口を大きく開き、今にも高笑いしそうな怒りに染まった顔で叫ぶ。
「ユーーノぉおおおっっ!」
自ら手綱を引き、安全圏を捨ててユーノの方へ駆け寄ろうとするギヌアに、周囲の守りが慌てて囲もうとし、突然動きを止めて別方向を振り返る。
「いけません、ギヌア……っあっ」
囲みから抜けたギヌアが速度を上げようとするのに気付いたのだろう、呼びかけたシリオンの声が口調を変えた。ギヌアも振り向き、ユーノも見遣る。
遠くに、一つの人影が見えた。
金色の炎に包まれた体を、不安定にゆらゆらと揺らせながら。
「ギヌア様! お戻りを!」「くっ!」
叫びながらシリオンが戦線から離れて戻ってくる。ギヌアが向きを変えて元の場所に戻ろうとする。遠くでまた平原竜が絶叫して地響きが続く。まるでさっきの平原竜の戦法を真似るような捨て身の動きだ。ユーノは素早く周囲を見回した。駆け回り走り回ったから、今はユーノが戦乱の片端に飛び出てきた状態だ。ユカルもシートスもおそらくユーノの後方に居る。迷っている暇はない。
「アシャーっ!」
揺れながら歩いていた人物は、ユーノの声を気に留める様子もなく、戸惑うことなくギヌア達に向けて片手を挙げた。
「違うっ! そっちじゃない、こっち! 私だ! 私に向かって撃って、アシャ!」
平原竜の混乱から立ち直った『運命』が再び襲いかかってくる。防ぐ、傷を受ける、動きが鈍くなる、一人倒す、なおも囲まれる。時間がない。また、平原竜の咆哮が天に投げられる。今度は近かったのか、あの柔らかな声が聞こえた気がする。
『さらば、主よ』
人影は動かなくなる。迷うように、挙げた片手を空に浮かばせたままだ。
「アシャ、お願いっ! 早く、アシャーっっ!」
いずれ失う命だ。さっき失ったしまったはずの命だ。飛びかかってくる『運命』をできるだけ多く惹きつけながら、ユーノは叫び続ける。
「アシャーーっっ!!」
人影が揺れた。
次の瞬間、轟音を立て、金色の炎が奔流となってユーノに向かって叩きつけれらた。




