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残念ながら、移動先での一休みと食事にはありつけなかった。
周囲を警戒しながら進んでいたはずだが、燃え続けて収まる気配のない『氷の双宮』に皆が気を取られた一瞬、
「敵襲!」
「っっ」
先頭に立っていた仲間が声を上げる。水を一口、含んでいたユーノが急いで振り返ると、
「後方索敵終了、前方注意!」
ユカルが声を上げて駆け寄ってくる。
「おい…まさか」
シートスがゆっくりと平原竜を止めた。ユーノも前方に現れた一軍に目を見開く。黒づくめの集団、全て騎乗しており、各々手に黒い剣を引き抜いている。雨に濡れたマントを身に付けている者もいるが、晒された顔はどれもどこか似通っていて、黒髪を風に舞わせ、赤い瞳に薄く笑みを浮かべている。
その中央には、白髪で赤い瞳の男が黒い鎧をつけていた。
「ギヌア……ラズーン…」
「…こんな所まで……大将が入り込んでいる…だと」
既に外界の蹂躙は終わっている、と誰もが察した。
残された最後の場所がここで、人が唯一残っているのが『氷の双宮』だ。
そして、今目の前の男は、明け渡された人の世界を引き継ぐために、配下を引き連れ乗り込んできたのだと。
「…隊長…」
掠れた声が零れた。
「くっ」
歯を噛み鳴らし苛立ちに満ちた呻きが応じる。
やっと掻き立てた闘志が見る見る野戦部隊から奪われていくのを感じた。
「よく働いてくれたようだな」
嘲りを響かせてギヌアが目を細める。
「そこかしこに、人が死んでいる」
「他人事のように!」
ユカルが唸った。
「貴様のせいだろうが!」
「同胞を殺せなど命じた覚えはない」
くすくす、と堪えかねたように笑い声が応じた。
「殺し合ったのは人同士だろう」
ユーノはごくりと唾を呑んだ。懸念が固まる。
「始めから……周囲の王を使い捨てる気だった…?」
「…」
シートスが鋭くこちらを見る。
「欲望を煽り、権力と褒美をチラつかせて、人を人で始末する気だった?」
「世を手にするのは『運命』のみ」
ギヌアの側に居た『運命』の一人が、男女区別のつかない滑らかな頬にうっすらと笑みを刷いた。
「お初にお目にかかる。シリオンの名を持つ。この場において、もう一人の正統後継者と相見えるのは僥倖、我らが王ギヌア・ラズーンの露払いをさせて頂こう」
「こんな状況だ、不敬は許して頂こう」
シートスが冷ややかに唸る。
「一体何が欲しいんだ?」
「世界を我が手に」
シリオンは笑みを深めた。
「幻に支えられているあやふやな命を明らかにし、我らの宿命を終わらせる」
「宿命とは?」
「この世界を陰から支え続けてきた傷みを知るまい」
別の声が集団から応じた。
「産み捨てられ使い尽くされる命を知るまい」
また別の方向から声が響く。
「世界を取り戻すのだ」
違う声が、
「我らの世界を」
違う方向から、
「人にのみ与えられていたのではない」
違う顔で、
「我らこそ、この世界の主」
「……自らを律することもできずに繁栄を享受する愚かな種よ」
シリオンが冷ややかに告げる。
「犠牲なく、人であるだけで生き延びることができると思うな」
ユーノはゆっくりと息を吐いた。
今まさに圧倒的な力で破滅に追いやられているはずなのに、幾度も剣を交わして殺し合ってきた相手から伝わったことばは、あまりにもよく知ったものだった。それこそ、敵味方だけではなく、人であったなら、いつかどこかで繰り返し聞いたことば。
どれだけ傷ついてきたと思ってるんだ。
お前達ばかり、いい思いをしやがって。
そんな資格はないくせに。
頑張ってきたのは私達で、お前達じゃない。
私達に返してくれ、この苦痛に見合う償いを。
胸が詰まる。
同じ声が、ユーノの中にも響いているとわかったから。
「それでも」
剣を引き抜く。
「ここで死ぬわけには、いかないんだ」
目を閉じて祈りを捧げたくなったのを堪え、しっかり見開いて冷たく嗤うギヌアを見つめる。
『運命』達の願いを人が踏み躙ってきたと伝えられて、ならばと人に反旗を翻した、そんな柔らかなもので『運命』の王と名乗ったわけではないと知っている。ギヌアにはギヌアの欲しいものがあり、その道筋のどこかが『運命』と重なってしまったとわかっている。
誰かの、どちらかの在り方が違えば、別の結末もあったのかも知れない。
けれど、人同士を殺し合わせるために、人の間に呑まれていった『運命』達は戻らず、『運命』に操られたとは言え人を屠った所業は、まさに人が願ったもの。
彼方昔、星が降りた世界で起こっていた出来事が、寸分違わず繰り返されていく。
「虚しいよね」
今度はゆっくりと息を吸う。シートス、ユカル、其々に気合いを高めていくのを感じる。『運命』の数人がマントを払い落とし、笑みを消す。ギヌアが静かに後退し、シリオンが先頭に立つ。
「間違っているのかも知れない、けれど」
私は、生きることを選ぶ。
「シリオンっ!」
「ユーノぉおおっっ!」
満面の笑顔で突進してくる相手の前へユーノは飛び込んでいく。




