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「大丈夫か!」
「…ユカル……」
ユーノに覆い被さるように押さえつけて後、がばりと体を起こした顔を見上げて呟く。
「…ユーノ…」
相手もユーノとは気づかず助けたのだろう、意外そうに見下ろし、次の瞬間一気に頬を紅潮させて抱きついてきた。
「ユーノ! ユーノ! 無事だったんだな!」
「あ、ああ、あの、野戦部隊は…」
「数は減ったが、大丈夫だ」
ユーノの問いに我に返ったのだろう、再び体を起こしてユーノも引き起こしてくれながら、
「……『鉄羽根』が散った。南門から出てきた兵に強襲されて、ジーフォ公も」
厳しい口調で教えてくれた。汚れた頬にはかつて見なかったきつさがある。
「そう、か」
「追撃するために南門が閉められる前に駆け戻って、かろうじて閉門前に滑り込んだんだ。南門近くで休息を取って索敵にかかったら、あの有様だ」
苦々しい顔でユカルは『氷の双宮』を顎で示す。促されて見上げた視界に躍る炎、微かな違和感がまた過った。正体を探ろうとすると、来るか、と家の陰に待っていた平原竜を示されて頷く。ちらりと通りの彼方を伺ったが、炎を操り楽しむようなアシャの姿はどこにもない。ひたすら歩き回ったところで見つけられるはずもないだろう。それよりも、シートス達と情報を突き合わせ、何が起きているのか、何をしなくてはならないのかを確かめなくてはならない。
「周囲に敵は?」
ユカルの背後で平原竜に跨りながら尋ねると、ユカルは難しい顔で首を振った。
「居た、というべきだろうな。胸が悪くなる光景だ。凄まじい数の死体が転がってる。数百じゃきかないだろうな」
燃えている、のか。引っ掛かる感覚に戸惑いながら、冷える胸に顔を歪める。
「民衆が焼かれて…?」
「違う……確かめたが、たぶん、潜んでいた武装勢力の一部だろうって、シートスが」
ユカルの眉はますます強く顰められた。平原竜を操りながらゆっくりと南門方向へ戻る。同じように索敵していたのか、数頭の平原竜が現れ、見覚えのある顔が頷き返してくれた。
「三角州から消えた軍勢か」
「南門周囲だけだが、宙道らしいものがあったような場所が幾つか見つかっている。ラズーン全域に換算したら、かなりの未確認の宙道が見つかるだろうってさ。一体いつから、こんなにラズーンの守りがスカスカになっていたのか」
舌打ちしそうなユカルの声にユーノは唇を噛む。
おそらくは密やかに静かに、目立たぬように『運命』の手が少しずつ少しずつ入り込み、平穏に飽いた人々の隙に黒く澱んで溜まっていたのだ。ミダス公にまで届いた後は、視察官を巻き込むのも簡単だっただろう。ギヌアが自信ありげだったのも、必ずラズーンに返り咲けると豪語したのも、その澱みのありかを把握していたからだ。
ただ。
ユーノは背後を振り返る。
人の戦場ならば、ギヌアの策も通っただろう。だが、何かの一線が鋭く引かれた後は、戦況が全く変わってしまった。『人』を『氷の双宮』に集め『それ以外』を全て焼く、と決意した『誰か』の容赦のない意志。
『氷の双宮』を包み燃え上がっている炎が、勢いも火力も変わらず同じ程度に保ち続けているのを見て取った。脳裏に蘇るのは、旅の間にアシャが放った金の靄だ。周囲を焼くことなく、対象だけを金色の光で包み消し去る力。
「何か、おかしなことが起こったんだろうって、隊長は言ってる」
ユカルの声に意識が戻った。
「俺達だけじゃない、『運命』側にも想定外の出来事が起こって」
本来ならとっくに陥落しているはずの『氷の双宮』が、炎に包まれたまま守られている。
「ああ……そう、だね」
ユカルのことばで腑に落ちた。
その通りだ。見かけは確かに『氷の双宮』が燃やされているように見える、けれども、『氷の双宮』にはラズーンの中で生き残った『人』が集められ、内壁の門は閉ざされ、この場所に残されているのは敵と野戦部隊のみだろう。
アシャは繰り返し炎を放ち続けていた。おそらくは、この内壁全てを焼き尽くし、存在する『運命』とそれに与する『人』も全て滅ぼし終わって、ようやくこの炎は収まるのだろう。
『氷の双宮』を餌にした、巨大で冷酷な罠。
これが今のラズーンの正体なのだ。
「かと言って、全部が全部焼かれたわけじゃない」
ユカルが速度を上げた。
「まだいくらか『運命』軍は残っていて、今はそっちの相手をしている」
お前はどうする。
尋ねられて、ユーノは顔を引き締める。
「一緒に『運命』を掃討する。それと」
「それと?」
「…アシャを見つけたい」
見つけ出して、何を企んでいたんだと詰りたい。
「同感だ」
ユカルは苦く笑った。




