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「見下げた奴だな」
ユーノは吐き捨てた。
「少なくとも、他国の王は自分で軍を率いたぞ」
剣の間からギチっと耳障りな音が響いた。
「勝利を得ればいいのだ」
じりじりと押される。
「どんな手段を取ろうと、勝利を得れば正しいとされる。それが戦と言うものだ、女子どもには分からんだろうが」
ぬらりと唐突に唇の間から灰色がかった暗紫色の舌がはみ出た。そのまま下唇を舐め、上唇へと回っていく。生臭い息が溢れ出す。
「お前にどれほど苦しめられたか……あの苦痛を、さてどれほどの痛みで…示せばいいのか……悩んでいるのだ」
周囲の兵がゆっくりと囲みを狭めた。一重ではなく二重三重と囲みを増やす。
「今も多くの兵を失った……子飼いの兵を幾度となく屠られた……指を1本ずつ切り落とし、その度ごとに女として悦ばせてやるのはどうだ? 痛みと快楽を繋ぎ、もっと酷く扱って下さいと頼むように薬で馴染ませてやろうか? ああ、それとも…」
力押しでのしかかってくる圧力は増すばかりだ。体を引けば突き出された剣の垣に串刺しになるだろう。膝を折って沈めば、そのまま押し切られて四肢を飛ばされ、今この場で蹂躙されるかも知れない。
残る体力と気力、唯一無二の反撃を狙う。命を惜しむ一瞬があれば負ける。
べろん、と舌が長々と口からはみ出て伸びた。先から唾液が滴り落ちる。
「今ここで、全てを晒すのはどうだ。薄汚く傷まみれの体を、手首足首押さえつけて衣服を弾きはぎ、もうやめてくれと懇願するのを聞きつつ、剣で刻みながら貫いてやろう、もちろんここにいる全員で、お前の相手をしてやろうとも」
ふっと相手の瞳が呆けた。妄想が勝ったのか、勝利を確信したのか、あるいは故意に作った隙だったのか。それでもユーノには千載一遇、天啓が降り落ちた瞬間だった。
「…っは…?」
圧を凌いでいた剣を離す。崩れ込む相手の腹に飛び込む。視界の端に捉えた斃れた兵の剣は二振り、片方は角度が悪くて掴みきれなかったが、もう片方は引き抜けた。相手の足首を力の限り薙ぎ払う。頭の上で絶叫が上がり崩れ込んでくる体を盾に、もう一振りを掴み直し、そのまま真上に突き上げる。咄嗟に飛びかかってきた兵が、主人はこれまでと見切ったのだろう、次々とユーノの上に覆い被さった体もろとも貫けと剣を振り下ろしてくる。
(それでも、ここなら)
カザディノの体に匿われたまま、死ぬまでになお時間が稼げ、反撃ができる。
死を覚悟してユーノが唇を歪めた瞬間、がしりと腕を掴まれた。
「っっ!」
「よくも…よくも」
がぼがぼと血泡に溺れながら、のしかかる相手がユーノを覗き込んでいる。
「こんなことを……小賢しい……」
「っく」
突き立てた剣はもう掴み直せず、新たな剣を得る手段はない。もぞもぞ動く主人の体に攻撃が一旦こやみになる。
「しかし愚かだ、私は死なない、こんなことは意味がないのだ、元の体に戻ればなんと言うこともない………」
ユーノを除いた両方の瞳が大きくなったり小さくなったりを繰り返している。握られた腕の先は血の気が引いて痺れるほどだ。はみ出した舌をゆらゆらさせながら、笑みらしきものに唇を釣り上げてようとした相手の顔が、ふいに固まった。
「……戻れぬ………戻れない……なぜだ……戻れぬ……このままでは……死ぬ……シリオン……戻れると言ったのに……どういうことだ……どういうこと…………戻れ………」
ぶわりと瞳が開いた。開いた目から黒々とした液体が滴り流れ落ち始める。腐臭が濃くなる、いつかの『運命』の死体のように、カザディノを名乗った男の体が蕩けていく。
(何が起こった?)
顔を歪めながらユーノが考えた瞬間、
「ぎゃああああああ!!」
周囲を圧する悲鳴と轟音がいきなり周囲を満たした。耳を抑え、地に伏せる。
「あ、つっ!」
熱風が吹きつけた。頭の後ろを熱くて痛い風が吹き抜ける。覆い被さっていた体の圧迫感が幻のように消え失せ、周りに攻め寄っていた兵の気配も消える。
(この熱、この、炎……アシャ…?)
背中を叩きつけるような熱が残るが、周囲に広がった静けさに体を起こし、ユーノは呆然とした。
「な…に……?」
周囲のあちらこちらが燃えている。
「何……これ…は…」
見回して息を呑む。
先ほどまで囲んでいた兵は、下半身しか残っていなかった。しかも薄黒く焦げたような塊となって、腰から下が並んでいる。緩い風が吹いて、そのうち一体が揺れた。傾いで、隣の腰にぶつかり、がさっと音を立てて倒れ、粉々に崩れていく。
「何…だよ…これは……」
零れた自分の声があまりにも頼りなくて、思わずユーノは口を手で覆い……視線を感じて目を上げた。
「………アシャ…」
「……」
少し離れた場所に、アシャが立っている。
無事かとも聞かず、微笑みもしない。
静かにユーノを眺めた後、ゆっくりと背中を向ける。
「アシャ………アシャ!」
張り上げた声では引き止められなかった。遠ざかろうとする相手を追おうとして、足に力が入らずに転がった。震えている、全身、この世ならぬ力を見せられ、しかもそれがどれほどの代償もなく放たれたと理解して。
(あのアシャを、葬る?)
誰にそんなことができるのか。
「く、そおっっ!」
力の抜けた足を殴った。傷つけられていた部分が新たに血を吐く。
「くそ、くそおおおおっ!」
必死に力を取り戻そうと叩き続ける。
(アシャ、待って)
視界がぼやけた。
(一人で行っちゃ駄目だ)
振り仰ぐ。どんどん小さくなる後ろ姿、炎が舞い飛ぶ中に消えそうだ。
「アシャあああああああ!!!」
天を仰いで呼んだ。
「置いてくなああああ!!!」