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ひや、と首を竦めながらも、咄嗟にユーノの体は反応した。
雨が降り、夕闇の中で一つ一つ敵を誘い込み追い込む場所を確認し終わって、レスファート達のところへ戻ろうとした矢先、南門付近で響いた激しい叫びと怒号に振り向いた瞬間のことだった。
抜き放った剣を構える前に体を引いたのは正しかった。首間近を掠めた切先、既に懐まで接近を許したと気づいて、体を捻りながら周囲を睥睨する。降り始めた雨の中、通りを前後から満たすようにじりじりと迫る集団、マントを羽織っていたのをそれぞれに脱ぎ捨てていく。奇襲を避けたユーノの挙動で、マントが邪魔になると判断した辺りが並ではない。
「…貴公らは何者か」
呼び掛けたのはこちらの緩みを演出している。こんな状況で、まだ「何者か」を問うような神経では、さっきの動きは偶然だろうと思わせたかった。同時に薄暗闇の中、灯ひとつも掲げずに詰め寄る敵の情報が欲しかった。
「…」
沈黙が返る。集団の長はいない様子だが、統制が取れている。誰一人、動揺を見せることもなければ、こちらの問いに応じる気配もない。騎乗しているのが8割、残りは徒士だが巧みに物陰へ身を潜めていく。緩まない。こちらが誰だか、十二分に知っていて、油断をしない。
南門近くの騒乱は次第に静まりつつあった。鎮圧されたのではないだろう。地を響かせる振動は平原竜のものに似ていた。ラズーン内側の準備は十分ではないのに、南門付近で戦闘があった。平原竜が入り込んでいるのなら、答えは一つだ。
「何者か」が南門を開け放ち、外で戦っていたジーフォ公の背後を強襲、挟撃された『鉄羽根』は必死に防戦で野戦部隊を引き連れ南門へ退避、外部から攻め込んでくる『運命』軍を防いだ。けれども、南門を開いた「何者か」も恐らくはラズーン内に戻っている。だから『鉄羽根』と野戦部隊は無闇に追撃せず、「何者か」の動きを伺っている。
ここは既に戦場となった。
(レアナ姉様、レス…)
駆け去っていった少女が脳裏を横切る。
あそこにはイルファが居る、アシャも『氷の双宮』から戻ってくる。大丈夫だ。
むしろ、こちらに少しでも「何者か」の戦力が裂かれれば重畳、多少でも削れれば時間が稼げ、まだ生き延びる道がある。
「一つ、わかった」
ユーノは馬上で微笑んだ。
「貴公らは、私の敵だな」
気合いも発語もなく、一斉に前後から徒士が駆け寄ってきた。我が身を踏み潰させても足止めをする策、命じた者は居ないだろうに剣を振り上げ大手を広げて駆け寄ってくる。声を出さないのは所在を明らかにしないため、では意外にこちらの勢力も南門内に戻って来れているのかも知れない。
ならば。
「うぉあああああああ!」
肚の底から大声を張り上げ、ユーノは自ら一番手前の群れに突っ込んだ。元より騎馬で駆け抜けられるとは思っていない。数人を蹴散らし、その死骸を蹴り付けて飛び上がってくる相手を見定め必死に薙ぎ払う。四方八方背後から押し包むように飛び掛かる敵の動きに、ふと奇妙なものを感じた。
(なぜ?)
戦況は動いている。ここに集められた兵士は精鋭だ。『運命』を思わせる鋭くて重い剣捌き、一太刀で躱せる攻撃などなく、二度三度と切り結びながら、ようやく退ける。
(なぜ、これだけの兵を私一人に集めている?)
ユーノに余裕など全くない。かろうじて切り抜けているが、それほど待つまでもなく馬を捨てなくては身動きできなくなるし、捨てた瞬間に雪崩れ込まれては、さすがに防ぎ切れないはずだ。なのに、その好機を待つこともなく、仲間の消耗さえ気にしない攻め方に違和感がある。
(まるで、私が誰だか知っているみたいだ)
優れた剣士と見做しただけではなく、ユーノが『誰』だか知っているから、どれだけ兵を使い捨てようと、ここで始末をつけようとしている。
「っっ」
その瞬間、身体中の毛が立つような怖気が過った。
怖さではない、むしろ意外さの余り、けれど気づいてみれば、ユーノの死を願うこの粘着度合いはよくよく見知った男のものではないか。
「…カザディノ…?」
一瞬の隙に振り上げた顔、呟いた声が聞こえたはずもないが、襲いかかる兵士の彼方、男達の中でただ一人まだマントを着ている男が、ゆっくりと頭の布を背後に払い落とすのが見えた。薄く笑っている顔は、カザディノと似ても似つかない、けれどもその笑みには他の誰とも区別できる下卑た昏い嘲りが満ちている。
「何……?」
ユーノの脳裏に閃いたのは、『運命』に体を明け渡した相手との一戦、別人の顔をしたカザディノだと理解した途端、次々飛び込む兵に馬が囲まれ、飲み込まれそうになる。舌打ちしながら、手近の兵を切り捨て、その体を踏み台に、視察官の剣を奮いながら、もう一度相手を見遣るが、そこにはもういない。
「く、そっ!」
理由は分からない、方法も不明、ただ一つ、直感が告げるのは、誰よりもユーノを惨たらしく殺すことを願う男が、今ここに、しかも生来のぶよついた脂肪の塊のような体ではなく、一廉の剣士として迫っていると言うことだ。
(焦るな、不安に煽られるな)
周囲を囲んでいた数人を切り倒し、わずかにできた時間と空間に、ユーノは呼吸を整えた。既に周囲は死体の山だ。なのにためらうことなく走ってくる兵達は虚ろで死んだ瞳をしている。下の方に積み重なっている体は溶け崩れ始めているのだろう、腐臭が周囲の空気を侵す。ふ、と小さく息を吐いた瞬間、四方から突き出された剣を払い、最後に目の前に突き出された剣先を受け止めた。
「久しぶりだな、ユーノ・セレディス」
「…ずいぶん、見栄えが良くなったじゃないか」
「今ならレアナに似合いだろう?」
噛み合った剣の向こうで、相手はへらへらと嗤った。弾き返そうにも力が強い。蹴りを加えようとしても体勢が崩れた瞬間に、周囲から兵が飛び込んでくるだろう。今取り囲んで手を出さないのは、ユーノを殺すつもりなら、相手もろとも刻む気でないと難しいとわかっているからだ。そうして、この相手を切り刻む予定は、周囲の兵には、ない。
好機だった。生きては戻れない襲撃に、僅かな綻びを生み出せるかも知れない。
「どんなイカサマ薬を使ったんだ」
「…我らは入れ替わることができるのだ」
ひゅ、と相手の瞳が小さな点のように縮まった。ギシギシと剣を鳴らしながら、首を左右にゆっくり傾ける。人形のような、何か別の生き物のような、折れ曲がる場所ではない箇所で無理やり曲がっているような不気味な動きだ。
「感謝しろ、お前を屠るために、こんなところまでやってきたんだ」
「お前の体はどこにある」
「言わぬわ。安全な場所に、と言っておこう」
くつくつ楽しげに笑う相手に、ユーノは思考を巡らせる。なるほど、『運命』は別の体に乗り移ることができる、その秘法の一つなのだろう。カザディノはユーノを自分の手で始末したくて、『運命』の体を使い戦場に出てきているが、自身の体は離れた場所で傷つかぬように保管されているのだろう。たとえこの体を倒したところで、カザディノは傷一つついていないと言うわけだ。