物語の目的(1)書き手
書き手にとっての物語の目的とは何であるかと考えると、「読み手に何かを伝えること」ではないかと思う。正しく伝わるかどうか、またはそもそも、伝えることができるのかどうか(可能性、書き手の表現能力)は別として。
「何かを伝えること」は、物語の最も本質的、核心的な部分であろう。
仮に「何も言いたくない」という一言であったとしても、そこにはメッセージは込められているし、たった一言であってもそれは物語、あるいは少なくともその一部だと言って差し支えない。
極端な例として、真に何事をも伝えたくないと思う者がいるとすれば、おそらく書物など何物をも一切残さず、人生において一言の言葉を発することすらないだろう。とはいえ、それであっても実際には、ある人や事柄が存在する以上は、何事も伝わらないとはいかないのであるが。
そう考えれば、物語の定義は別として、書き手にとっての物語の本質、あるいは目的とは「他者へのメッセージ」といえるだろう。
ところで「他者に何かを伝えること」は、文章作品に限らず、芸術の根源でもあり、自己発現や顕示の欲求に基づくものである。例え、史実や年代記のように「後世に歴史的事実のみを、散文で、正確に伝える」だけだとしても、そこには伝えたいという欲求あるいは、最低でもそうしなければならないという思想や社会的要請があるだろう。
法律の条文や辞書にすら、組織や個人的な表現の余地(それが良いものであれ、悪いものであれ)があるとも聞く。
物語の創作において生じる葛藤とは、自己表現の欲求と他者が求めるものとの整合に関してである。
大衆受けする(商業性が高い)表現は、ある程度必要ではあるが、度が過ぎれば芸術から逸脱し、単なる経済活動になってしまう(それが良いとか悪いとかではなく)。
しかし逆に、あまりにも独りよがりな表現は、誰にも受け入れられることがないから、著作の目的である「他者へのメッセージ」を満たさないことになる。いわば、単なる個人的なメモである。もしこれを他者に読めと強要するならば、「伝えたくない」と沈黙するよりもなお無益であり、有害ですらある。前述のとおり、真に何事をも伝えたくないと思う者は、「他人に理解されなくても構わないのさ」とすら、言うことはない。
望むべくは、読み手も書き手も幸福であること、であろう(それができれば苦労はないのであるが)。