動き始める世界
「暗黒竜が眠るダリヤ山脈です……」
諒太と夏美は一様に絶句していた。
ダリヤ山脈は最終ボスの寝床である。幼いロークアットは何を考え、ルイナーが眠る山へと向かったのか。この行動には流石に首を振るしかない。
「ロークアット、どうしてまたダリヤ山脈に向かったんだ? 何も起こらなかったんだろうな?」
現状のロークアットが無事であるのだから、問題はなかったのだと思われる。しかし、その理由が気になってしまう。
「お父様を探していたからですよ。一人で暗黒竜に挑んでいるのではないかと……」
夏美は口を挟まない。舞台裏を知る彼女は何も言えなかった。
「火口まで行ったのか? ルイナーは起きなかったのかよ?」
「いえ、実は記憶が曖昧で……。ダリヤ山脈に向かったのは間違いないはずですが、それ以降の記憶は思い出せません……」
盗賊を仕留めた魔法まで覚えていたロークアットだが、どうしてかダリヤ山脈へ向かったあとのことは覚えていないらしい。
「でも、そのあとはハッキリと覚えています。ワイバーンに乗ってガナンデル皇国の街へと行きました。エデルジナスという名の街だったかと……」
エデルジナスはガナンデル皇国第二の都市である。酒造業が盛んで夜の賑わいはクラフタットに勝るとも劣らない。加えて朝になると道路に大量のドワーフが酔い潰れていることでも有名だった。
ロークアットの話に諒太は何度も顔を振る。どうにも不可解に思えてならなかった。
「ロークアット、少しナツと天界の話をする。聞かれてはマズい話なんだ……」
言って諒太は部屋を出て行く。今となっては夏美の天使ロールに感謝である。疑われることなくロークアットと距離を取れるのだから。
「おいナツ、アルカナの迷子イベントに詳しい設定はあったか?」
早速と聞く。諒太はあり得ない想定を始めている。好ましくない事態に発展しそうな気がしてならない。
『ううん、ローアちゃんが迷子になる理由なんて書いてなかった……』
「やっぱそうか……」
悪い想定に近付きつつある。夏美の返答に諒太は長い息を吐く。
ロークアットの話は腑に落ちない。前後を詳しく覚えているというのに、ダリヤ山脈に向かったことだけ綺麗さっぱり忘れているのだ。エデルジナスという街の名まで覚えていた彼女が、ダリヤ山脈で何をしたのか少しも覚えていないだなんて。
「ナツ、そのうちにルイナーが動き出すかもしれない。気をつけておけ……」
『どうしてそう思うの?』
夏美は理解していないようだ。明らかにおかしい現状を。ロークアットが語ったことは矛盾を含んでいたというのに。
「ロークアットは父親を探そうとして世界中を回ったんだぞ?」
『それがどうかした? 大福さんがログインできなくなったからでしょ?』
「お前は馬鹿かよ? セイクリッドサーバーにおける父親は大福で間違いない。でも、他のサーバーでは王配となった異なるプレイヤーがいるんだ……」
諒太は説明していくが、残念ながら夏美には伝わっていない。はぇぇっと気のない返事を返すだけである。
「父親を探しに行くという設定は王配プレイヤーが存在するサーバーでは通用しないんだ。つまりはロークアットが口にした理由なんてアルカナには存在しない。彼女がゲーム世界の設定にないことを語ったことが問題なんだ……」
『なんで? 全然分かんない!』
「ったく、よく考えろよ。本来ならロークアットはイベントの設定通りにしか動いていないはず。父親を探していたなんて話はセイクリッド世界における後付けなんだ。常に同質化を図る世界が、それをどう捉えてしまうのか……」
あっと声を上げる夏美。ようやくと彼女も気付いたらしい。ロークアットの発言は明らかに異常であり、改変事案であることを。
『ローアちゃんがアルカナに影響を与えるってこと?』
「その可能性は少なからずある。俺の力が彼女に影響しているのかもしれない。俺がナツにアイテムを送ったりするのと同じこと。ロークアットは過去であるアルカナの世界に干渉してしまう可能性がある……」
疑問符を並べるような沈黙があった。夏美はまだ理解できない感じだ。
諒太ならばまだしも、ロークアットはセイクリッド世界にいる住人の一人でしかない。諒太の側にいるとはいえ、歴史に関与する力があるとは思えなかった。
『ローアちゃんに歴史を変える力があんの? あたしには信じられないけど……』
「俺とナツがスナイパーメッセージのフレンド登録で繋がっていること。それによって過去が改変され、勇者ナツは未来に影響を与えることになった。全ては俺と直接的な繋がりがあるから。もしもセイクリッド世界に俺と密接な関係を持つ者が現れたのなら、過去に干渉できる俺の力を得てしまうとは考えられないか? またロークアットはその条件を満たしている……」
『リョウちん、考えすぎじゃない?』
夏美は少しも信じていなかったけれど、続けられた話には言葉を失っている。
諒太が語った内容に反論は口を衝かなかった。
「奴隷契約によって――――」
今や諒太とロークアットは明確に繋がっている。神の儀式にて接続を果たしたのだ。
主人と奴隷ではあったけれど、諒太とロークアットは契約によって他人ではなくなっている。
「まあ可能性の話だ。ロークアットが過去に影響を与えるのなら、俺は一刻も早く奴隷契約を終わらせる必要がある……」
うん、と夏美は返している。全ては推論でしかなかったけれど、仮に真相であるのなら、諒太が考えるままのような気がしていた。
「かといって、そこまで重大な問題は起きないんじゃないかと考えている。過去に干渉できたとして、そこはゲームでしかない。それにロークアットが影響を与えたとして、それは彼女の行動範囲だけだろう。今回のようにロークアットが出歩くなんてあり得ないからな。だから、ナツはダリヤ山脈周辺で何かが起きる可能性を頭においておくだけでいい。ポーションの準備とか怠るなよ?」
『りょ。じゃあ、迷子イベントの行き先はダリヤ山脈じゃなくて、エデルジナスでおけ?』
「エデルジナスで間違いないだろう。ナツがいる現在地からエデルジナスって街の途中にダリヤ山脈があるんじゃないか?」
ダリヤ山脈に向かったという記憶。それは父親を探していたという妄言にも似た感情が生み出したものだ。唐突に思いついたわけではなく、彼女が飛んだであろうルート上にダリヤ山脈があっただけであろう。
『ご名答! ディストピアからエデルジナスの直線上にダリヤ山脈があるよ。でもまあ、もう少しプレイヤーに気を遣った記憶を思い出してくれたらいいのに!』
「馬鹿言うな。ロークアットはNPCじゃない。プレゼントを受け取れば嬉しそうに笑うし、それを取りあげようとすれば、拗ねたり怒ったりもする。彼女は一人の女性なんだ。父親を失ったことに対する感情をこの三百年に溜め込んでしまったのだろう」
三百年前がゲーム内NPCであったとして、諒太はロークアットを否定できない。ずっと見てきたのだ。彼女が浮かべる感情の全てを……。
「きっと彼女は悲しかったんだと思う……」
運命のアルカナと繋がる前、スバウメシア聖王国に彼女が存在したのかどうか。同質化を図った現在では明確にNPCの立場であるけれど、アルカナ以降は間違いなく一つの人格であった。一個人として歩んだ三百年がロークアットの存在を肯定するだろう。
『分かったよ、リョウちん。下手なことにならないように全力で頑張る。ローアちゃんは必ず見つけ出すし、安全は保証するよ! あたしたちは天下無敵のマヌカハニー戦闘狂旗団だからね!』
急激に動き始めた世界線。その中心にあるものは間違いなくマヌカハニー戦闘狂旗団である。彩葉以外の面識はなかったけれど、数々の逸話を知る諒太は彼らを信じられた。
よって歴史はマヌカハニー戦闘狂旗団に一任しようと思う。口出しなどしなくても、彼らなら大丈夫だろうと。
「ああ、頑張ってくれ」
エールを送ろうと考えた諒太。少しばかり思案した結果、旅立ちに相応しいだろう台詞を思い出している。
「大いなる旅路に幸あらんことを――――」