神の思惑
北の洞窟を踏破し、諒太たちが地上に帰還した頃には日が沈みかけていた。初級ダンジョンであるため広さはしれていたけれど、一応は五階層まであったのだ。時間にして一時間程度はかかったことだろう。
「帰りは徒歩なんですね?」
「当たり前だろう? このような辺鄙な場所に都合良く馬車がくるものか。それでなくとも石ころをドロップさせた二人だぞ? 王都の手前くらいで馬車に遭遇するんじゃないか?」
フレアは自身の不運に疑いを持っていない。馬車で三十分かかるのだからセンフィスまでは一時間以上はかかるはず。諒太一人ならログアウトを選択するところだが、彼女は訓練に付き合ってくれたのだ。道中の話し相手くらいは務めてあげるべきだろう。
地平線の彼方に日が沈む。そこには家やビルといった遮蔽物はなく、太陽は大地に吸い込まれるようにしてその姿を消していく。既にゲームであるとは考えていないけれど、この景色だけは非現実的だといえる。雄大なる大地が太陽を飲み込んでいく様は圧巻であり、思わず息を呑んでしまうほどに神々しい光景だった。
かれこれ一時間は歩いたと思う。フレアによると王都センフィスはあと少しらしい。かといって街に着いた頃には真っ暗になっているはずだ。
「フレアさん、あの巨大な穴は何ですか?」
往路の馬車では見た記憶がない。しかし、間違いなく荒野のど真ん中に巨大な穴が開いている。それはまるで隕石でも落下したかのようなクレーター形状をしていた。
「ああ、あれはかつて勇者ナツによって生み出されたものだ。何でも野党集団を一撃で一掃したらしい。彼女が繰り出した伝説のスキル【メテオバスター】の衝撃によって地面がえぐれたと伝わっている……」
またもや夏美の仕業である。諒太は長い息を吐いて巨大なクレーターを眺めていた。何やってんだよと呟きながら……。
五分ほど歩いただろうか。諒太は街道の先に何かを発見している。
「ん……?」
それは馬車らしき影だ。薄暗く判然としなかったけれど、街道のど真ん中にある影が岩山であるはずもない。
「フレアさん! あれ馬車じゃないですか!?」
まさに彼女が話していた通りだ。運のない二人は城下に近付いた頃になって、ようやく馬車を見つけていた。とはいえ諒太は正規料金を支払ってでも乗りたく思う。あと少しと聞いてはいても、まだセンフィスは見えていないのだから。
「いかん! 盗賊に襲われているぞ!」
突としてフレアが叫んだ。視界の先にある馬車は確かに動いている様子がない。また馬車の回りには幾つもの影があり、それは激しく争っているようにも見えた。
「本当ですか!?」
「走れ、リョウ!」
言ってフレアが駆け出していく。かなり疲れていただろうに、流石は騎士団長である。彼女は如何なる悪も許さないつもりのよう。フレアに急かされるがまま諒太も馬車に向かって走り出す。
大声を上げながら接近するフレアに盗賊たちも気付いたらしい。数人が短刀を手に彼女めがけて襲いかかってきた。
「邪魔だぁっ!」
フレアは躊躇することなく首を刎ねた。先頭の一人を始末するや彼女はソニックスラッシュを発動している。
勇猛果敢なフレアに諒太は圧倒されてしまう。もとい彼は狼狽えていた。魔物であれば躊躇うことなく振れた剣は人間を相手にしただけで鞘から抜けそうにもない。
「リョウ、早く剣を抜け! お前が斬らなければ死人が増えるだけだぞ!」
諒太の心情を察したのか、フレアが怒鳴るように言った。それは諒太も分かっているけれど、安穏とした世界に生まれた彼には難しい話である。
「私が斬る! リョウは怪我人を頼む!」
慣れているのかフレアは次々と盗賊たちの首を刎ねていく。盗賊の平均レベルは10程度でしかなく、元より彼女の相手ではなかった。
盗賊たちを牽制しながら、諒太は言われた通りに怪我人の元へと到着。そこには護衛と思われる冒険者が何人か横たわっていた。彼らは真っ先に矢で射貫かれたようで既に息絶えているようだ。
周囲を見渡す。動ける者は全員が逃げ出していた。よって周辺にいた者たちは全員が倒れ込んでおり息のある者は少ない。
「大丈夫ですか!?」
諒太は御者と思われる男性に声をかけた。彼は打撲などを負っていたものの、どうやら無事である様子。諒太が近寄ると御者は震えた声でいうのだった。
「私よりそこの娘を見てやってください! 私を庇って彼女は斬られてしまったのです!」
御者が指さす先。確かに女性が血を流して倒れ込んでいた。諒太は御者にポーションを与えてから急いで女性の元へと駆け寄る。治癒士ではない彼には回復ポーションくらいしか与えられないというのに。
斬られたという彼女を起こした諒太は驚愕としていた。酷い出血であるけれど、それが理由ではない。驚いたのは抱きかかえた女性の顔に見覚えがあったからだ。
「アーシェ?――――」
斬られた女性はどう見てもアーシェである。彼女は夕飯の用意をしていたはずなのに、なぜか馬車に乗り、運悪く盗賊に出くわしてしまったらしい。
「アーシェ! アーシェ!」
まだ息はあるようだ。安静にしておくべきなのだが、焦った諒太は呼びかけ続ける。アーシェの無事を彼は確認したかった。
「リョウ……君……?」
「アーシェ、直ぐに助けてやる! 気をしっかりと持て!」
虚ろな目をしてアーシェは諒太を見ていた。しかし、彼の名前を呼んで直ぐにアーシェは目を閉じてしまう。
「会いたかった……」
そう口にするとアーシェはピクリとも動かなくなってしまう。諒太の腕の中で彼女は意識を失っていた。
愕然とする諒太。何がどうなったのか、彼はまるで理解できていない。
「何でだ……? どうしてこうなった……?」
やり場のない怒りが込み上げていた。数時間前に彼女の同行を許可していたとしたら、こんな目には遭わなかっただろう。本を正せば諒太が彼女をからかわなければ盗賊に襲われる現実などなかったはず。
「どうしてアーシェが……」
不意に口の中へ拡がったのは鉄臭い血の味だった。こんな今も躊躇している自分が情けない。悔しくてもどかしくて。無意識に千切れてしまうほど強く唇を噛んでいる。
「ちくしょう……」
何もかもが許せなくなる。治療すらできぬ自分自身もアーシェを傷つけた盗賊たちも。
腹の底から煮えたぎる感情は諒太を急かし続ける。
早く剣を抜けと。全てを斬り裂けと……。
「クソ野郎が……」
盗賊たちを一瞥したあと、遂に諒太は剣を抜く。アーシェをそっと寝かせてから、静かに立ち上がっていた。
「お前らは絶対に許さねぇぇっ!!」
大声を張り盗賊たちに斬り掛かった。責任転嫁であったのは間違いないだろう。諒太は自身の失態を押し付けるかのように盗賊たちを斬っていたのだから。
それは習ったばかりの剣術ではない。ただ感情に任せて振り回しているだけだ。従って一撃で仕留めるような攻撃ではなく拷問のように傷つけてしまう。
一心不乱に諒太は剣を振った。既に立っている盗賊は一人としていなかったというのに、尚も彼は盗賊たちを罰するつもりか叩き付けている。
「リョウ、もうやめろっ!」
狂人のように暴れ回っていた彼をフレアが制止する。もしも彼女が止めてくれなければ、周囲には肉塊が飛び散っていただろう。諒太が自我を取り戻せたのは正直にフレアのおかげであった。
気付けば盗賊たちは酷い怪我を負い全員がうめき声を上げている。冷静になると恐ろしかった。諒太は怒りに任せて人を斬り付け、恐らくは殺めていたのだから。
「俺は…………」
悪は厳罰に処するべきと諒太はずっと思っていた。ニュースで見るような執行猶予という甘い処分。積極的に悪を処分しないのは間違いであるのだと。
勧善懲悪といった内容のゲームを好んでいるし、今までの自分が間違っていたとも思えない。しかし、自ら正義を執行する役目はもう負いたくなかった。
この惨状に諒太は気付かされている。自分勝手な正義しか持ち合わせていなかったことを。誰かが罰してくれることでしか諒太の正義は成り立っていなかった。
「フレアさん、アーシェは!?」
我に返った諒太。直ぐさまアーシェの元へと駆け寄った。フレアが看病しているみたいだが、治癒士ではない彼女にできることは諒太と何も変わらない。酷い出血を止められるはずもなかった。
「アーシェはどうなるのです!?」
諒太の問いかけにフレアは首を振った。妹の未来を否定するように無言で返している。
「今すぐに治療を始めたのなら何とかなるかもしれない。だが街までは遠すぎる……。騎士団の本部には治癒士が常駐しているのだが……」
無念さを滲ませるフレア。当然のことながら生き残った者に治癒士はいない。たとえ馬車に乗せたとして出血の酷いアーシェは持ち堪えられないだろう。
「騎士団……?」
ふと諒太は勇者ナツの銅像を思い出していた。夏美ならば何とかできたかもしれないと。勇者ならば傷ついた人たちを回復させられるのではないのかと。
「俺は何もできない……」
完成された勇者として呼ばれたわけではない。今の諒太はステータスに恵まれているだけであり、ジョブは魔道士である。よって諒太がアーシェを救えるはずもなかった。
しかし、諒太は首を振る。絶望的な状況であったというのに。
「絶対に死なせはしない……」
諒太は抗おうと思う。神により選ばれし自分自身を信じるだけ。アーシェを必ず助けるのだと心に決めた。
「時空の精霊よ、我に応えよ。無限に拡がる大地……」
自然と詠唱文を口にしていた。それは先ほど知ったばかりの呪文である。夏美が唱えていたそのままだ……。
それが勇者専用呪文であることは知っていたし、中級魔法以上の発動条件にスクロールの所持が含まれていることだって理解している。けれど、今の諒太に可能性のあるなしは関係なかった。
「遙かなる稜線の頂、絶海に浮かぶ孤島。我望む場所へと導かん……」
望むままの世界を願う。あるべき世界だけを望む。
諒太はこの現状を変えたかった。
「勇者専用魔法だとか知るもんか……」
夏美が見せてくれた転移魔法ならばアーシェを救えるはず。諒太はあの魔法を発動させ、騎士団の本部へと二人を連れて行かねばならない。
「もしもこの世界に神が存在し、世界の救済を俺に託したというのなら、俺の願いも叶えてくれよ……」
身体中にありったけの魔力を循環させる。たとえ昏倒しようともアーシェだけは必ず救い出すのだと。
「命を賭して世界を救えというのなら、俺はこの身が朽ちるまで戦うと約束する。だからどうかお願いだ。俺に力を与えてくれ……」
神に届けと祈るのみ。世界を救う対価を諒太は求めていた……。
「せめてアーシェを救えるだけの力を――――」
急激に魔力が失われていた。それは魔法が発動する瞬間に覚える感覚だ。根こそぎ消費しようとする大魔法に諒太は全てを委ねている。
そっとフレアとアーシェの手を取り、諒太は詠唱を終えた……。
「いけぇぇっ! リバレーション!!」
叫ぶようにして諒太は呪文の発動を口にする。まだ勇者ではなかったというのに。ゲーム中の縛りを無視した彼はただ詠唱の成功を願っていた。
「俺を誘えぇっ! あの場所に連れていけぇぇっっ!」
未来の功績を対価とするのは都合の良い話だ。しかし、神に捧げられるものはそれしかなく、彼が世界を救う理由はこの瞬間にしかなかった。
「俺に力をくれぇぇぇぇっっ!」
諒太の絶叫が轟いたその刹那、三人は空間に吸い込まれていた。スキル発動時と変わらない強制的な力が諒太たちを飲み込んでいく。
一瞬のあと、目を開いた諒太の眼前には勇者ナツの銅像があった。どうやら彼の願いは神に届いたらしい。勇者である夏美が見せてくれたように、諒太もまた空間を移動していた。
「リョウ……?」
「フレアさん、早く治癒士に! 急いでください!」
諒太だって信じられなかったけれど、今は呪文の成否について考えるときではない。全てはアーシェを救うためにやったことだ。結果が伴わなければそれに意味はない。
フレアがアーシェを担いで詰め所へと飛び込んでいく。だが、諒太は同行しなかった。彼にできるのはここまでだ。アーシェの治療が上手くいくようにと祈るだけである。
ひとつ息を吐いたあと諒太は強烈な吐き気を催す。それは恐らくMP切れの兆候だろう。身の丈に合っていない呪文を使用したのだ。寧ろ何も起こらないはずがなかった。
「とりあえず……ログアウトだ……」
吉報を待つのはやめた。ここにいても自己嫌悪に陥るだけである。アーシェに重傷を負わせた自分自身の軽率な行動。諒太にはそれを責め続けるしかできないのだから。
直ぐさまメニュー画面を開く。しかし、諒太は固まってしまう。ログアウトを選ぶだけであったというのに、唖然とメニュー画面を眺めたままだ。
【リョウ】【勇者・Lv42】
「何だよこれ……?」
確かに諒太は神と約束をした。リバレーションが勇者専用の呪文であるのも知っている。だけど心の準備もないままに諒太は勇者とされてしまった。彼はまだフレアのレベルにすら追いついていないというのに……。
「本当に神が存在する……?」
そう思うに十分な理由があった。なぜならアイテムボックスにはリバレーションのスクロールが入っていたのだから。
この世界はあまりに不安定だ。その原因はセイクリッド世界が三百年前からずっとゲームの理に縛られていることである。
諒太が勇者専用魔法を唱えたこと。ゲームでは勇者にしか使用できない。それ故に勇者専用魔法を唱えた彼がこの世界の勇者になった。
「神はこれで良かったのか……?」
現実世界の常識では神が即座に願いを叶えてくれるなんてあり得ない。だからこそ諒太は深みに嵌まっている。この決定が神の意志であるのかどうかと。
長い息を吐いたあと諒太は思考を停止した。人知れず悩んだとして勇者になった事実は覆らない。諒太は勇者召喚の目的通りに勇者となっただけだ。
「アーシェを助けられたのだから何も間違っちゃいない……」
ひとまずはログアウトを選択する。今の精神状態では戦えそうにもない。MP切れでもあるし、ここは積極的な休養にしようと思う。
本日、勇者が選定された。夢と現実を混ぜ合わせたようなセイクリッド世界は冒険者を始めて二日目という頼りない諒太を選んでいる……。
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