悪夢の果て……
【着信 九重夏美】
突如としてコール音が脳裏に響く。驚いて声を上げそうになるけれど、諒太は夏美のコールに約束を思い出していた。そういえば昼ご飯を食べたあと家に来る予定だったことを。
「ロークアット、念話が入った。一人喋りするけど気にしないでくれ……」
ロークアットに断りを入れてから、諒太は通話を許可する。これから向かうという連絡はなかったけれど、夏美のことであるから既に家まで来ている可能性が高い。
『あ、リョウちん? ついたよ?』
やはり夏美は事前に確認を取るような、できた女ではない。ひたすら本能のままに行動する人間である。
「玄関は開いてるから入ってくれ。直ぐに戻る」
『いや、既にリョウちんの部屋なんだけど?』
誰もいないとは言ったけれど、夏美は無断で侵入したらしい。玄関までなら分かるが、部屋にいるだなんて完全に想定外である。
「ちょっと待ってろ。準備ができたら連絡する」
エクシアーノ散策は強制終了となる。夏美を一人で待たせるのは危険だ。勝手に部屋まであがってくるくらいだ。色々とさわり出すに決まっている。
「ロークアット、すまん。急用ができた。散策の続きはまた今度な?」
「承知しました。とりあえず四日後の返済は気を付けてくださいね? 利子は借金をしたお金では返済できないようになっていますから……」
「何とかするよ。もし奴隷になったら可愛がってくれよな?」
最後に冗談を言って諒太は人気のない場所へと向かう。直ぐさまリバレーションを唱えて召喚陣のある石室までとんぼ返りである。
嘆息しながらも、笑みを浮かべる諒太。面倒ごと以外は理想の世界に戻っている。
従って今以上を望んだりはしないし、諒太にはこれから先が楽しみにも感じられていた……。
のんびりするつもりが忙しい一日となっていた。エクシアーノから石室に戻ると、直ぐさま夏美に連絡を取って召喚を実行。いち早くセイクリッド世界に呼ばないことには大惨事となる。自身の尊厳を守り、汚部屋の侵食を防ぐためにも夏美には側にいてもらわねばならなかった。
輝く魔法陣の中から徐々に影が浮き上がっていく。
それはまたしても勇者のご帰還であった。伝説ともいえる勇者ナツがセイクリッド世界に舞い戻っている……。
「うぇぇ、気持ち悪い!」
召喚するやいなや夏美。まだ転移時の気持ち悪さに慣れていないらしい。
「お前、勝手に入って俺の部屋を荒らしたんじゃないだろうな?」
一応は文句を言っておく。勝手に入るまでは許せても、諒太にだってプライバシーというものがあるのだ。
「リョウちん、あたしは分かってるからさ。思春期のバイブルには触れていません!」
「んなものはねぇよ。散らかされるのが嫌だっただけだ……」
ウヒヒと夏美は妙な笑い声を上げる。完全に分かったような顔をしていた。
「それでリョウちん、どうなった? 世界線ってのは元に戻った?」
やはり夏美も気になっているようだ。勇者ナツが移籍したせいで、アーシェが失われたこと。人族とエルフが戦争を始めてしまったことまで。
「完全に同じじゃないけど、問題は解消できた。アーシェは生きているし、エルフと人族は友好関係にある。懸念事項があるとすれば、残念な銅像が増えたくらいだ……」
盾を持つ勇者像。知らされた夏美は驚いたあと、笑顔を見せている。彼女自身も、まさか盾を掲げた銅像が建てられるだなんて考えていなかったらしい。
「リョウちん、次は何を掲げたらいいの?」
「どうせ間抜け顔をした銅像なんだから、ドワーフの奇面でも掲げてたらどうだ?」
「ひどっっ!!」
二人は笑い合っていた。こんな時間が過ごせるのも全ては世界線を変えられたからだ。平和なセイクリッド世界に戻ったからである。
「それでナツ、彩葉に謝ってくれないか? 協力を要請したのは事実だし、あいつは死に戻ってしまったから……」
「ああ、イロハちゃんなら大丈夫だよ。今朝会ったけど、既にレベル30まで上げてたし。しかもスバウメシア聖王国に移籍してるの!」
何とも廃プレイヤーらしい話である。所持金やアイテムが失われないことは廃プレイをする彩葉にとってイージーモードであったのかもしれない。
「じゃあ、ラリアットはどうなった?」
ここで気になるのは阿藤のキャラクターであるラリアットだ。
裏切りの碑にあった内容によると、彼はガナンデル皇国へと移籍していた。だが、改変を受けた今となってはどうなっているのか分からない。
「阿藤君はフレンド登録を切ったから分からない。大勢をプレイヤーキルしちゃったし、また騎士団に入るとは思えないね……」
どうやら夏美はフレンド登録を切ってしまったらしい。レベル1に戻ったラリアットは今どこで何をしているのだろうと、思わず考えてしまう。
裏切りの碑にあったままガナンデル皇国へ移籍しようにも、レベル制限がある。よて、しばらくはアクラスフィア王国周辺でレベリングとなるはずだ。
「レベル1のフレンドはリストから外しても問題ないはず。これでナツも今まで通りに楽しめるな?」
「それはそうなんだけど、リョウちんその妖精は何なの?」
急に話題が変わった。一体何の話かと眉根を寄せていた諒太であるけれど、夏美が指さす方向に視線を向ける。
「おまっ!?」
「やあ婿殿! 先ほどぶりじゃの!」
何とリナンシーが背後に飛んでいた。先ほど別れたはずなのに、どうしてか彼女は石室までついて来てしまったらしい。
「婿殿の転移術は魂を共有する妾にも影響があるでのぉ。手の甲にある紋のせいでパーティを組んどるようなものじゃ!」
「嘘だろ!?」
本当に呪いのような加護だと思う。どこまでもついてくると知っていたら、絶対に拒否していたというのに。
「そちはナツじゃな? 妾はリナンシーじゃ。覚えておるか?」
ゲームにも登場する妖精女王リナンシーは夏美のことを覚えているみたいだ。ゲーム時間は三百年前であるというのに、一目見ただけで夏美を勇者ナツだと見抜いている。
「あたしのこと知ってるの!? 妖精女王ってこんなに小さかったっけ!?」
「今は仮の姿じゃからの。もちろん覚えておるわい。立派な勇者となって妾は嬉しいぞ!」
「ありがとう! リナンシーもちっこくなったけど元気そう!」
残念な二人の再会。諒太的には憂慮すべき事態である。一人でも苦労するというのに、それが二倍になるだなんて心労でしかない。
「しかし、婿殿も隅に置けんのぅ。ロークアットに続いてナツと逢い引きとは……。まあ妾は第一夫人であるから問題はないぞ? 妾は愛情と同じで懐も深いからの!」
誤解を招くような発言である。残念妖精リナンシーは余計なことを口走ってしまう。
「リョウちん、ローアちゃんと会ってたの!?」
聞き流してくれたなら助かったのだが、残念ながら夏美はジト目をして諒太を睨んでいる。これは非常にマズい展開であった。妙なツッコミを入れられる前に、諒太は話題を転換しなければならない。
「実は世界線が変わっても俺の借金は残ったままなんだ。債権者はお前も知っている通りにロークアット。だから、俺は彼女に呼び出されて会っていただけだ。せっかく希望する世界線に戻ったというのに、借金と残念妖精という残って欲しくないものだけが残ってしまった。ロークアットとの婚約話はなかったことになっているのに……」
自身の悲惨さを聞けば夏美も溜飲を下げるはずと、諒太は考えていた。三百万ナールという借金や邪魔にしかならない妖精だけが残っただけなんだと。
「婚約!? 何それ、詳しく!」
ところが、諒太はやらかしてしまう。余計な事まで口走ってしまった。婚約の話は黙っておくつもりだったけれど、思わず口を滑らせている。
「ああいや、世界線が変わらなかったらって条件付きだし。世界線が同じであれば、王国と聖王国は友好関係を築けないだろ? だから人族の俺と婚約してやり過ごそうとしていたんだ……」
理由があってのことだし、別にやましいことはない。けれど、夏美の視線は厳しいままだ。
その蔑むような目に諒太は萎縮する。まるで蛇の眼前で固まる蛙そのものであった。
「リョウちんは少しも油断できない! アーシェちゃんだけでなく、ローアちゃんまで籠絡するなんて! 一体どういうことのなの!?」
どうしてか諒太は弁明を求められている。確かに夏美の気持ちはそれとなく受け取っていたけれど、二人はまだ幼馴染みのままであって、踏み込んだ関係ではない。
「いやその……あの……」
果たして適切な返答が存在するのだろうか。指摘されたことは事実であり、否定する余地など少しもない。仮に弁解するとして、幼馴染みでしかない夏美に何と返せばいいものかと諒太は頭を悩ませていた。
「リョウちんは全然いくない! リョウちんが良いとか間違ってたよ! 今後はリョウちんが良いとか絶対に言わない! 前言取り消しだもん! もう、あたしから言うのはやめるからね!」
夏美はプイッと顔を逸らし、先日口にした話を取り消した。告白にも似た話を今さらになって否定している。
「あたし、もうやめるから!――――」
どうしてか諒太はもの凄く既視感を覚えていた。この妙な感覚はなんなのだろうかと。
怒り心頭に達した夏美を宥めるべきであったが、諒太はこの状況に戸惑うだけだ。加えて、なぜか自然と夏美へ言葉を返してしまう。
「ああ、そうしてくれ。気を遣ってしょうがないし……」
この場面を確かに記憶している。だが、それは夢の話であったはず。それもアルカナをやめるかどうかという内容のもの……。
「賛成してくれてありがとっ!」
夢と決定的に異なるのは声のトーンが怒気を含んでいたことだ。夏美は顔を背けたまま皮肉的に返している。
ここでも諒太は思考するまでもなく、どうしてか無意識に返事をしてしまう。
「好きにしろ。俺はどっちだっていい……」
火に油を注ぐような台詞。益々夏美が口を尖らせたのは説明不要である。
夢と同じ場面。どうやらあの夢は騎士団に居づらくなり、アルカナをやめるという内容ではなかったらしい。揺るがない未来を映していただけのようだ。
恐らく諒太はあの夢を見たときから、この瞬間に導かれていたのだろう。彼に期待する神様とやらが見せたに違いない。予知能力が諒太にあるとは思えないし、謀られていたとしか考えられなかった。
諒太はこのあとどう返答すべきか。神様とやらは夏美を怒らせるところまでしか彼を誘っていないのだ。
ひとしきり考えたあと、諒太は笑みを浮かべながら、夏美に自身の心情を嘘偽りなく伝えている。
「ナツ、俺は中学の三年間を楽しめなかった。家に帰ってもお前がいなかったからだ。だから、俺はもう少しこのままがいい。貶し合って笑い合いながら、夏美と馬鹿馬鹿しくゲームがしたいんだ……」
もしも夏美が最後の言葉を口にしたのなら、恐らく諒太は承諾するだろう。
断る理由が一つもないのだ。再び目の前に現れた夏美を失うくらいなら、関係が変化するなんて些細な問題である。しかし、そういった関係は諒太の本心とは少しばかり異なった。
「俺はあの夏の続きを望んでいる――――」
突如として失われたとても暑く熱い夏。同じ経験をした夏美ならば、きっと分かってくれるだろうと。
補うように、紡ぐようにして諒太はそれを続けていきたい。止まったままだったあの夏が再び動き始めたのだ。だからこそ諒太はあの夏をそのまま続けたかった。欠損していた夏美との思い出を新たに綴っていきたいと願う。
「リョウちん……」
夏美には伝わったことだろう。尖った口は既に元の位置まで戻っている。きっと夏美もあの夏を思い出しているはず。記憶に眠るあの騒がしく熱い夏を……。
「そんなこと言われちゃしょうがない! まあ夏美ちゃんの気持ちは昔から変わらないから! あたしはリョウちんと一緒にいると楽しいし、これからは居なくなったりしないよ!」
夏美は諒太の弁明を受け入れていた。楽しかった思い出を現在進行形とする。過去ではなく今だけでもなく、未来へと熱い夏を続けていくのだと。
「もう今日はログアウトして格ゲーでもすっか?」
「おお、やろうやろう! 絶対にリョウちんを倒す!」
そうでなければ夏美らしくない。だとすれば諒太は昔と変わらず叩きのめすだけだ。
少しばかり残念に思う気持ちもあったけれど、諒太は現状維持を選ぶ。複雑な方程式を解くことなく、簡単な四則演算で得られるような回答を望んだ。単純でお馬鹿な夏美にはそれこそが最適解である。彼女いない歴を更新し続けようと諒太は構わなかった。
「ナツ、お前が先にキャラ選択をしろ。せめてもの情けだ……」
「あたしはもうあの頃のあたしじゃない! 覚醒したあたしのウルトラテクニックを見せつけてあげる!」
喜々としてプレイヤーキャラを選ぶ夏美。何だか諒太も楽しくなってきた。古いゲームではあるけれど、二人共がよく知るゲームなのだ。熱いバトルのゴングは直ぐさま打ち鳴らされることだろう。
初戦は諒太が何とか勝利している。しかしながら、夏美はボタン連打ではなく、難しい技まで繰り出せるようになっていた。思ったより苦戦したのはここだけの話である。
「くっそぉ!」
夏美は蒸し返すあの夏に見たままの反応だ。諒太の記憶をまさぐるかのように、夏美は当時と変わらぬ台詞を口にしている。
リョウちんに負けるなんて悔しい!――――と。
第二章、完結です!
次回からは新章のスタートです。改変を続ける世界から取り残された諒太。膨大な借金を返済
するため彼は無茶をすることに。
更には死に戻ったあと、アルカナをリスタートした彩葉。彼女のレベリングに付き合う夏美に
も危機が訪れます!
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
☆評価いただけますと有り難いです!