ヒロインとの夫婦漫才
中高一貫の私立学校。その高校二年の教室で俺は机に突っ伏していた。
完全に孤立しちゃっている現状。
分かってはいる。妥協もしている。納得は……まぁしていないが。だが、やはりきついものはきつい。
授業時間だけが唯一の救いだ。有象無象の注意が他に向くから。
それ以外は常に、愛玩動物を眺めるような視線と、悪意と敵意に呑まれる。
慣れているつもりだったけど、な。
そうこうしている内に四限目の授業が終わり、給食の時間となる。
「飯、食いにいくか」
ゆうきのごとくひっそりと呟くが、体が思ったように動かない。
早くこの場所から脱出して、人目のつかない所でゆっくりしたい。
そんな欲求と、体の疲れがせめぎあい、逆に疲れるという悪循環。
「今日は飯、いっか。寝よ寝よ」
そういえば。あの悪夢を見て飛び起きて以来、寝つけなかったのだ。今さらながら思い出す。
らしくもなくセンチメンタルになったのも、寝不足のせいだ。脳が正常に働かなかったためだ。
それすらも忘れてたなんて、よっぽど疲れてたんだな。
寝不足を自覚したら、本格的に睡魔が襲ってきた。
心地よい悪魔の囁きだ。意識を落としたら楽だぜ、と。
否定することもない。昼休みも始まったばかりだし、一眠りするぐらいの時間は十分にある。
逆に、この正常に働かない脳が何をしでかすか分からない。らしくもないことをしちゃったしな。
じゃあおやすみ。
心の中で呟き、さて本格的に夢の世界に行こうとした所で。
────あれ、なんか忘れてなかったか?
なんだったかな。
思い出すために、首をひねって考える。
がらがらどおん!
と教室の扉が乱暴に開けられたような音がした。
にわかに騒ぎ出すクラスメイト。まるでアイドルがやって来たかのような騒ぎようだな、はっっはっは。
…………待て、アイドル?
確かこの学校には、脳内お花畑のなんちゃってお嬢さまがいた筈だ。
何を間違えたのか、「お嬢様」と「美少女」というだけで、神格化されちゃって本人の意思なんて関係なく学校の偶像となった哀れな同種が。
あーあ、思い出した。そうだったそうだった。すっかり忘れてしまっていた。
「セカイ君!? あなたねぇ、人との約束を反故にして、夢の中ってどう言うことよ!」
ヒステリックに俺にビシッと人差し指を立て、騒ぎ立てる。
一瞬にして、お通夜のように静まった教室を尻目に、怒れるお嬢さまはズカズカと俺の前まで来る。
「いや、ちょっとな。深層心理との会話という、人類史に残る偉大な実験をしようとしていたのであって、決して寝ていたんじゃないぞ。三上」
彼女の名前は三上咲。ひょんなことからお互いが同じような境遇だと知って、それ以降何かと関わるようになった、女子だ。
本質を見てくれる俺にとって唯一の女子友達だ。
と、ともだち……いやまあ、暇なときはつるんでいるからな。だいたい友達の定義なんてあやふやで──おっと、脱線してしまった。
まあ友達のような関係だ。
こうして、腰に手を当てて、プンスカ怒っている姿を見ていると、笑いが込み上げてくる。
「あー、笑った! そんなんでごまかそうてして。ほんとセカイ君はヒネデレさんだね」
「だまらっしゃい。その不名誉な呼称で呼ぶな」
誰がヒネデレだ。ひねくれているのは認めるし、個性だと割りきっているが、デレは無い!
第一男のデレ要素なんて誰得だ?
「とにかく、今日は一緒にお昼食べるって約束でしょ!?」
右手に持っている包みをこれ見よがしに強調し、俺に近づける。
か、勘弁してくれよ。
こんなゴシップ雑誌のように下卑た思考回路しか持たない連中に、そんな話を聞かせたら誤解しちゃうだろうが。
「セカイ君と三上さんって付き合ってるんだ」
とか言った具合に。
実際ちらっと見ただけで、隅の方で円陣を組んで、何かを議論しあっている。
結局は今さらか。普段から好き勝手言われてるんだから、変わらない。
風評被害と誹謗中傷は任せろ……死にたい。
流石に視線が気になってきた。
「んじゃ、とっとと行くか」
俺は立ち上がり、三上の背中を押しながら扉を目指す。
無言と奇異なものを見るような目が、行き交う不思議な空間。
一刻も早く出たかった。
ボケーとしている三上の顔を恨めしげに見ながら、教室を出ると扉を閉める。
数秒とせずに、ソプラノとアルトの絶叫が扉越しに響いた。
扉と窓が、声による衝撃でジリジリと震えていたぐらいだ。
ほんとバカばっかだな。
「お前なぁ、少しは考えて行動しろよな」
いつものたまり場の屋上。俺と三上以外いない、静かで心地よい場所だ。
本来なら、この場所は安全上から封鎖されているのだが、実は鍵が錆びてしまっていて、開けるのが簡単なのだ。
生徒たちの楽しそうな喧騒が遠くに聞こえて、この世とは隔絶された場所かと錯覚してしまう。
下らない感傷だ。
「だってー、折角約束したのに来てくれないんだもん。全くだね。それに人目を気にするなんて今さらかな気がするしね」
「それについては否定はしない」
つい先ほど、俺も同じような結論になったばかりだ。
お互いなにも言わずとも思考が合ったことに僅かながらの驚きで笑う。
「奇遇だな」
「奇遇だね」
途端に吹いた風が髪の毛を撫でる。俺は一旦座ると、何かを思い出したかのように立ち上がった。
「? どうしたのセカイ君?」
「その、悪かった、な。約束忘れっちまって。待っててくれたんだろ?」
「そういうのってずるいよ」
三上が小声で呟いた言葉は、残念ながら風の音で聞こえなかった。
ただ、なんとなく許してくれそうな雰囲気に安心した。
「このこのヒネデレさんめ」
「何度も言っているが止めてくれ。無性に自傷したくなる」
「うりうりぃ」
俺の胸を肘でグリグリさせる三上。……う、うぜぇ。
「なんかもう、少女漫画の主人公みたいな性格だよね。ヒネデレさんめ」
「ヒネデレじゃない。なんだお前、少女漫画の主人公みたいなって。俺みたいな主人公がいてたまるか。もれなく全ヒロインのフラグをぶっ壊した上で粉々にする自信があるぞ」
「わーお、一級フラグ建築士ならぬ、一級フラグ解体屋だね」
三上はそういいながら、俺にどや顔を向けてくる。
「うまいこと言ったたって思ってるんだろうが、全然そんなことないからな?」
「そうかな~?じゃあ、一級フラグクラッシャー?」
「残念、それは既にある言葉だな」
「ムムム。じゃあ一級フラグザ○キーマ!」
「どさくさに紛れてフラグごと殺そうとするなよ!ってかその言葉好きだなぁ!」
普段こいつはゲームなんてしないのに、どっから覚えたんだその言葉は。
何かある度に唱えるのはやめて欲しい。あれか?意味の分からない言葉を使って楽しんでいるのか。
「そりゃそうだよ。だって、セカイ君を○せるし」
「もはや伏せ字を使わなくても、意味が理解できる俺は末期かもしれない」
「大丈夫?おすすめの病院紹介しようか?」
「そこでマジトーンにならなくていいから。病院(精神科)とか行く気はない……いやこのままだったら直行コースだな」
「ほんと可哀想だよ。私に出来ることがあったら言ってね」
「じゃあ何かあるごとにザ○キーマ唱えるの止めて下さる!?精神的な負担の三割はお前だからな!」
「ご、ごめん。ごめんなさい。わ、私、それだけは出来ないの」
「そんなに苦しそうにすることじゃねぇ。人に殺人予告をすんなって言ってるの」
まったく、こいつはダメかもしれない。
三上はプルプルと肩を震わせて、水分を目元に湛えた。
「フフッフフ」
堪えきれないとばかりに、三上は笑い声を上げた。
「はぁー。お前なぁ、もうちょっとからかうのをなぁ」
「ごめんごめん。許してよ、このとーり」
両手を合わせて、誠意なんてドブに捨てているかのような、おじぎをする。
「でも良かった、セカイ君がいつも通りに戻って」
そんな聞き逃すような小声に、俺は矢を引かれたような、痛みを覚えた。
気を使われてしまった。俺があの悪夢を見てしまって、落ち込んでいるのを見抜かれた。
「ご、ごめ」
「ごめん、なんて違うと思うな。だって、自分の罪悪感を消すだけの、ただの自己満足だと思うから」
「そうだな────ありがとう」
言葉は自然と出た。普段意地でもいわないようなことを、あっさりと。
「うん、私の言葉を聞いてくれてありがとう」
そういって、俺たちは笑い合った。
こんな漫才をするような関係が、今の俺には気持ち良かった。