ただの幼馴染はただの、でしかない
「コレハペンデスカ?」
「……なに?どうしたの?」
いきなりカタカナ語を話す彼に、本から目を離し呆れた声を出す。
見れば英語の教科書を持ち、ふてくされている。勉強苦手だもんね。
「こんなこと言うことないでしょう?なんでこんなの習うの」
「そりゃあそのままは使わないだろうけど、他の語彙に変えて使うことはあるかもしれないじゃん?なんでも基礎は大切だよ」
「ゴイ?」
「いや、そこ日本語だから」
言葉のことね、と付け足す。
「いいよ、オレずっと日本にいるもん。英語いらない」
ずっと日本にいても英語は使うことあると思う、とは言わなかった。
男が『もん』って言うのは可愛くないと思うが、どこか童顔な彼だと違和感がないから面白い。
周りの人や先生なんかは勉強のできる自分が彼に教えてあげればいいと簡単に言うけれど自分が教えてできるならとっくの昔にやっている。
それに自分は、彼に学校で習うようなことは必要ないと思っている。
こう言ったらなんだけど、彼は外見で得をしている。
特別かっこいいとかきれいとかじゃない。
ただ、親しみやすいのだ。ほんわかとした雰囲気は他人に不快感を与えない。
その証拠に、彼は常に人に囲まれているし成績が悪くて態度もいかがなものか、と思うのに教師からの評判も悪くない。もちろん自分だって、彼が何か困ったときには進んで手を貸すつもりだ。
人見知りでもないし、外国に行ってもジェスチャーでなんとかなりそう、というかしそうだ。根拠もないのに自分はそう確信している。
いまだにふてくされて教科書とにらめっこしている彼を見つめる。
「ていうか、なんでそんな初歩の初歩なのさ?四月から受験生でしょ?」
「いいよ、受験しないもん。オレ高校行かない」
ぴくり、と手が震える。気づかれていないだろうか。
「…………どうするの?今どき中卒なんてろくな仕事ないよ」
「ううん、知り合いのつてでオレ卒業したら働くの」
「…………初めて聞いた」
「うん、初めて言った」
ようやく教科書から目線を離し、自分を見つめる。いつものように柔らかく笑い、自分の名を呼ぶ。
「一番いい高校目指すんだっけ?すごいなあ。離れちゃうね」
「…………離れるとは決まってないでしょ。家近いし、何年幼馴染やってると思ってるの」
「んー。でも、仕事先遠いから引っ越さなくちゃ。一人は寂しいけど、オレがんばるよ」
「………………」
視線を先に逸らしたのは自分だった。
彼はこういうところがある。
自分にはまったく相談しないで、いつの間にか一人でなんでもすべて決めてしまう。
そしてそこに自分は介入できない。
人気者なのに、どこか浮世離れした雰囲気すらあって。世界に一人いるような、そんな、遠い人に見えるときがある。
むしろ、だからこそ人気者なのだろうか。
他の人も、必死に彼をこの世界に繋ぎ止めようとしているのだろうか。
ムダなことだ。勉強だってそう。
だって、幼馴染の自分でさえ十何年かけてもこんなありさまなのだから。
「…………連絡してよね。あんた一人だと、なんか心配」
「ん、わかった。がんばる」
しないだろうな。
なんとなくそんな予感がする。筆不精っていうか面倒くさがりやだし。
でも、だからって自分だって、彼のために進路を変えるなんてことできない。させてもくれないだろう。
柔らかいが、優しい人ではない。自分のためとか言いながら、平気で手を離すんだ。
ああ、ひどい。彼にとって生まれてからこの十何年は、簡単に手放せられるものなのだ。
今この話が聞けたのだってすごいことだ。
自分から受験の話題を出さないかぎり、きっと彼は自ら言うことはなかっただろう。
自分が話さないのを会話の終了の合図にしたのか、再度教科書へ視線が向かう。
テストのため、そのときくらいしか教科書を見ることはない。
自分だってそう。幼馴染で、今は一緒にいる。隣にいる。だから視線を向ける。
それだけだ。
「コレはナンデスカ?」
またカタカナ言葉で難しそうな顔をする彼を、悟られないようにと思いながら見つめる。
幼馴染じゃなかったら、詰ることもできただろうか。
でも自分は知ってしまっている。
彼は自分の気持ちを知っていてもなお、彼が進みたい道を進むことを。
自分は幼馴染ということに縋って、彼からの連絡を待つしかないのだ。
だって、きっと住所は教えてくれない。
ひどい。ひどいよ。
その言葉を言わせてくれないのも、ひどいよ。