なまこリスペクト
なまこ、という生き物をご存知だろうか?
なまことは海鼠とも書き、その姿は一見気持ち悪くも見える。クロナマコは体長約25センチもあり、見た目はまるで巨大な生き物の糞のようにも見える。
このなまこは、ある意味で人類とは真反対の進化と環境適応をした生物だ。
なまこはその特殊な進化の果てに、地上に楽園を築いた究極の生物でもある。
『世の中をかしこくくらす海鼠哉』
『渾沌をかりに名づけて海鼠かな』
なまこは冬の季語のひとつでもあり、正岡子規はこのように歌う。
なまこの生態で驚くところは、その個体当たりのエネルギー消費量の少なさにある。
■なまこの生存戦略
生物は生きる為に食べる必要がある。そのため獲物を捕まえる為に速く動き、生き延びる為には獲物として捕まらぬように逃げ足が速くなる。脊椎動物ではこういうのが主流になる。
なまこは体内に毒を持ち、皮を硬くすることで身を守る。捕食者から走って逃げることを諦めて、動かずとも食われないように進化した。
こうなると速く動く為の運動系は必要が無い。速く動くための筋肉も、身体を支える大きな骨も要らない。敵や獲物を見つける為の知覚系も必要が無くなる。そのためになまこには、目も耳も無い。筋肉を激しく活動させる為に血液を循環させる必要も無いので、心臓も無い。素早い判断、反応も要らない為に脳も無い。
波打ち際にゴロリと転がり、逃げもしない、隠れもしない。堂々と身を晒して生きている。
■特殊な皮
なまこの皮は触れると硬くなる。皮を硬くして身を守る。皮の硬さを変化させられるのがなまこの特長である。
硬くしたままでは動けないので、動くときは柔らかくなる。
人が掴めば警戒して硬くなる。そのままグニグニと揉み続けると、硬い皮が柔らかくなりドロリと溶けて指の間から流れていく。揉むと溶けるという変わった生き物。
ドロドロに溶けてスライムのようになっても、なまこは死なない。約1週間ほどでなまこはもとの姿を取り戻す。
敵に襲われ、皮を硬くしても身を守れないときには、なまこは皮を溶ける程に柔らかくして、皮の破れたところから腸を吐き出す。この腸を敵が食べている間になまこの本体が逃げる。腸を失ってもなまこの腸は1週間から2週間で再生する。
柔よく剛を制す。剛よく柔を制す。
武術の奥義とも言える柔剛の極みを体得しているのが、なまこという生き物でもある。
■皮を硬くしてエネルギー消費を軽減
人は腕を上げるときに筋肉を使う。筋肉を動かせば、アデノシン三リン酸、クレアチンリン酸、ピルビン酸とエネルギー源を消費する。
腕を上げ続ければ、筋肉はエネルギーを消費し続けて、やがて疲れることになる。
なまこに腕は無いが、なまこの皮を説明するのに分かりやすく、なまこに腕があるとしよう。
なまこの場合、腕を上げっぱなしにしても疲れない。腕を上げた状態で皮を硬くする。硬くなった皮がギプスのようになり、その形を固定することができる。
なまこは岩の隙間に入り皮を硬くすることで、踏ん張ること無く波に流されない。
なまこは皮を硬くすることで、体の姿勢を保つことに消費するエネルギー量が、他の生物に比べて極端に少なくなる。
同じサイズの脊椎動物、ネズミと比較すると、ナマコのエネルギー消費量はネズミの100分の1にもなる。
脳も無く心臓も無いなまこは、消費エネルギー減少を突き詰めた究極の省エネ生物なのだ。
■なまこの食事
なまこは砂を食べる。正確には砂についた生物の死骸やバクテリアといった有機物を食べる。触腕を伸ばし海中の有機物を食べたりする。
消費エネルギーを少なくすることで、なまこは砂を食べて生きることを可能とした。
砂は大量にあり、これで他の生物と食料を奪い合う必要が無い。よほど極端な環境の変化でも無い限り、なまこは飢えに苦しむことが無い生物だ。
なまこが砂の上に転がるのは、人間で言えば食べ物をベッドにしているようなものになる。これは童話のお菓子の家に住んでいるようなものと言える。
省エネを突き詰めたなまこは、人が悩む食料問題とは無縁の生物となり、その数を増やした。個体のエネルギー消費量を格段に減らすことで、なまこは自分達の住む環境に身体を合わせ、己の住むところを楽園とした。
■なまこと反対の生存戦略
人間とはなまことは逆に個体のエネルギー消費量を増やし、環境の方を自分達に合わせようと改造した生物。
暑い夏でも涼しくとクーラーを使い、食べ物を腐らないように保存するために冷蔵庫を使う。
遠く離れた距離を短時間で移動するために、自動車、飛行機、船舶と多用な乗り物を造った。
そしてこれらの技術の産物は稼働させるのにエネルギーが必要となる。電気にガソリン、様々な資源を大量に消費することで人間の文明が成り立っている。
同じ大きさの脊椎動物と比較すると、日本人一人辺りのエネルギー消費量は、他の生物と比べると格段に多い。
これは交通網や電気、ガス、自動車などが普及している国であるほどエネルギー消費量は大きくなる。
世界で5番目にエネルギーを消費している日本では、ひとりあたりのエネルギー消費量も世界平均の約2倍になる。
2002年には、日本の国民一人あたりのエネルギー消費量は5450ワット。これに食事の121ワットを加えて5571ワット。
一方で人間サイズの生物の摂食から見ると約190ワットになる。
日本人の場合、1個体のエネルギー消費量は、同サイズの生物に比べて約30倍のエネルギーが必要となる。
人間はそれだけのエネルギーを使うことで、便利で暮らしやすい環境を作ってきた。また、その作った環境を持続させるためにも多くのエネルギーが必要となる。通信、交通、農業、漁業、様々な分野で人に都合のいい環境を維持するために大量のエネルギーが使われる。
代謝率で見ると現代日本人は、その社会で暮らす為には、身体が使う分の約40倍のエネルギーが必要となる。莫大なエネルギーを使用することで、人の社会と文明が作られた。
この為に人は生活するためにエネルギーの獲得に生涯を費やすことになる。
極端なことを言えば、現代日本人は縄文時代の日本人に比べて、40倍働いて40倍頭を使わなければ生活できない、生きてはいけない、という風に進化したといえる。
■エネルギー消費量の増加の結果
大量にエネルギーを消費する文明を築き、様々な家電製品や自動車、電車といった乗り物のある便利な暮らし。
環境を変化させることでその数を増やした人間。しかしそのために環境は悪化し、環境汚染、温暖化、資源枯渇と更なる問題が現れてきた。
エネルギーの大量使用という文明は、環境汚染、核廃棄物、温暖化、ゴミ問題など未来に負の遺産を残すものとなった。
働いて金を稼ぎ、その金でエネルギーを買い、エネルギーを消費することで生きる。
そして一人当たりのエネルギー消費量が増えたことで、もっともっとと働いて金を稼がなければ生きていけなくなった。
国民の平均エネルギー使用量を買うだけの稼ぎを得られないものが増えると、相対的貧困という問題が現れた。
結婚や出産、育児も経済的な問題から諦める家庭が増え、少産化から少子高齢化となっていく。そして今では人口減少が問題となってきた。
働いて金を稼いでいれば、その他のことはどうでもいいと、おざなりにしてきたツケのようにも見える。
■なまこに学ぶ生き方
新しい産業を起こし経済を活性化させれば良い、というのはこれからは通用しない古いやり方だろう。これまでの経済成長そのものが、今の日本の社会問題を作ってきた。問題の解決策が無いままに同じやり方を繰り返しても、悪化するだけで良くはならない。
一人あたりのエネルギー消費量を増加させて、便利な暮らしを作ってきたことが今の社会に繋がっている。
個体と社会全体のエネルギー消費量を、知恵と技術で減らしていくことが、これからの時代に求められているのだろう。
電気と水を自給自足するオフグリッドハウスが広まりつつある。ソーラーパネルで自家発電を行い、地下水を組み上げる。エネルギー消費量は一般家庭の20分の1で済む上に、電気代も水道代もかからない。災害時にも強い。
地球規模で見れば、文明的な暮らしをしているだけで環境にはマイナスとなる。未来の世代から資源を奪って、ゴミや廃棄物を押しつけて、快適な暮らしを享受していることになる。このマイナスをゼロにするためには、エネルギーも含めて自給自足の暮らしを行い、未来から搾取しないライフスタイルを考えなければならない。
長期的に人の未来の為の暮らしを、と、オフグリッドハウスは注目されている。
ミニマリスト、断捨離、シェアハウス、ヴィーガン、若者の消費離れ、これらはエネルギー消費量減少社会、経済減少社会を模索する人々の望みから現れた、未来を考えた活動ではないだろうか?
その極地にとっくに辿り着いたなまこは、砂の上から忙しなく動く人達を、のそのそと見ているのだろうか。
『世の中をかしこくくらす海鼠哉』
参考書籍
『ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学』
中公新書
『「長生き」が地球を滅ぼす ― 現代人の時間とエネルギー』
文芸社文庫
著者 本川達雄 先生
キュビエ器官を触腕に訂正しました。なまこ師匠ありがとうございます。